橋下徹の「民意を無視する職員には去ってもらう」の独裁性

2011-11-29 10:00:06 | Weblog

《橋下氏 松井氏とW当選!市職員にいきなり“宣戦布告”》スポニチ/2011年11月28日 06:00)が11月27日(2011年)投開票の大阪市長選挙で当選した橋下徹氏の記者会見での発言を伝えている。

 記事はこの記者会見での発言に関して、〈橋下氏提唱の「大阪都構想」実現へ向け大きな一歩をしるす一方、「ぶっつぶす」としていた“敵陣”市役所の職員らにいきなり“宣戦布告”した。〉と勇ましく煽り立てている。

 橋下徹氏「民意がわれわれの主張を選んだ。大阪を変える。意味の分からない補助金がたくさんあるし、職員の給与は徹底的に見直す。選挙で選ばれた者への配慮が欠けてる職員がいるので体質も変えていかないといけない。民意を無視する職員には去ってもらう」

 記事解説も勇ましい。〈これまで平松氏を担ぎ上げ、“利権”を守ろうと必死だった職員に対して容赦はしない。府庁で戦ってきた知事時代と同様、切り込んでいく構えを見せた。〉――

 橋下徹氏(教育基本条例に猛反対し、「可決なら総辞職」との姿勢を示した府教委に対して)「有権者の判断を重く受け止めるよう言いたい」

 橋下徹氏(4年で都構想を実現すると意欲を燃やした上で)「4年後は46歳。知事、市長と8年もやればガタが来るので40代前半の元気な人に都知事を引き継いでほしい」

 記者「4年後の国政進出の意思は?」

 橋下徹氏「全くない。これ以上(週刊誌に)追いかけられるのは嫌だから」

 橋下新大阪市長(スキャンダラスな一部週刊誌を名指しで批判して)「あれくらいの報道でへこたれてたらダメ。あれで闘争心に火が付いたから感謝してる。あいつら本当にバカですね」

 この発言に対する記事解説。〈ドッと沸く会見場。「バカ」を連発した橋下氏はニコリともせず、勝ち誇った表情を見せた。

 選挙期間中、政治とは関係のない生い立ちなどに関する記事が毎週のように掲載されたが、逆にエネルギーに変えられたのも勝因の一つ。〉云々――

 大勝利に相当に気持が高ぶっていたようだ。

 橋下徹「子供の殺人予告も絶えなかったし、父として家族とコミュニケーションはあまり取れなかった。長女と長男に報道について話すと“関係ないやん”と言ってくれた。僕の中学時代よりたくましい」

 橋下徹氏(破った平松氏に対して)「きょうで区切りがついた。応じてくださるなら市長としてアドバイスをもらいたい」

 記事解説。〈元ラガーマンらしく“ノーサイド”を宣告。日付をまたいだ約3時間のロング会見で橋下氏の口調は最後まで勢いを失うことはなかった。〉云々――

 ここでは、大阪市役所職員に対する「民意を無視する職員には去ってもらう」と、大阪府教委に対する「有権者の判断を重く受け止めるよう言いたい」の二つの発言を取り上げて、その言葉に込められている独裁性を指摘したいと思う。

 この「民意を無視する職員には去ってもらう」の発言は「asahi.com」記事――《橋下新市長、職員を一喝 「民意無視なら去ってもらう」》(2011年11月28日13時23分)では次のような描写の解説となっている。

 〈「民意を無視する職員は大阪市役所から去ってもらう」と告げる一方、「民意に基づいて市政をしっかりやろうと考える職員とは必死にやる」とも述べ、職員に立場を鮮明にするよう迫った。

 一連の発言は、相手に先制攻撃をかけ、その後の交渉を有利に進めようとする得意の「橋下流」と言える。市職員に厳しい言葉を浴びせたのは、今後、都構想の具体化や市議会対策を進めていくうえで、市職員の協力が欠かせないと考えるからだ。〉

 「民意がわれわれの主張を選んだ」と言っている、市長選で橋下氏を当選させた民意はあくまでも選挙に於ける民意であって、世論調査が期待に対する評価・判断と結果責任に対する評価・判断の二つの側面を持つのと同じように、特に初めての立候補の選挙に於ける民意はあくまでも期待に対する評価・判断がウエイトを占めていて、結果責任に対する評価・判断とは別物と見做さなければならない。

 例え大阪府知事としての約4年間で府職員の賃金カット、各種補助金カットで府財政の赤字解消、黒字化に腕を振るい、府知事としての結果責任に対する評価・判断が高かったとしても、この業績が大阪府全体の経済の地盤沈下の解消には役立っていないとう批判もあるが、大阪市長としての業績(=結果責任)は今後の政治活動に於ける展開次第となるのだから、知事としての全体的な業績が大阪市長としての全体的な業績に対する忠実な反映を必ずしも約束するわけではない。

 いわば選挙の民意は変数としての性格を多分に担っている。決して定数ではない。このことは政権交代時の民主党に対する国民の民意と現在の民主党に対する国民の民意を比較すれば、歴然とする。

 橋下氏は選挙で得た民意をバックに実地に政策を推し進めていくことになるが、例えそうであったとしても、選挙後の時間の経過と共に橋下政治の実効性が明らかになるに従ってその実体も評価の対象にのぼることになり、民意は変数としての姿を露わにすることになる。

 選挙の時に獲得した民意は常に定数を維持するわけではないということである。

 当然、選挙で民意を受けて当選したからといって、全て正しいと審判が下ったわけではないことになる。

 有権者が選挙で示した審判がいつまでも有効であるなら、民主党政治の体たらくが大きな発端となっている国民の政治不信はかくまでも深刻な状況に陥らなかったに違いない。

 「asahi.com」の別記事によると、維新府議団が府議会に提出した職員基本条例案は府職員の人事評価を5段階の相対評価とし、2年連続で評価が最低ランクの職員は免職の対象とするほか、同一の職務命令に3回違反した場合は原則免職とすることなどを定めているとしている。

 記事が〈府総務部は9月、条例案の法律上の問題点などを指摘した計687項目の質問書を維新の会府議団に提出している。〉と書いているから、どの辺まで法律上実現可能な条例案か分からないが、法律上可能となった場合、橋下氏もこれに倣うだろうが、民意が変数である以上、「民意」を楯に「民意を無視する職員には去ってもらう」と言うことはできないはずだ。

 あくまでも成立させた条例を楯に言うことはできる。「条例に従って、無能な職員、覇気のない職員は去ってもらう」と。

 それが変数であることに反して選挙時の民意に絶対的権威を付与して振り回し、民意を笠に自身の判断を絶対正義と位置づけているところに否応もなしに橋下氏の独裁性が現れている。

 同じく府議会に提出している教育基本条例案は数の力で成立させることでその内容の妥当性の証明とすることはできるが、その証明が小・中・高生の成績向上の証明にまでつながっていくのか、その実効性は現段階では不明であって、このことからすると、当然、府教委に対して民意を楯に「有権者の判断を重く受け止めるよう言いたい」と言うことは橋下氏自身の独裁意志の押し付けに過ぎないことになる。

 例え現段階で具体的な実効性は不明であっても、条例の内容と説明上の実効性を楯に成立させた条例を以てして重く受け止めるよう迫ることでその独裁性を排除できるはずだ。

 市長として政治を行い、一定の段階で市民から世論調査で多くの支持を得たなら、結果責任に対する評価・判断と看做すことができ、その民意をバックに強力に自らの政治を推し進めていくことはできるが、だからと言って、民意をすべてとして自らを絶対正義に位置づける独裁的権力志向は許されない。

 最後に評価外の職員は免職の対象とするといった独裁性を持たせた条文を前以て用意しておくことは職員をして自らの身分・生活を守るために自尊心を捨てさせて命令・指示を機械的にこなし、無難に遣り過そうとするだけの去勢されたその他大勢の言いなりの人間を生む危険性を抱える。

 免職はあくまでも上司による個別の判断として対処すべき問題であろう。

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