スパコンは世界1位でなくても2位、3位であってもいい、日本人の創造性世界1位を目指すべき

2011-11-19 10:08:12 | Weblog

 2011年11月6月21日、日本のスパコンが7年ぶりに計算速度世界一の地位を獲得することとなった。このことが蓮舫議員の2009年11月13日民主党事業仕分けでの「スパコンは世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか」の発言を亡霊の如くに蘇らせ、再び揶揄・批判の的とすることになった。

 日本の国民の多くが世界1位に拘っているようだ。私自身は「世界1位」でなくても、蓮舫議員が言うように2位であってもいいし、さらに2位以下の3位であっても4位であってもいいと思っている。

 所詮、大型コンピューターを何百台とつなぐ技術の積み重ねで獲得可能とするモノづくりが成果としたハード(=ハコモノ)であって、「世界1位」のハコモノを以てして直ちに政治や社会の質の向上・発展・活性のソフト足り得るわけではない。

 政治や社会の質の向上・発展・活性は日本人自身が生み出す創造性というソフトの力に何よりも依拠する。スパコンが直接政治や社会の質の向上・発展・活性の力となるわけではない。

 特に政治の分野はその質の向上・発展・活性は政治家の創造性というソフトの力に殆ど負う。

 社会の質の向上・発展・活性に関して言うと、人間の創造性に何よりも依拠する以上、スパコンはほんの部分的に寄与するに過ぎない。

 2009年11月26日の当ブログ記事――《カネをかけるべきは科学予算か社会制度か - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》 でも、社会制度の諸不備や社会の諸矛盾に視線を向けずにスパコンの世界順位争いやハコモノ技術に拘るモノづくり思考(ハコモノ思考)がすべてではないことを書いた。

 例えばノーベル賞受賞者で理化学研究所理事長の野依良治氏が事業仕分けで各科学予算の削減措置を受けたことに激しく反論していることを取り上げて、その反論の正当性を質した。

 野依良治氏「科学をコストでとらえるのはあまりに不見識」

 野依良治氏「うまく行かないこともたくさんあるが、先進国の平均寿命も、科学技術がなければこんなに延びなかった」

 〈「先進国の平均寿命も、科学技術がなければこんなに延びなかった」と言っているが、このことが事実だとしても、寿命の延びに貢献した科学技術が寿命の延びが原因の一つともなっている高齢化社会の加速に対する抑制――バランスのよい人口構成――にまで貢献していないことの事実は、例え医学が難産で生まれてくる赤ん坊の命を沢山救って人口増にいくらか貢献したとしても、差引きマイナスの現実が証明している。

 勿論高齢化は科学の課題ではなく、政治の課題だと言うだろうが、それを正当付けるためには科学技術が社会のすべの問題を解決するわけではないという事実も正当性あるものと認めなければならない。〉・・・・

 言っていることは、政治や社会の質の向上・発展・活性はモノづくりの科学の技術以上に日本人の創造性、特に政治家の創造性といいうソフトの技術にかかっているということである。

 計算速度世界1位の「京」が日本に存在するすべてのコンピューターに取って代わるわけではないし、取って代わることができるわけではない。

 「京」の開発に関わった富士通が「京」の技術を利用した新たなスパコンを5000万円台からの価格で販売する予定だそうだが、このスパコンが先端医療技術の開発に利用されたとしても、開発の速度を格段に早めるはするだろうが、開発された技術のすべてが革新的で飛躍的な効果を約束するとは限らない。

 もし約束するとしたら、従来の計算速度のスーパーコンピューターでも開発速度は遅くても、すべてに亘って革新的で飛躍的な技術を生み出してきたはずだ。

 だが、現実はそうはなっていない。コンピューターのない時代であっても、多くの科学者が時代時代に於ける先端技術を開発してきた。

 基本な何よりも人間自身の創造性(とたゆみない努力)にかかっているからである。

 と言うことなら、スパコンの計算速度は世界2位でも3位であってもいいわけである。 

 野田首相が米ハワイでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で省エネについて「講義」したと、《首相、APECで白熱教室? エコをテーマに熱弁》asahi.com/2011年11月14日21時18分)が伝えている野田首相自身にしても、モノづくりのハコモノ技術よりも何よりも日本人の創造性に基づいたソフトの技術の必要性を認識していない姿となっている。

 〈首脳会議は、議長のオバマ米大統領の発案による「ゼミ形式」〉で、〈野田首相は、マイケル・サンデル教授の「白熱教室」さながらに、5分間の熱弁をふるった。〉と書いてある。

 外務省による野田発言の紹介だが、〈野田首相は、石油危機をバネに日本企業が技術を磨いたと紹介。〉

 野田首相「日本のエネルギー効率の高さは世界平均の3倍以上。同じ水準なら域内のエネルギー消費は65%減る」

 記者会見――

 野田首相「わが国の経験と教訓、今後の挑戦を説明して、議論をリードした」

 記事、〈と自画自賛した。〉

 但し世界が注目している福島原発の収束問題に関しては、〈「事故を機に安全性の向上と国民の安心と信頼確保に取り組んでいる」「原発の安全性を世界最高水準に向上させる」などと触れただけだったという。〉・・・・

 いわば自画自賛できる事柄のみ取り上げたということなのだろう。

 確かに日本の省エネ技術は世界的に優れている。だが、資源を持たないという状況の強制による既存技術の改良の積み重ねを経たモノづくりのハード技術の発展と成果に過ぎない。

 その優秀な技術が日本の国全体、日本の社会全体の諸問題に波及して政治や社会の質の向上・発展・活性にまで力となり得るわけではない。全体的な国家の財政再建の知恵となるわけではないし、「社会保障と税の一体改革」の治療薬となるわけではない。

 政府に要求されていることは民間技術開発支援もその一つであるが、技術開発自体は民間の創造性というソフトにかかっていて、民間に任せなければならないことに対して政府自身が成すべきことは国民が不安なくより豊かな生活を送ることができる社会の構築に役立たせることができる政治的創造性のソフト涵養であろう。

 財政再建の創造的ソフトの涵養であり、社会保障政策の創造的ソフトの涵養であり、安全保障の戦略性を持った創造的ソフトの涵養、その他である。

 国際会議の場で省エネ技術しか“自画自賛”するものがないとは寂しい限りであるが、このことを裏返すと、野田首相自身が日本の政治が何を必要としているのか真に認識していないからではないだろうか。

 一人前とは言えない日本の政治だが、今後共アメリカの助けなしには外に向けても内に向けても満足に維持できないだろうから、一人前でない日本の政治は依然として続くに違いない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする