虐待死防止は過去の類似情報を危機管理の教科書とし、学習し、何事も疑ってかかることではないか

2011-11-11 11:24:25 | Weblog

 名古屋市名東区の中学2年、服部昌己(まさき)君が10月22日(2011年)朝、母親の愛人に虐待死させられ、14歳の短い生涯を閉じさせられた児童虐待死事件を、《名古屋・中2暴行死:日常的に虐待か…児相に通報5回》毎日jp2011年10月23日 1時45分)記事に基づいて、《中2虐待死に見る過去の児童虐待死を相変わらず何ら学習しない児童相談所の不作為とも言える危機管理 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》として10月25日(2011年)取り上げ、過去の児童虐待死例を何ら学習しない児童相談所の疑ってかかることを知らない姿を批判した。

 同じ「毎日jp」記事――《名古屋中2虐待死:通報5回 保護する機会を逸する》(2011年11月10日 10時13分)が同じ事件に対する児童相談所の対応を改めて詳しく分析・解説しているが、やはり過去の児童虐待死例を何ら学習していない姿以外は浮かんでこなかった。

 何事も危機管理とは常に最悪の事態を想定して、それが実際の姿を取らないよう、可能な限り備えることを言うが、危機管理に一貫して必要とされことは疑ってかかる姿勢ということであろう。

 「原発安全神話」は原発の危険性を何ら疑ってかからない姿勢によって輝かしく打ち立てられていた。いわば危機管理は機能していなかった。

 疑ってかかるには多くの情報を必要とする。勿論、収集した情報を多角的に学習するプロセスを踏まなければ、情報は生きてこない。学習してこそ、危機を想定することも、想定した危機に対応した有効な対策も打ち出すことが可能となる。

 また虐待はいじめと同じで、殴打(身体的暴力)や食事を与えない、威嚇(精神的暴力)等の手段を通して対象の人格を自分の思い通りに支配したい欲求をベースとする。

 上記記事は名古屋市中央児童相談所(児相)の職員が毎日新聞の取材に語ったという内容となっている。 

1.服部昌己君が通学していた市立田光中学校が虐待を疑って児相に2回通報。

2.6月14日 児相職員2人が家庭訪問。

 昌己君の顔には殴られたとみられる痕があった。

 母親の愛人の酒井容疑者「言葉遣いが悪くカッとなって殴った」

 市の基準では「顔などに殴打痕がある」ケースは一時保護検討の対象としていたが、酒井容疑者が暴行を素直に認めたこと、職員の「体罰をやめるように」という指導を受け入れる姿勢を見せたことを理由に保護を見送る。

 第一番に虐待者が当初暴行を素直に認めたり、素直に反省したり、二度と殴ったりしませんと約束したりしながら、虐待を続ける過去の例をいくらでも学習できるはずで、まずは疑ってかからなければならない兆候――現在の情報としなければならないはずである。

 家庭訪問に来た児相の職員がドアの向こうに消えるや、内心舌をペロッと出して、「ウッセエ、俺の勝手じゃないか」と口に出して罵る場面も疑ってかかる必要がある。

 次に、「顔などに殴打痕がある」ケースは一時保護検討の対象とする理由は相当に強い意志を持って殴らなければ、殴打痕がつくことはないことを以って取り上げていたはずである。

 相当に強い意志を持って殴るには憎しみの感情をエネルギーとせずに殴ることはできない。いわば酒井容疑者は昌己君を憎しみの対象としていた。憎悪の対象としていたと表現してもいいかもしれない。

 憎悪の対象が身近にいる間は憎悪の感情は反復性・常習性を持つ。

 大体が学校が2回児相に通報したということは虐待と疑うことのできる痕跡を昌己君の顔か頭の別々の所に目に見える形でとどめていたことに基づいた学校側の対応であったはずだ。

 最初の殴打痕が消えずにそのまま残っていたままで、新たな殴打痕がなければ、2度目の通報の必要性はかなり薄れる。

 つまり、「言葉遣いが悪くカッとなって殴った」と暴行を素直に認めた態度を過去の虐待例、もしくは虐待死例から疑ってかからなければならなかったし、殴打痕からも殴打の意志と憎悪の感情の程度を疑ってかからなければならなかったが、疑ってかかるという危機管理の初歩的な基本に則ることができなかった。

3.7月11日、田光中学校から児相に「昌己君が額にけがをしている」と虐待を疑う3回目の通報。

4.同7月11日、児相職員が2回目の家庭訪問。

 最初の家庭訪問は6月14日。約1ヶ月経過している。殴打痕が残る殴打が再度あった事実から、この時点で虐待の少なくとも習慣性を疑ってかからなければならなかった。最悪の場合を想定して、常習性まで疑ってかかるべきだろう。

 酒井容疑者「うるせえ!」

 最初の訪問時と打って変わったこの凶悪な態度は本人の正体と疑うべきで、子どもに対したとき、この巨悪な態度以上の凶悪さが発揮されていた危険性まで疑わなければならなかった。当然、「保護者の態度が拒否的」な場合も子供の一時保護検討の基準の一つとしていると記事が書いていることからして一時保護すべきだったが、児相は昌己君の証言からそのような対応を取らなかった。

 昌己君「母を階段に上らせようと介助した時、転んで階段の手すりに(額を)ぶつけた」

 児相は、〈暴力は確認できないとして再び昌己君の保護を見送った。〉と記事は解説。

 久保田厚美・児相相談課長「中学校とのやりとりを密にすればいいという方針だった」

 だが、〈実際は2回目の家庭訪問以降、児相が学校に連絡を取ったのは9月と10月のわずか2回だけだった。〉

 これはまさに危機管理を失念した怠慢行為そのものだが、こればかりではない。

 子どもが事実を証言した場合に招く虐待者の報復の暴力を恐れて事実を隠す、あるいは異なる事実で糊塗するケースを過去の虐待情報から学習していなかった。

 酒井容疑者の態度豹変させた「うるせえ!」の凶悪性と再び繰返された殴打痕から殴打の継続性を読み取り、最低限常習性を疑うべきを、児童相談所としての危機管理を機能させることができなかった。

 羽根祥充児相相談課主幹「昌己君は『酒井容疑者から暴行を受けた』とは一度も言ってないんです」

 過去の情報から何ら学習していない愚かしい姿だけしか浮かばないが、記事は、〈苦渋の表情で釈明する。〉と書いている。

 〈昌己君は学校でも暴行について口にしなかった。「登校途中に高校生にからまれてけんかした」「お母さんが熱中症になって倒れそうになった時に支えて、けがをした」……。学校での昌己君は笑顔を見せ、落ち込んだ様子もなかったという。〉・・・・
 
 これは人目につく場所での昌己君の明るい姿であろう。もし虐待を疑ってかかる危機管理意識を備えていたなら、虐待を受けていることを知られまいとする裏返しの態度だと疑うこともできたはずだ。

 この裏返しは顔の殴打痕ばかりではなく、死後判明した胸、背中、腕、首に内出血の痕があったことと対応する視覚性の裏返しとなって現れている。

 また衣服に隠れて見えない身体の場所に内出血痕や殴打痕があるのも虐待やいじめの過去の情報からいくらでも拾い出し、学習することができるはずだ。

 鵜飼章夫田光中学校教頭「外傷を除けば、虐待のサインを見つけるのは難しい。母親が男(酒井容疑者)に暴力を振るわれて警察ざたになったことも昌己君の祖母から聞いていた。いつも気にかけていた」

 これは言い逃れに過ぎない。酒井容疑者が母親に暴力を振るっていた情報を祖母から得て暴力的な男であることの情報を学習していたはずである。その上昌己君の顔に継続的に外傷(殴打痕)を認めていた、その継続性・反復性、あるいは習慣性こそが何よりも決定的な虐待のサインだと疑わなければならなかった。

 だからこそ、学校は児相に何度も通報した。

 学校は児童相談所に相談を丸投げして、何も手を打たなかった姿が浮かんでくる。過去の情報と照らし合わせたなら、「外傷を除けば、虐待のサインを見つけるのは難しい」は口が裂けても言えない責任回避の言葉に過ぎないことが分かる。単に学習していなかったに過ぎない。保健室で服を脱がせて検査する危機管理ぐらいは見せてもいいはずだった。

 〈児相は家庭訪問を重ねた。最後の訪問は10月14日。昌己君は10月22日に命を落とした。〉――

 最初の家庭訪問が6月14日。最後の家庭訪問までちょうど4ヶ月。目に見える顔の部位に常に新しい殴打痕を認めたからこそ、家庭訪問を続けなければならなかったはずだ。最初の殴打痕のみで、その痕が次第に薄れていったなら、家庭訪問の必要性は失う。

 多分、4ヶ月も経てば発育盛りの体力からして、入院・治療を必要とするような余程の殴打痕でない限り、まるきり消えているか、殆ど見えないくらいになっているはずだし、もし入院・治療を必要とするような殴打痕であったなら、もはや傷害罪に相当することになる。

 羽根祥充児相相談課主幹「子供の立場に立つのに(職員には)相当なコミュニケーションが必要だったのだと思う。我々の力不足だった。担当職員や私は悩みながら頑張ったつもりだが、結果は最悪になってしまった。コミュニケーションをとっても(昌己君を)救えたかというと、自信はない……」

 コミュニケーション能力不足だとのみ思っている限り、救える命を救う自信は出てこない。過去の情報を学習し、学習した知識をベースに現在の情報を読み取る能力、基本的には疑ってかかる危機管理能力が欠如していたに過ぎない。

 記事は最後に児童相談所が置かれている状況を伝えている。全文参考引用――

 〈◇児童相談所職員、数も経験も不足
 名古屋市では00年以降、児相が通報を受けながら子供が虐待死するケースが7件発生。昌己君は8人目の犠牲者だ。市中央児相は、昌己君の死を防げなかった要因として「職員不足」と「職員の経験不足による未熟な対応能力」を挙げた。

 市は00年の児童虐待防止法施行時に児相1カ所・児童福祉司25人だった態勢を、現在の2カ所計45人に強化した。厚生労働省によると、市の10年度の児童虐待の相談件数(速報値)は前年度比92件増の833件。市中央児相では児童福祉司1人当たり30~40件を担当するという。

 関西学院大の才村純教授(児童福祉論)の02年調査によると、日本では児童福祉司1人が平均37件を担当。これに対し米国は12件、韓国18件、英国20件だ。欧米では虐待相談専門のソーシャルワーカーも配置。だが、日本では児童養護施設に保護した子供への対応などの別の業務が加わる。虐待相談以外の業務を含めると、名古屋市中央児相の職員1人当たりの担当は、約100件に跳ね上がる。

 児童福祉司資格は国家試験ではなく、比較的容易に取得できるという。市によると、児童福祉司になっても2~4年で他部署に異動することが多く、中央児相職員の勤務年数は平均3年10化月(4月現在)で「能力やノウハウが十分に蓄積できない」という。昌己君を担当した職員は児相に配属されて4年目、家庭訪問に同行した職員は半年だった。児相職員は市職員から公募されているが、応募は09年3人、10年は1人だけだった。NPO法人「子どもの虐待防止ネットワーク・あいち(CAPNA)」の高橋昌久理事長「目的意識がなければ、職員を増やして経験を積ませても烏合(うごう)の衆になるだけだ。外部から広く人材を募り、専門能力にたけた職員を育成すべきだ」と訴える。〉――

 確かに職員1人当たりの担当件数は多く、重労働に相当し、十分に手が回らない姿が浮かんでくるが、逆に担当件数が少なくても、既に触れたように過去の虐待情報から何ら学習せず、現在の情報を読み取って、疑ってかかる知識とする危機管理能力を欠いていたなら、救い得る命を救うことができない状況に変わりはないことになる。

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