砂川最高裁判決は主権国家としての個別的・集団的自衛権を認めているが、憲法は認めているとはしていない

2015-06-10 08:59:58 | Weblog



当ブログ題名を《砂川最高裁判決は国の個別的自衛権・集団的自衛権を認めているが、自衛隊の主体的活動は憲法違反としている》から変更しました。(2015年6月11日 13:15))



      「生活の党と山本太郎となかまた ち」

     《6月9日 小沢代表・山本代表記者会見動画党HP掲載ご案内》

      こんばんは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
      小沢一郎代表と山本太郎代表は6月9日、国会内で定例の記者会見を行い、
      憲法学者の違憲判断、安保関連法案、刑事訴訟法等改正案、労働者派遣法改正案、
      マイナンバー法案、参院統一会派、野党共闘などに関する質問に答えました。
      記者会見動画を党ホームページに掲載しました。ぜひご覧ください。

 6月4日(2015年)に行われた衆議院憲法審査会参考人質疑で自民・公明・次世代推薦の参考人初め、野党推薦の併せて3人の学識経験者がいずれも安全保障関連法案は「憲法違反に当たる」と証言したという。

 対して防衛相の中谷元を始め、高村正彦、菅義偉、谷垣幹事長等々が「憲法違反の指摘は当たらない」等々、参考人の違憲論に反論している。

 安倍晋三もドイツ開催のG7G7サミット(先進7カ国首脳会議)終了後の現地《内外記者会見》での質疑の場面で反論している。  

 高山中日新聞記者「今国会で審議中の安全保障関連法案について、伺います。先の衆議院憲法審査会で、与党推薦の方を含む参考人3人の憲法学者全員が憲法違反であると明言しました。

 この学者の指摘をどのように受け止めていますでしょうか。それと各種世論調査でも反対が賛成を上回っている状況ですが、国民の声や学者の指摘を踏まえて、法案を撤回したり、見直されたりするお考えはありますでしょうか」

 安倍晋三「大切な指摘でありますので、私から正に今、国民の皆様に直接丁寧にお答えさせていただきたいと思います。

 国民の命と幸せな暮らしを守っていく。そのことは、政府の最も重要な責務であります。

 我が国を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増しています。脅威は容易に国境を越えてくる。今や、どの国も一国のみで、自国の安全を守ることはできません。私も数々の首脳会談を行いながら、日本の平和安全法制について説明をしてきたところでありますが、こうした認識については、殆どの国々と共有できていると思います。

 このような中、あらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行う、それこそが平和安全法制であります。この平和安全法制の整備が、切れ目のない対応をして、日本人の命を守るためには、不可欠であると思います。

 今回の法整備に当たって、憲法解釈の基本的論理は、全く変わっていません。この基本的論理は、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。

 この砂川事件の最高裁判決、憲法と自衛権に関わる判決でありますが、この判決にこうあります。我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を取り得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならないとあります。これが、憲法の基本的な論理の一つであります。

 こうした憲法解釈の下に、今回、自衛の措置としての武力の行使は、世界に類を見ない、非常に厳しい、新三要件の下、限定的に、国民の命と幸せな暮らしを守るために、行使できる、行使することといたしました」――

 どういうふうに解釈すればそうなるのか分からないが、砂川事件裁判は安保条約での米軍駐留は憲法9条に違反するかどうかを問うた裁判で、一審の東京地裁は違反するとして全員無罪としたが、1959年12月16日の砂川事件最高裁判決は地裁判決を破棄した。

 但し国の個別的自衛権・集団的自衛権共に認めているが、自衛隊が主体となって指揮権・管理権共に行使する戦力の行使は憲法9条2項が禁じている「戦力」に当たるとして、そのような活動を憲法違反としている。


 以前、同じ趣旨のことをブログに書いたが、改めて最高裁判決を読み解きたいと思う。判決は次のサイト、《砂川事件最高裁大法廷判決》を参考にした。最初に米軍駐留は憲法9条に違反するかどうかに関わる判決を見て、次いで集団的自衛権に関わる言及を見てみる。   

 重要と思われる個所には修飾を施し、節が長い個所は読みやすいように改行を行った。

 最高裁判決文

 先ず憲法9条2項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法9条は、わが国が敗戦の結果、ポ ツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤って犯すに至った軍国主義的行動を反省し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであって、前文および98条2項の国際協調の精神と相まって、わが憲法の特色である平和主義を具体化 した規定である。

 すなわち、9条1項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定 し、さらに同条2項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。

 かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。

 憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。

 しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。

 すなわち、われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補ない、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。

 そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではな く、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。

 そこで、右のような憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。

 従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留する としても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。

 以上の判決から、文飾を施した個所を纏めてみる。

 日本国憲法第9条は、「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。

 「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。

 「憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。

 「憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持 し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。

 「同条項(9条2項)がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留する としても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」――

 以上から結論づけると、日本国憲法第9条は主権国家としての「固有の自衛権」まで否定していないが、9条2項が〈「その保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいう」のであって、「外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しない」と解釈、駐留アメリカ軍が保持する戦力は9条2項が「不保持」を規定している戦力には当たらないからと、憲法違反ではないとしている。

 要するに日本は固有の自衛権を有するが、日本が主体となって指揮権、管理権を行使する戦力の行使は憲法上認めていないために外国が主体となって指揮権、管理権を行使する戦力は9条2項が規定している「戦力」には該当しないから、その戦力の駐留は何も憲法違反に当たらないと判決づけたことになる。

 このことを裏返すと、最高裁判決は9条2項で、いくら自衛の措置と言えども、「日本が主体となって指揮権、管理権を行使する戦力」を禁じていると解釈していることになる。

 この文脈からすると、自衛隊の海外出動は以っての他となる。

 そのために、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置」は、9条2項の「戦力には該当しない」外国の戦力に求めなければならないとしているのだろう。

 このことは、「憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである」としている文言に当たる。

 自衛隊がその戦力を指揮権・管理権共に主体的に行使しすることを憲法が禁じていることになると、日本が主権国家として認められている自衛権の行使を可能とするためには日本駐留の外国軍隊が主体となっ て指揮権、管理権を行使する戦力にのみ依拠するか、自衛隊を外国軍隊の指揮下に入れて、外国軍隊が指揮権・管理権共に主体的に行使することによって、自衛隊の戦力を憲法9条2項の「戦力」であることから外すかしないことには最高裁解釈の憲法との整合性は取れないことになる。

 後者とした場合、外国軍隊と共に戦争をするケースも生じることになる。

 いずれにしても砂川事件最高裁判決は自衛隊が独立した組織として主体的に活動することを憲法は禁じていると解釈していることになる。

 次に最高裁判決が集団的自衛権についてどのように言及しているのかを見てみる。

 右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。

 それ故、右安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきであるが、また、その成立に当っては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である。

 ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となっている場合であると否とにかかわらないのである。

 「平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有すること」と、「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認」していて、その承認に基づき、「わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項」を定めている日米安全保障条約が「違憲なりや否やの法的判断」は、「主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するもの」であるがゆえに、「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは」という条件付きで、「純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のもの」だとして、最高裁の判断を避け、「第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする」と、日米安全保障条約に関わる取決めは内閣と国会に決定権を預けて、その決定に対しての国民の批判に任せている。

 要するに砂川事件最高裁判決は日米安全保障条約に基づいた米軍駐留は憲法9条に違反しないと判断しているものの、日米安全保障条約自体の違憲かどうかの判断は政治の問題だとして避けている。

 但し例え日本国民が日米安全保障条約を認め、受け入れたとしても、あるいは「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認」していたとしても、最高裁判決は日本国憲法下での集団的自衛権行使容認にまで踏み込んでいるわけではない。

 この点については一切触れていない。

 その理由は、既に触れたように日本が主体となって指揮権・管理権共に行使する戦力の行使は憲法9条2項が禁じている「戦力」に当たるとする最高裁判決の憲法解釈にある。

 集団的自衛権の行使は外国軍隊と共に自衛の戦いをするということであって、外国軍隊の指揮下に入ることはあっても、一般的には外国軍隊が一方でそうであるように、自衛隊にしても一方で自らが主体となって指揮権・管理権共に戦力を行使することになり、そのような「戦力」は9条2項が禁じている「戦力」に当たることになるからである。

 砂川事件最高裁判決は安倍晋三以下、雁首を揃えて言っているように個別的自衛権・集団的自衛権行使容認の根拠とは決してなり得ない。 

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