防災先進国日本の災害対応ロボット国際大会最高10位の逆説を考える

2015-06-09 09:50:53 | Weblog


 各マスコミ記事を纏めてみる。

 6月5、6日(2015年)と米国防総省国防高等研究計画局(DARPA)主催の災害対応ロボット国際大会が23チーム参加で米ロサンゼルス近郊で開催されたものの、5チーム参加の日本勢は最高で10位、次いで11位、14位、最下位、棄権とそれぞれ健闘したという。

 大会テーマは「災害時に人間と共に作業できるロボットの開発」

 災害現場を想定したコースで各チームの殆どが遠隔操作で人型のロボットを動かして行われた。

 作業課題は――

 ▽災害現場までの自動車運転
 ▽瓦礫上の歩行
 ▽ハシゴ上り
 ▽障害物除去
 ▽3個所ドアの開閉と通過
 ▽電道ドリルによる石膏ボードへの円形の穴開け
 ▽大きさの異なる3つのバルブハンドルの開閉
 ▽収納されたホースを出して給水ノズルへの装着

 1位優勝は2本の足に車輪を組み合わせたハイブリッド型のヒト型ロボットで挑んだ韓国科学技術院のチーム。8つのすべての作業課題を消化し、タイムでも他チームを上回ったという。

 2位、3位は米国のチーム。

 棄権した東大や千葉工大などの共同チームの代表中村仁彦・東大教授が棄権の理由を話している。

 中村教授「準備が間に合わなかった。

 (国防総省の大会への参加の動機)将来を見据えてヒト型の研究開発を一気に加速させる米国の狙いを感じた。乗り遅れないためには参加が避けられないと思った」(asahi.com

 「準備が間に合わなかった」と言うことは、課題として求められていた作業に備えたロボットを用意できなかったということになる。いわばそのようなロボットの制作に急遽取り掛かった。だが、時間が足りなかった。

 この理由は日本が現在置かれている社会的状況に矛盾する。日本は2011年3月11日、東日本大震災を経験し、同時に福島第1原発事故によってシビアアクシデントに見舞われて、放射能濃度が高過ぎて人間には向かない汚染地域での各種処理作業にロボットが求められた。

 時間は十分にあったはずだ。

 世界初の二足歩行ロボットは1969年に早稲田大学の加藤一郎教授によって開発された「WAP-1」で、人型のロボットは日本が世界をリードしていると言われてきたが、福島原発事故では初期的には外国製のロボットに頼らなければならなかった。

 その大きな理由の一つは、固定された場所で鋲を打ったり、溶接したりする製造現場での作業ロボットは存在するが、動くロボットに “作業”という役目の概念を与える考えが支配的にはならなかったからではないだろうか。

 そういった概念を持たせたロボットで世界をリードすべきだったが、持たせていない二足歩行型ロボットで世界をリードすることになった。

 訪日中のオバマ大統領が2014年4月24日に日本科学未来館を訪問、世界初の本格的な二足歩行ロボットと言われているホンダのアシモと対面、アシモがサッカーボールを蹴り、それをオバマ大統領が右足で受け止めて、さすが日本のロボット技術と評判になったが、アシモができることはこのサッカーボールを蹴ることと、自在な歩行、階段の上り下り、旋回、ダンス等で、何かの作業をするという役目とは程遠い。というより、無縁とさえ言うことができる。

 動くロボットに “作業”という役目の概念を与える考えに基づいていたなら、最初は最も安定性の高い無限軌道(キャタピラ)型のロボットの開発から始まって、昆虫が脚を伸縮させて歩くような四足走行型、あるいは六足とか八足といったロボットの開発へと進み、最も安定性の確保が困難な二足歩行型ロボットに行き着くはずだが、日本の場合、このような過程を踏まずにいきなり二足歩行ロボットの開発で世界をリードすることになった。

 2009年に「クインス (Quince)」という名の無限軌道(キャタピラ)型レスキューロボットが千葉工業大学未来ロボット技術研究センターや国際レスキューシステム研究機構、東北大学未来科学技術共同研究センターを中心とするグループによって開発されているが、原発災害用に改良されて福島原発事故へ投入されたのは発災から3カ月後の2011年6月だということで、改良に3カ月も要し、外国産ロボットに先行されている。
 
 但しこの「クインス (Quince)1号」は投入から4カ月後の2011年10月20日に遠隔操作する為のケーブルのトラブルで通信が途絶えたため、翌2012年2月に改良型のクインス2号と3号の2台が追加投入されたと「Wikipedia」に書いてある。

 このことも技術の遅れを示す出来事であるはずだ。

 2011年3月11日の東日本大震災発災の13日後の3月24日付の「CNN」記事が、〈米ロボットメーカーのアイロボットが、東日本大震災の被災地で復興・救助活動を支援するため軍用ロボット4台〉、〈地上走行ロボット「バックボット」2台と「ウォリアー」2台の計4台を寄付した。〉と伝えている。

 バックボットも、ウォリアーも無限軌道(キャタピラ)型ロボットである

 〈パックボットは爆弾処理や偵察など戦場での作戦に使われるロボットで、重さは約20~27キロ、機動力とカスタマイズ性の高さが特徴。被災地ではセンサーを取り付けて福島第一原子力発電所など放射線濃度が高いとされる場所に投入し、放射性物質や化学物質などの異常を検知する。

 2001年の米同時テロではニューヨークのビル倒壊現場で捜索にかかわった実績もあり、捜索活動にも活躍が期待される。

 一方、大型ロボットのウォリアーはがれきや建物の残骸などを乗り越えて移動でき、約90キロの重量まで運搬が可能。消火活動に投入され、消防ホースを運んだりがれきを除去したりする作業に使われる。

 いずれも800メートル離れた場所から遠隔操作でき、人間が近づけない危険な場所にも入り込むことが可能。ゲーム機「エックスボックス」「プレイステーション」のコントローラーで操作できるといい、アイロボットの社員6人が自衛隊員に使い方を指導する。〉――

 パックボットにしろ、ウォリアーにしろ、使用目的に添わせた“作業”を念頭に役目の概念を持たせて開発されたロボットであり、その原発事故現場への応用であろう。

 アイロボット社は1991年に一般的な昆虫の大きさから比較したなら、巨大な6足の昆虫型をした、地球外探査を目的としたロボット「Genghis(ジンギス)」を開発している。

 特定の作業を担わせたロボットを開発し、そのロボットを別の作業に応用する。あるいは別の作業にも適合できるように改良する。ロボットに何らかの作業を求めるとしたら、繰返しになるが、このように無限軌道(キャタピラ)型のロボットの開発から始まって四足走行型、あるいは六足走行型、八足走行型へと進み、二足歩行の人型ロボットの開発に進むのが一般的なロボット開発であろう。

 だが、日本は“作業”という役目の概念を与えたロボットではなく、与えていないロボットで世界に注目されることになった。

 千葉工業大学などが遠隔操作で現場の状況を調査することができる無限軌道(キャタピラ)型の水陸両用のロボット「櫻壱號(さくらいちごう)」を開発して都内で公開したのは、福島原発発災の2014年3月11日から約3年月後の2014年4月17日である。

 この「櫻壱號」は2011年度~2012年度に実施されたNEDO(独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)の「災害対応無人化システム研究開発プロジェクト」(予算総額:9億9,600万円)で開発した「SAKURA」を元に千葉工業大学未来ロボット技術研究センター(fuRo)が独自開発した改良型だという。

 プロジェクトは2011年度からの実施だというから、福島原発事故発災を受けて、2011年4月1日以降に実施したということなのだろう。原発事故用への改良に2年か3年かかったことになるが、原発事故向けの知識の蓄積がなかったことになる。

 「櫻壱號」と純日本風の名前を付けたことと、日本を代表する花である「櫻」にしても「壱號」にしても旧字体で表したところは外国産に対抗して追いつけ追い越せの思いが“日本”なるものを全面に出すことになったからなのか、その悲壮感を見てしまって、何となく物悲しい。

 福島原発事故処理に初期的に外国製のロボットに頼らなければならなかったもう一つの大きな理由は日本が原発大国でありながら、1979年のアメリカのスリーマイル島原発事故から、少なくともロボットに限って何も学ばなかったからだろう。

 スリーマイル島原発は最終的に燃料の取り出しを終えるまでに11年かかったのは世界最初の経験であったことと汚染水の処理技術や遠隔操作で動くロボットの開発などに時間がかかったからだという。

 日本がもし原発事故を想定していたなら、スリーマイル島原発事故だけではなく、1986年のチェルノブイリ原発事故からも多くを学び、“作業”という役目の概念を与える考えのもと、原発事故処理可能な動くロボットの開発に乗り出し、いつでも実用できる体制を整えていたはずで、外国産のロボットに頼らずに済んだはずだ。

 だが、外国産ロボットに頼らざるを得なかった。多分、日本の原発は事故を起こさないという「原発安全神話」の思い上がりが原発事故の各処理に適応させたロボットの開発を邪魔したのだろう。

 ロボットだけではなく、原発汚染水処理技術が未熟であったために汚染水処理に初期的にはフランス技術に頼ることとなった。

 このように動くロボット開発に関して“作業”という役目の概念を与えることが少なくとも主流にならなかったこととスリーマイル島原発事故を学習することができなかったことがそのようなロボットの開発の遅れとなって、福島原発事故処理に初期的には国産ロボットを活躍させる機会を失い、その開発の遅れが23チーム参加の災害対応ロボット国際大会で人型ロボットは日本が世界をリードしていると目されていながら、あるいは防災先進国と言われながら、日本勢の最高は10位、次いで11位、14位、最下位、棄権という健闘した結果につながったということではないだろうか。

 少数の例外はあるものの、全体的には日本人はテーマを与えると、与えられたテーマに対しては優れた能力を発揮すると言われている。

 と言うことは、テーマを自ら創造したり、自ら見い出す能力に欠けることになる。世界に優れていると言われている日本の技術にしても、その多くが外国の技術を出発点として、外国の技術以上に進化させた姿を取っている。

 テーマを与えられたことによって、福島原発事故処理は今では多くの国産ロボットが開発され、活躍している。

 技術開発に限らず、上から言われてするのではなく、仕事の面でもそろそろ自らテーマを創造するか、自ら見い出さなければならない、そういった日本人の全体像とならなければならない時代に来ているようだ。

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