ジーコのFIA会長選立候補の条件は企業献金の危険性をも教えている

2015-06-14 10:53:12 | 政治


 マスコミ報道で広く知られることになったが、「Wikipedia」によると、2015年5月27日に米司法省がFIFAワールドカップ地区予選等の放送権の受注やFIFAワールドカップの招致活動を巡っての資金工作、FIFA会長選を巡っての資金工作その他組織的不正の罪でFIFA副会長ら14人を起訴、その内の7人をスイス当局が同日逮捕したと伝えている。

 いわば組織的腐敗の形を取っていた。

 断るまでもなく、この場合の資金工作は贈収賄という形を取っていることになる。

 ワールドカップの開催地決定に関する不正として2018年ロシア大会と2022年カタール大会の開催決定に関する疑惑が指摘されているという。自国開催を有利にするために贈賄の形でカネを渡し、そのカネを受け取る収賄の形を経て資金工作は成り立つ。

 開催国に関わる疑惑の指摘を受けて陰謀家プーチンが敏感に反応している。米司法省5月27日起訴の翌5月28日のFIFA幹部逮捕について、5選を目指すゼップ・ブラッターFIFA会長の再選を阻止するための「明らかな企て」だと指摘。その上でブラッター会長の再選を支持する考えを示したと、「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 プーチン「問題が起きたとしても、米国の領土内で起きていない問題は米国には関係がない。自国の司法権を他国に適用しようとする(米国の)露骨な試みだ」

 捜査の進展次第で2018年6月14日からのロシア開催予定FIFAワールドカップが取り消される危険性に危機感を抱いたから、米国の陰謀としたいのだろう。

 この20年近くで200億円近いカネが動いたとされている。

 この贈収賄疑惑と副会長らが逮捕される騒ぎの中、5月29日にFIFA(国際サッカー連盟)会長選挙が行われ、ゼップ・ブラッター前会長が再選を果たしたが、激しい批判を受けて4日後の6月2日に会長辞任を表明した。
 
 この辞任表明を受けて、国際サッカー元日本代表監督ジーコが条件付きで立候補を表明した。この立候補表明に関してなのだろう、6月10日、NHKがジーコに対してリオデジャネイロで単独インタビューを行っている。

 《ジーコ氏 「ルール改正」が立候補の条件》NHK NEWS WEB/2014年6月11日 14時07分)  

 ジーコ「FIFAはサッカーという競技ではなく政治的に金銭の絡む契約を第一に考えてきた結果、汚職事件を生み出してしまった。会長が何度でも再選されることを可能にさせる規定が存在していることが大きな問題だ。会長に就任した彼らが何かを決めるたびにFIFAは腐敗していった。

 17年間トップを務めてきたブラッター会長のように特定の個人が長くトップを務めてきたことが金権体質化した原因だ。

 (会長選挙に立候補するにはFIFAに加盟する5つ以上の協会の支持を必要とする現在のルールについて)立候補の時点から誰かのために働かなくてはならなくなっている。それこそがいちばん最初にやめなければいけないことで、この規約が変わらなければ立候補しない。

 サッカーとは情熱であり、愛であり献身的なものであり誠実なものだ。サッカーが何よりもいちばん上にある。この思いは将来にわたって続いていく」

 下線部分は解説文を会話体に直した。

 会長選立候補条件がFIFA加盟協会5組織以上の支持を必要とする。当然、支持を取り付けるために加盟協会と会長立候補者の間に協会が要求した場合の協会の利益となる何らかの約束を交わす可能性が生じることは否定できないことになる。
 
 利益に便宜を図ることによって、その約束は履行され、履行が会長としての信頼を得る条件となる。一旦、当選がそういった構造を取った場合、特に再選を狙う場合、約束の厳格な履行が再選に必要とする信頼獲得に欠かすことができない要件となる。

 いわば時と場合によっては会長当選にしても再選にしても、協会の利益となる何らかの約束の履行が必須強条件となる。
 
 ブラッター会長は任期4年の会長職に合計17年間トップの座にいた。その約束に対する便宜が例え法に触れる性格のものではなくても、FIFA副会長等とFIFA加盟協会、あるいは大手スポーツ用品会社、その他との間に巨額のカネが動いていたということは、上の為すところ、下これに倣う類いで、協会その他が要求する何らかの利益に対する会長側の便宜を介在させた約束の履行を慣習としているうちに、下の者がその慣習を長年の間見習ううちに副会長等に対する要求利益に向けた便宜を通した約束の履行がカネの金額が確実な保証となっていくという経緯を取ったからであろう。

 いわば贈賄側の利益を実現させるためにはカネが力となっていった。

 ブラッター会長ではなくても、会長職にある者が誰の利益も代弁せずに公平・中立な組織運営に務めることを慣習としてきたなら、下の者にしても公平・中立を慣習としなければならないはずだし、例え公平・中立に反することがあっても、個別的な個人の問題にとどまって、組織的な腐敗の形は取らなかっただろう。
 
 企業からの政治献金にしても、そのカネを受け取る際、その企業が要求した場合の企業の利益となる何らかの約束に便宜を図る、あるいは何も要求がなくても、以心伝心で恩義から献金した企業に対して何らかの利益となる便宜を図りたい思いに取り憑かれない保証はない。

 あるいは政治献金は金額に様々に上限を設けているが、迂回献金や企業名を使わずに役員名義で個人献金を装う政治献金、あるいは企業が社員の名義を使って金額を小分けにする政治献金等々で上限をクリアする政治献金も存在する。

 そのような政治献金を受ける側は政治献金を与える側からそうまでしていることの説明を受けるだろうから(説明しなければ、何の利益にもならない)、その努力に無関心ではいられない。例え企業が利益とする、その実現の約束を交わさなくても、何らかの便宜を図りたい思いに駆られるのが人情であろう。

 利益に便宜を図ったり、便宜を図りたい思いが実際の形を取った場合、ジーコが言っているように特定の「誰かのために働かなくてはならなくなっている」精神状態に知らず知らずのうちに侵されていたことになる。

 カネがそのような精神状態に持っていくキッカケとなる。
 
 FIFAの副会長等の役員がカネで動くことになる危険性は企業献金が抱えていないとは決して言えない危険性であって、その危険性を断つとしたら、企業献金の廃止しかないはずだ。

コメント
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