砂川事件最高裁判決は日米安全保障条約に基づいて日本に駐留する米軍に自衛権の代行を認めたものである

2015-06-16 08:36:05 | Weblog



      「生活の党と山本太郎となかまたち」
 
     《1【生活】6月9日 沢代表・山本代表の定例記者会見要旨》    

     こんにちは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
     6月9日に行われた小沢一郎代表、山本太郎代表の定例記者会見要旨を党ホームページに掲載しまし
     た。ぜひご一読ください。

     【質疑要旨】
     ○安全保障関連法案について                                
     ○刑事訴訟法改正案について                                
     ○労働者派遣法改正案について                                
     ○参院統一会派について                                
     ○2009年総選挙民主党マニフェストについて                       
     ○翁長沖縄県知事の訪米について
     ○マイナンバー法改正案について                                
     ○野党連携について                                      
     ○原発事故自主避難者への住宅援助打ち切り問題等について                    
     ○小沢代表の自立と共生政策について 

 横畠裕介内閣法制局長官が6月15日(2015年)の衆院平和安全法制特別委員会で安全保障関連法案で可能となる集団的自衛権の合憲性を巡り、次のように答弁したという。

 横畠裕介「「武力行使の新3要件で認められる限定された集団的自衛権の行使は、最高裁砂川事件判決にいう自衛権に含まれると解することが可能だ」(47NEWS

 記事は、〈砂川事件をめぐる1959年の最高裁判決は「必要な自衛の措置」を認めている。〉と解説している。

 要するに「自衛の措置」の中に個別的自衛権のみならず、集団的自衛権も含むとしていることになる。

 右翼稲田朋美を筆頭に「個別か集団的かの区別はない」ことを根拠にしている。

 果たして1959年の最高裁判決は個別的自衛権と集団的自衛権を含めた自衛の措置」を認めているのだろうか。

 最高裁判決から、必要な個所のみを抽出した。

 《1959年事件砂川最高愛判決》

 日本国憲法9条2項に「いわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしも ちろんこれにより我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。

     ・・・・・・・・・・

 しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければな らない。

     ・・・・・・・・・・

 憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。 
     ・・・・・・・・・・

 そこで、右のような憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。

 従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。

     ・・・・・・・・・・
 
 右(日米)安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。

     ・・・・・・・・・・

 かようなアメリカ合衆 国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そしてこのことは、憲法9条2項が、自衛のための戦力の保持をも許さない趣旨のものであると否とにかかわらないのである」(以上」

 戦争放棄と戦力の不保持を謳っている日本国憲法9条2項は「我が国が主権国として持つ固有の自衛権」まで否定していないとしている。

 但しこの否定していない「固有の自衛権」の行使の主体についてはまだ触れていない。主体が日本政府だと断ってはいない。

 主体についての要点は次の文言にある。 

 日本国憲法9条2項が「その保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」として、日本が主権国家としての固有の権利である自衛権は日本国憲法自体は否定していないものの、日本政府が「主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」は9条2項が「保持を禁止した戦力」に当るとして、その行使に制約をかけ、外国が「主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る」外国軍隊の戦力は9条2項の「戦力」には該当しないからとして、その行使の制約を解いている。

 このことの意味は、日本国憲法が禁止していない主権国家としての固有の自衛権の行使は日本国憲法9条2項の関係から、日本が自らの戦力を用いて行うことは違憲に当たり、外国軍隊なら違憲に当たらないとしているということであるはずである。

 次の文言も同じことを言っている。
 
 日米安全保障条約の目的は「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する」ことにある。

 国際連合憲章が承認している個別的・集団的自衛権に基づいて日本の防衛のためにアメリカ軍が個別的と集団的を含めた自衛権を行使する。

 つまり、日本が主権国家として持つと判決で述べている「固有の自衛権」行使の主体を米国政府と定めて、その行使を米軍に代行させるのは違憲ではないとしたのである。

 理由は勿論、日本国憲法9条2項が「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」の保持を禁止しているからである。

 政府が主体となって指揮権、管理権を行使しない軍隊など存在するだろうか。

 集団的自衛権行使に基づいて時と場合に応じて他国軍隊の指揮下に入って指揮権、管理権を全面的に委ねるケースもあるだろうが、あくまでも部隊単位であって、一国の軍そのものがそういう状態を取った場合、主権国家としての地位を失う。

 砂川事件最高裁判決は9条2項が禁じている「戦力」をそのように性格づけることによって、実際は自衛隊そのものの存在を憲法違反だとしているのである。

 このことを避けるために、9条2項が「その保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいう」と言いながら、その前段で「同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」と判断を確定せずに逃げ道を設けている。

 「自衛のための戦力」は極めて国が「主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」を必要とし、その行使でなければならない。

 矛盾そのものである。

 マスコミが書いているように砂川事件を巡る1959年の最高裁判決は「必要な自衛の措置」を認めているものの、自衛の主体に日本政府を置いているのではなく、米国政府を置いていて日本の主権国家としての固有の自衛の措置に関しては米軍の代行を認めているに過ぎない。

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