「生活の党と山本太郎となかまた ち」
《6月13日(土)小沢一郎生活代表テレビ出演ご案内》
こんばんは、生活の党と山本太郎となかまたちです。
小沢一郎代表がテレビ東京『田勢康弘の週刊ニュース新書』に出演します。
◆テーマ:「安倍政権にどう向き合うか?野党再編は?」です。
◆日 時:平成27年6月13日(土)午前11:30~午後12:05
是非ご覧ください!
安倍晋三と国家主義的精神性を同じくしている自民党政調会長の右翼稲田朋美が6月11日、自民党本部記者会見場で記者会見して新安保法制について憲法に違反するかどうかという議論をこれ以上続けていくことには、そんなに意味がないと思うと発言したマスコミが伝えていた
自民党HPにアクセスしてみた。
《稲田朋美政務調査会長記者会見》(自民党/2015年6月11日(木)15:00~)
力武産経新聞記者「産経新聞の力武です。今日の午前中衆議院の憲法審査会で、憲法の話ではなく安保の話になったんですが、そこで与党側高村先生が与党側の立場を説明されて、野党側も違憲であるというこれまでの主張を繰り返しているんですけれども、お互いに同じような主張・議論の繰り返しなっているんですけれども、この何か平行線のような状態になっているこの議論、この溝っていうのが埋まっていくと思われますか。
それと、どのようにして埋めていくべきか。党としては今後国民に対してどういう風に理解を求めていくのかということについて、どんなことを具体的にお考えになっているのでしょうか」
稲田朋美「こと憲法に関する問題ですので、やはりきちんと説明することは必要だというふうにお思います。それで、飽くまでも憲法審査会の、憲法の学者の方々が言われたことですよね。そして、憲法の最終的な判断は最高裁ということに、憲法の中に書いてあって、そして砂川判決ばかり持ちだすとおっしゃいますが、唯一憲法9条について判示をしたのは、後にも先にもこの砂川判決のみなんですね。
そして、その砂川判決の中の、日本の国の存立が脅かされているときには自衛権を行使できる。その中に個別か、集団的かの区別はないし、更には一見明白に違憲という時以外は、日本の国の存立にかかわる安全保障については国会と内閣に任されているというふうに最高裁自身が判示をしております。
その意味からは、もう憲法に違反するかどうかという議論をこれ以上続けていくことにはそんなに意味はないのかな、というふうに思います。むしろ平和安全法制の中身を議論するべきだというふうに思いますし、その点どうやってこの溝を埋めていくのかは難しいところですけれども、砂川判決で判示されたことについてきちんと野党にも理解してもらって、しかもこの平和安全法制は集団的自衛権の問題だけではなくって、さまざまな後方支援ですとか、グレーゾーンの問題ですとか、PKO、様々な観点がありますので、そういった議論を深めていくことが私は、国権の最高機関としての国会の責務だと思います」――
憲法の最終的な判断は最高裁であって、憲法学者の発言ではない。砂川事件の最高裁判決が個別か集団的かの区別はないものの、既に自衛権の行使はできると判断している。である以上、違憲かどうか議論を続けるのは無意味だと言っている。
つまり砂川事件最高裁判決の自分たちの解釈を絶対正しいという前提に立っている。しかし多くの学識者が砂川事件裁判は日米保条約での米軍駐留が憲法9条に違反するかどうかを問うた裁判であって、集団的自衛権を争点としていない、集団的自衛権行使の可否を判断した裁判ではないとしている。
砂川事件最高裁判決については2度ブログ記事にしたが、改めて安倍晋三と国家主義的精神性を同じくしている自民党政調会長の右翼稲田朋美の砂川事件最高裁判決解釈の見当違いを簡単に指摘してみたいと思う。
判決は日本国憲法は「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである」としている。
いわば主権国家として「固有の自衛権」を持つとしている。
その上で最高裁判決は、「憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない」として、日米安全保障条約は憲法9条に違反していないとした。
但し9条「2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留する としても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」としている。
主権国家として「固有の自衛権」を持つとしていながら、9条「2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」としているところに矛盾があるが、9条2項が保持を禁じている戦力とは「わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」だとしている。
つまり外国軍(ここでは日米安全保障条約に基づくアメリカ軍)が指揮権、管理権を行使する戦力は9条2項が保持を禁じている戦力には当たらないと規定した。だから米軍の駐留は合憲だと。
と言うことは、わが国がその主体となって自衛隊に対して指揮権、管理権を行使した場合の戦力は9条2項が保持を禁じている戦力ということになって、当然そのような性格の戦力の行使は違憲ということになるし、主権国家として個別的自衛権と集団的自衛権を有しているものの、結果的に日本が主体的に行使することになる個別的自衛権と集団的自衛権の行使は憲法違反となる。
この違憲判断を避けるために、9条「2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」という一節を設けたのかもしれないが、米軍の戦力を9条2項の戦力でないとするために自衛隊の戦力を9条2項に相当する戦力として対置させた以上、前者の合憲に対する後者の違憲という対置をも受け継がなければならない。
次に集団的自衛権について。
「右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である」――
「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認している」ものの、「平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み」て、日米全保障条約は「日本の安全と防衛を確保するに必要な事項を定める」ことを目的としているとしている。
「わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状」は「平和条約の発効時において」と時期を限定づけているが、わが国がその主体となって自衛隊に対して指揮権、管理権を行使した場合の戦力は9条2項が保持を禁じている戦力であるとしている以上、「自衛権を行使する有効な手段」を持たない時期は現在もそうであるとしなければならない。
と言うことは、現在に於いても「わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状」に対して米軍が代わって、「個別的および集団的自衛の固有の権利(集団的自衛権)」を行使するという構造を取ることを合憲だとしていることになる。
つまり、砂川事件最高裁判決は日本が自衛隊を使って個別的自衛権にしても集団的自衛権に関しても行使することは違憲だとしていることになる。
なぜなら、堂々巡りになるが、自衛隊を使った個別的自衛権及び集団的自衛権の行使はわが国がその主体となって自衛隊に対して指揮権、管理権を行使する、9条2項が保持を禁じている戦力に当たるとしているからである。
当然、安倍晋三と国家主義的精神性を同じくしている右翼稲田朋美が砂川事件最高裁判決を根拠に「日本の国の存立が脅かされているときには自衛権を行使できる」と言っていることは正しい解釈から外れた最高裁判決ということになる。
また、「一見明白に違憲という時以外は、日本の国の存立にかかわる安全保障については国会と内閣に任されているというふうに最高裁自身が判示をしております」と発言しているが、砂川事件最高裁判決は個別的自衛権行使や集団的自衛権行使等の「安全保障」について判示しているのではなく、日米安全保障条約を対象とした判示であって、安倍晋三と国家主義的精神性を同じくしている右翼稲田朋美は論理のすり替えで誤魔化しているに過ぎない。
判決は次のように謳っている。「本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであって、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した 内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや 否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、それは第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれ に基く政府の行為の 違憲なりや否やが、本件のように前提問題となっている場合であると否とにかかわらないのである」――
「違憲なりや否やの法的判断」にしても、稲田朋美が「国会と内閣に任されている」言っていることに当たる「第1次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきもの」としていることにしても、全ては日米安全保障条約に限定した「判示」に過ぎない。
安倍晋三と国家主義的精神性を同じくしている右翼稲田朋美は論理のすり替えを用いて砂川最高裁判決は個別的自衛権、集団的自衛権を含めた自衛の措置――安全保障を憲法は認めていると発言しただけのことである。