安倍昭恵の17/3/23フェイスブック、100万円寄付否定の投稿は寄付したことの何よりの動かぬ証明

2017-03-27 11:55:57 | 政治

 森友学園理事長籠池泰典が安倍晋三首相から首相夫人安倍昭恵を通じて100万円の寄付を受けたと、いわば暴露したのは森友学園への国有地格安売却問題で現地調査に入った参院予算委員会の委員たちに売却の経緯等を説明し、小学校の建設現場を案内した2017年3月16日である。

 そしてこのことを理事長籠池泰典は1週間後の3月23日の森友学園理事長籠池泰典に対する参院での国会証人喚問で改めて詳しく証言した。

 籠池泰典「昭恵夫人に瑞穂の国記念小学院の名誉校長に就任していただいたのは平成27年(2015年)9月5日にご講演をたまわったときのことです。そしてその9月5日、昭恵夫人は講演の控室として利用していただいた園長室で、私との対面していただいたとき、同行していたおつきの方に席を外すようにおっしゃった後、私と2人きりの状態で『どうぞ、安倍晋三からです』というふうにおっしゃって、寄付金として封筒に入った100万円をくださいました」

 この2015年9月5日に講演を終わった安倍昭恵に10万円の講演料を「感謝」の文字を記した封筒に収めて菓子袋に入れて渡したと証言している。

 翌日3月24日の参院予算委員会で質問のトップバッターに立った自民党西田昌司が質問後に安倍晋三夫人安倍昭恵と籠池の妻諄子の携帯メールの記録を公表したとのことだから、午前中の公表ということになる。

 安倍晋三や西田昌司等々の自民党側はそのメールを都合よく解釈して100万円の寄付の事実など存在していないことの証明としている。

 安倍昭恵は国会証人喚問が行われた3月23日の深夜に自身のフェイスブックに寄付を否定する投稿を行っている。

 安倍昭恵フェイスブック 3月23日 21:23   
フェイスブック
 本日の国会における籠池さんの証言に関して、私からコメントさせていただきます。

 ①寄付金と講演料について

 私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません。この点について、籠池夫人と今年2月から何度もメールのやりとりをさせていただきましたが、寄付金があったですとか、講演料を受け取ったというご指摘はありませんでした。私からも、その旨の記憶がないことをはっきりとお伝えしております。...

 本日、籠池さんは、平成27年9月5日に塚本幼稚園を訪問した際、私が、秘書に「席を外すように言った」とおっしゃいました。しかしながら、私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました。

 また、「講演の控室として利用していた園長室」とのお話がありましたが、その控室は「玉座の間」であったと思います。内装がとても特徴的でしたので、控室としてこの部屋を利用させていただいたことは、秘書も記憶しており、事実と異なります。

②携帯への電話について

 次に、籠池さんから、定期借地契約について何らか、私の「携帯へ電話」をいただき、「留守電だったのでメッセージを残した」とのお話がありました。籠池さんから何度か短いメッセージをいただいた記憶はありますが、土地の契約に関して、10年かどうかといった具体的な内容については、まったくお聞きしていません。

 籠池さん側から、秘書に対して書面でお問い合わせいただいた件については、それについて回答する旨、当該秘書から報告をもらったことは覚えています。その時、籠池さん側に対し、要望に「沿うことはできない」と、お断りの回答をする内容であったと記憶しています。その内容について、私は関与しておりません。

 以上、コメントさせて頂きます。

平成29年3月23日 
 安倍 昭恵  

 西田昌司がメールを公開したのは 3月24日の午前中。そのメールの内容を「産経ニュース」が報道したのは3月24日12時19分。安倍昭恵が自身のフェイスブックで100万円の寄付に関して身の潔白を訴えたのが3月23日21時23分で、約半日前となる。

 身の潔白の証明としてメールの公開だけでは安心できないから、メールの文言が世間に広まる前に改めてフェイスブックで証明しようとしたのかもしれない。

 「①寄付金と講演料について」の文言を見ただけでも、100万円を寄付した何よりの動かぬ証明となる。

 「私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません」と寄付したことも、10万円の講演料を受け取ったとされていることも完全否定してから、「この点について、籠池夫人と今年2月から何度もメールのやりとりをさせていただきましたが、寄付金があったですとか、講演料を受け取ったというご指摘はありませんでした」と書き、このことを全面否定の根拠としている。

 籠池泰典が100万円の寄付を受け取ったと話したのは既に触れたように参院予算委員会の委員たちが国有地売却問題で現地調査に入った2017年3月16日である。

 「この点について」と、100万円の寄付と10万円の講演料に関して「籠池夫人と今年2月から何度もメールのやりとりをさせていただきました」と書いているが、「今年2月から」100万円の寄付が明らかになった2017年3月16日の前日3月15日までの間、もし100万円の寄付と10万円の講演料受領が事実でなかったなら、「この点について」「寄付金があったですとか、講演料を受け取ったというご指摘」はメールの文面に現れないのは当然としなければならない。

 いわば安倍昭恵は100万円の寄付と10万円の講演料受領が事実でないなら、100万円の寄付の話は参院予算委員会の委員たちが国有地売却問題で現地調査に入った2017年3月16日に突然現れた事実であって、3月16日から遡る今年2月までの間は無かった事実でなければならなかったのだから、当然メールの文面には現れない。

 10万円の講演料受領の話は2017年3月23日の森友学園理事長籠池泰典に対する参院での国会証人喚問の場で籠池泰典によって突然持ち出された事実としなければならなかった。

 だが、そういった事実とすることとは無関係にメールの文面に現れないことを以って事実の否定の証明にしようとしている。

 この矛盾は事実の否定を限りなく疑わしさに近づけることになる。

 逆に100万円の寄付と10万円の講演料受領を事実と仮定してみる。

 「今年2月」は籠池泰典が100万円の寄付を受けたとする2015年9月5日か1年5カ月も経過している。「今年2月から」のメールの遣り取りの間、籠池妻は1年5カ月も前の100万円の寄付について何度も何度もメールで触れなければならなかったのだろうか。

 「その節は100万円の寄付有り難うございました」とか何とか等々、何度も感謝を伝えなければならなかっただろうか。

 あるいは安倍昭恵の方から1年5カ月も経っていながら、「その節は10万円の講演料を頂きました、有り難うございました」とか何とか等々、10万円の講演料受領について何度も触れる必要があったのだろうか。

 籠池泰典は「日本会議」大阪支部の代表委員を務めていたというから、同じ天皇主義・国家主義に傾倒している全国の右翼集団の日本会議メンバーから瑞穂の國記念小學院建設・運営資金として100万やそこらの寄付は相当受けていることも考えられる。

 言ってみれば、一般人の中にあちこちから歳暮や中元の品を受け取る者がいるが、何カ月後になっても、「その節は」と、頂いた事実に触れたり、礼を言うようなものであって、自然な出来事とすることはできない。。

 ましてや安倍昭恵が籠池に「安倍晋三からです」と100万円を渡したとき、籠池の方から領収書はどうするか聞くと、安倍昭恵は「それはもう結構でございます」と答えたと参議院の委員たちが現地調査に訪れた2017年3月16日に発言している。

 籠池側は領収書は要らないということなら、表に出してはマズイおカネだぐらいは察しをつける。安倍晋三側にしても国家主義教育を行っている学校法人に一国の首相が100万円も寄付することは隠しておきたい事実だぐらいは世間一般から見ても納得がいく。

 当然、100万円の寄付と10万円の講演料受領については表に出た場合は不都合となる事実として、あるいは安倍晋三側と籠池側の間で隠しておきたい事実として安倍昭恵の方からであっても、籠池妻の方からであっても、メールで「寄付金があったですとか、講演料を受け取ったというご指摘」をする必要などどこにもない。

 いわばメールに書くのを控えなければならない事実であるにも関わらず、「寄付金があったですとか、講演料を受け取ったというご指摘はありませんでした」と、書いてない事実を100万円の寄付と10万円の講演料受領の否定に使う矛盾がここに生じる。

 事実でないと仮定しても、事実だと仮定しても、どちらも矛盾が生じる。この双方共の矛盾は100万円の寄付と10万円の講演料受領が事実だからこそ生じる矛盾であろう。

 当然、「私からも、その旨の記憶がないことをはっきりとお伝えしております」と言っている事実の否定は否定するためのアリバイ作りと見ないわけにはいかない。

 このことはあとで改めて証明する。

 「本日、籠池さんは、平成27年9月5日に塚本幼稚園を訪問した際、私が、秘書に『席を外すように言った』とおっしゃいました。しかしながら、私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました」と言っていることも、安倍昭恵が言っているだけのことで、何の証明にもならない。

 要するにメールには書いていないという事実を100万円の寄付と10万円の講演料受領否定の根拠とする矛盾自体が事実の証明にしかならない。

 100万円の寄付と10万円の講演料受領が事実であるかないかは脇に置いて見ると、確かに籠池妻が自身のメールに寄付と講演料に関しては何の指摘もなかった。だが、安倍昭恵が100万円の寄付についてメールに書いたのは参議院の委員たちが現地調査に訪れた際に籠池がそのことを暴露した2017年3月16日の日付の籠池妻に発信した最後の文面の「100万円の記憶がないのですが」の一点のみである。

 この短い一言について一昨日の当ブログに取り上げたが、100万円の寄付は安倍晋三の首が飛ぶことになるかならないか、時限爆弾となりかねない籠池泰典の証言であって、実際にもそのような取扱いで国会で野党の追及を受けている

 当然、事実でないなら、事実でないことの記憶を明確に蘇らせなければならない重大事であるはずであるし、記憶になくても、過去の事実、あるいは過去の出来事の多くは忘れられた形で頭の中に眠っている状態に置かれているが、他の事実や出来事に触発されて眠っていた事実や出来事が記憶として蘇ってくる経緯を取るから、籠池泰典が2017年3月16日に安倍昭恵を通して安倍晋三から100万円を受け取ったと話したことをニュースか何かで知った時点で、その発言に触発されて一瞬の内に渡したかどうかを記憶として鮮やかに頭に思い浮かべなければならない重大な事実であったはずだ。

 このように重大な事実である上に籠池泰典が100万円の寄付を受けたとしている2015年9月はたったの1年半前である以上、記憶を明確にした上で「私は100万円を渡していません」と強く断定するのではなく、「100万円の記憶がないのですが」と、遠回しの曖昧な記憶として扱っていることは籠池泰典が2017年3月16日に100万円の寄付の話を行ったことを受けた同じ日のメールでありながら、その話に直接的な触発を受けて、100万円を手渡したのか手渡さなかったのか、いずれかに記憶を鮮やかに蘇らせなかったことの証明としかならない。

 もし全てが事実でないなら、極く極く自然なこのような人間の記憶の仕組みに反する遠回しの曖昧な記憶とはならなずに既に触れたように「私は100万円を渡していません」と、はっきりとした記憶に基づいた強い表現になったはずだ。

 ところが、そのような強い表現を取らずに遠回しの曖昧な記憶として扱っていながら、1週間後の3月23日21時23分投稿のフェイスブックでは「私からも、その旨の記憶がないことをはっきりとお伝えしております」と、明確に否定したかのように言い替えている。

 曖昧であるとしていた記憶を明確な記憶と言い替えなければならなかったのことは、100万円の寄付も10万円の講演料受領も事実であって、「100万円の記憶がないのですが」というメールの文言も、「私からも、その旨の記憶がないことをはっきりとお伝えしております」のフェイスブックの文言も、事実を否定するための改めてのアリバイ作りの証明としなければならない。 

 事実でないなら、既に触れたように人間の自然な記憶の仕組みから言って、最初から明確な記憶としていなければならない。当然、言い替えは生じない。

 最初の方で身の潔白の証明としてメールの公開だけでは安心できないから、改めてフェイスブックで証明しようとしたのかもしれないと推測したが、寄付と講演料受領否定のフェイスブックが却ってそれを事実とする何よりの動かぬ証明となるボロを出してしまったようだ。

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