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女性マーケターから見た日々の出来事

「お受験」って親のエゴ?

2005-04-23 10:25:27 | アラカルト
今日の一般全国紙+中日新聞の一面トップは、小中学生の学力テストの結果でした。
讀賣新聞:学力改善兆し…「ゆとり」導入後初の全国一斉テスト
毎日新聞:学力テスト:「好成績」戸惑う文科省 なぜ、上向いたのか
朝日新聞学力低下に歯止め 小中学生45万人学力調査
中日新聞:「ゆとり教育」の小中生学力低下、一定の歯止め04年文科省調査
表現は違いますが、同じ調査を元にした記事です。

さて、この結果を見てどう思われますか?
「ゆとり教育」の批判が相次いでいましたが、それなりの効果もあったようですね。
この「ゆとりの教育」が始まってから、都心部では以前から盛んであった「お受験熱」が、全国へと広まったような気がしています。
「学力低下」の心配から、小中高の一貫教育への期待が高まり、有名私立の小学校への受験熱は、相当のもののようですね。
中には、母親と子どもだけ転居させて、東京の有名名門校へ通わせる方もいらっしゃるようです。
こういうお話を聞くと、「お受験」そのものに疑問を感じてしまいます。
なんとなく「親のエゴ」のように思えてくるのです。

このような「お受験熱」が高まりはじめた頃から感じていたのですが、本当は3歳児には3歳児、5歳児なら5歳児に必要な遊びがあって、それは「お受験準備校」やいろいろなお稽古事では、学べないのではないか?ということです。
自分が子供だった頃は、年齢とともにその行動範囲と交友範囲が広がっていきました。
その中で、仲間のルールというモノを身につけたり、遊びの中から学ぶことがありました。
そのような「学び」の機会を、「お受験」という名のもとに親が奪ってしまっているのでは?という気がするのです。
例えば(東京都心では無理だとは思いますが)虫取りに行って、虫の死骸を見たり、脱皮した抜け殻を発見したりすることは、驚きと生命の力というモノを教えてくれたように思うのです。
それらを、学校で改めて「勉強」することで、よりリアルで身近な出来事として捉えられたという経験は無いでしょうか?
いくら学校の教科書にマーカーを引っ張って、覚えたとしても、それは現実味の無いヴァーチャルな出来事になっているような気がするのです。
そうならないためにも、ご近所のお友達と一緒に幼稚園に通い、その後も一緒になって外で遊ぶことが大切なのでは?

子ども達は、大人が思っているよりはるかに逞しく、コミュニケーションの能力を身につけていると思いますし、その能力も使わなくては退化していってしまうように思うのです。
そして、それを促進させているのは「子どものため」という親の思い込みによる「お受験」なのではないでしょうか?