しばらく前に、讀賣新聞のWEBサイトに「公衆授乳」橋本紡夫妻の場合というコラムが掲載されていた。
この記事を読んだ時、「公衆授乳」という言葉があることをはじめて知ったのだが、同時に何処となく違和感を感じた。
私が子供の頃(1960年代)は、街中で授乳するお母さんの姿を当たり前のように見ていた。
今より随分とのんびりとした時代だった、というコトもあるのだろうし、周囲も嫌悪感無く見ていたように思う。
それが、いつの頃からか授乳するお母さんの姿を見なくなった。
そのことに違和感を感じることは無かったのだが、20年ほど前、出産したばかりの友人宅に行った時、丁度授乳をはじめた友人の言葉に、驚いたコトがあった。
それが「ゴメンネ、おっぱいの時間なの・・・」だった。
その時の友人の顔は、どこか申し訳無さそうで・・・。
その頃から、「人の前で授乳をするコトは、恥ずかしいコト」と思われるようになったのかも知れない・・そんなコトを、この記事を読みながら思ったのだ。
改めてこのコトをエントリしたのは、年下の友人がこの春出産をし、出産祝いをネットで探しているとき「ナーシングカバー(別名:授乳ケープ)」という商品を見つけたからだ。
最近、「母乳育児」を希望するお母さんたちが、増えてきているという。
そのようなお母さん向けに、「どこで授乳しても恥ずかしくないように」というコトで、人気があるという(作り方が簡単な割に、高額なのだが・・・)。
周囲にも気遣いをしながら、赤ちゃんもお母さんもリラックスして授乳できるというのは、素晴らしいと思う。
だが、その前に考えたいと思ったが「人前で授乳することは、恥ずかしいコトなのか?」というコトだった。
母乳育児をされているお母さんたちも、電車の中で授乳をすることはまずないと思う。
でも、記事のあるように授乳場所そのものが限られ、それもほとんどが陰に隠れたような場所というコトが多いように思う。
最近では女子トイレにオムツを替えるベビーシートなどは、設置されている所は多くなったが、授乳場所となると、どうなのだろう?
個人的には、電車でお化粧をしたり、モノを食べたりすることと、公開授乳はまったく別モノだと考えるのだ。
お母さんたちが、もっと堂々と授乳できる社会のほうが、自然だと思うのだが・・・古い感覚なのだろうか?
この記事を読んだ時、「公衆授乳」という言葉があることをはじめて知ったのだが、同時に何処となく違和感を感じた。
私が子供の頃(1960年代)は、街中で授乳するお母さんの姿を当たり前のように見ていた。
今より随分とのんびりとした時代だった、というコトもあるのだろうし、周囲も嫌悪感無く見ていたように思う。
それが、いつの頃からか授乳するお母さんの姿を見なくなった。
そのことに違和感を感じることは無かったのだが、20年ほど前、出産したばかりの友人宅に行った時、丁度授乳をはじめた友人の言葉に、驚いたコトがあった。
それが「ゴメンネ、おっぱいの時間なの・・・」だった。
その時の友人の顔は、どこか申し訳無さそうで・・・。
その頃から、「人の前で授乳をするコトは、恥ずかしいコト」と思われるようになったのかも知れない・・そんなコトを、この記事を読みながら思ったのだ。
改めてこのコトをエントリしたのは、年下の友人がこの春出産をし、出産祝いをネットで探しているとき「ナーシングカバー(別名:授乳ケープ)」という商品を見つけたからだ。
最近、「母乳育児」を希望するお母さんたちが、増えてきているという。
そのようなお母さん向けに、「どこで授乳しても恥ずかしくないように」というコトで、人気があるという(作り方が簡単な割に、高額なのだが・・・)。
周囲にも気遣いをしながら、赤ちゃんもお母さんもリラックスして授乳できるというのは、素晴らしいと思う。
だが、その前に考えたいと思ったが「人前で授乳することは、恥ずかしいコトなのか?」というコトだった。
母乳育児をされているお母さんたちも、電車の中で授乳をすることはまずないと思う。
でも、記事のあるように授乳場所そのものが限られ、それもほとんどが陰に隠れたような場所というコトが多いように思う。
最近では女子トイレにオムツを替えるベビーシートなどは、設置されている所は多くなったが、授乳場所となると、どうなのだろう?
個人的には、電車でお化粧をしたり、モノを食べたりすることと、公開授乳はまったく別モノだと考えるのだ。
お母さんたちが、もっと堂々と授乳できる社会のほうが、自然だと思うのだが・・・古い感覚なのだろうか?