日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

福島第一原発に思うコト

2011-04-04 12:46:24 | 徒然
被災された方々は、こころ引かれる思いで少しづつ前へと歩みはじめたというニュースが多くなってきた。
「生活がある限り、生きていくためには前へと進むしかない」というコトなのだと思う。
大切なコトは、「失われた命を思いつづけ、いのちを感謝し、自然を畏れる」ということなのかもしれない。

そんな中で、前進していないことがある。
ご存知の「福島第一原子力発電所」だ。
逆に、日を追うごとに「一体どうなっているの?」と、疑問と不安が高まるばかりだ。

「冷却をすれば大丈夫」と言われ、放射能という目に見えない相手に立ち向かったハイパーレスキューの方々や自衛隊の方々の活躍から随分経ったが、その後から「実は、××施設が被害を受け、水が洩れ、周囲の放射能の数値が上がっている」というニュースがここ数日間、毎日のように聞かれる。
決して「後だし情報」だとは思わないが、「もっとシッカリしてよ、東京電力さん」という気になってしまう。
「それだけ、被害が甚大で想定外だった」と言われればそれまでだが、先週には、「実は今回の津波の想定は既にされており、東京電力も知っていた」という一部報道もあり、ますます東京電力に対する不信感が高まるばかりだ。
とすれば、「何故、対策をとらなかったのか?」という、単純な疑問も多くの人たちが持ち始めているのでは?
まるで、周辺住民と従業員の安全と引き換えにコストカットを実施したツケが、今回の震災で白日の下に晒された、という雰囲気さえ漂いはじめている。

もう一つ気になるのは、次々と明らかになる情報の一部は震災当時に分っていたらしい、という点だ。
このようなことを聞くと、「東京電力内では、ビジネスの基本『ほう(報告)れん(連絡)そう(相談)』すらできないほど、硬直化した組織だったのか?」と思ってしまう。
確かに、電力会社は「市場競争がない」という特異な民間企業だ。
だからと言って、ビジネスの基本中の基本「ほうれんそう」すら機能しないような組織となれば、問題どころか唖然としてしまう。

福島第一原子力発電所の被災は、色々なことを考えさせてくれた。
個人的には「原子力発電」というモノは、人が手をつけてはいけないモノだったのか?と、思うコトもある。
というのも「際限なく反応を起こしつづけるという作用を制御する」という説明を聞いて、多くの人が死をイメージする「がん(=細胞の際限のない増殖の暴走)」と似ていると感じたからだ。
もちろん、「がん」と「原子力発電」はまったく違うモノだ。
だが「人が制御し切れない状況に陥るコトがある」と、言う点ではどこか似ているように感じている。
とはいっても、既に起こってしまったことに対して、被害を最小限にとどめる努力をしつづけなくてはいけないことには、変わりないのだが・・・。