先日、東京で「反原発デモ」があったようだ(紹介記事は「ガジェット通信」より)。
新聞などの大手メディアが殆ど報じていないこともあり、余り知られていないようだ。
この記事を見たとき、私にとってはとても懐かしいことばを見た。
デモ参加者たちが掲げている、「NO NUKES」ということばだ。
私と同世代以上の洋楽ファンの方にとっては、とても懐かしく、そしてある思いのある言葉なのではないだろうか。
というのも1979年、米国スリーマイル島での「原発事故」をキッカケに、急速に全米各地で反原発という運動が広がっていった。
その運動の中心に、数多くのミュージシャンがいた。
そのミュージシャンたちが、自発的に集まり「NO NUKESコンサート」を開催したのだった。
当時は、「70年代のウッドストック」のような呼ばれ方もされたのだった。
同じ年には「チャイナシンドローム」という、原子力発電所事故を取り上げた映画も製作され、日本でも話題にもなった(日本公開は、映画公開はスリーマイル島事故の後だったのだが、米国公開はスリーマイル島事故の前だったようだ)。
映画「チャイナシンドローム」は、アカデミー賞他数々の映画賞を受賞したこと、主演女優のジェーン・フォンダの社会的発言などで、注目を浴びたように思うのだが、「NO NUKESコンサート」のほうは、一部音楽雑誌などで「コンサート内容」が紹介された程度で終ってしまった。
日本ではその当時からメディア的には「原子力(発電)」そのものが、アンタッチャブル的存在だったのかも知れない。
政治的には、強力に「原子力発電推進」政策をとっていた時代だったからだ。
それが逆に、洋楽ファンにとって「NO NUKES」という言葉と共に、記憶に残っているような気がする。
それから30年以上の時間が過ぎ、米国では再び「原子力発電」に注目し、今回の「福島第一原子力発電所事故」が起きた。
なんと皮肉なことだろう。
だが、当時のミュージシャンたちが一生懸命に訴えていた「自然エネルギーへの転換」というコトは、30年経っても殆ど進んではいない。
もちろん、技術的な面では大躍進をしているのだと思うのだが、「原子力に変わるエネルギー」とはなっていないのが現状だろう。
もし、30年前のスリーマイル島事故をキッカケに、世界中がエネルギー転換を積極的に行い、その中心に日本がいればどうなっていたのだろう?
「たら・れば」の話をしても意味がないと思うが、少なくとも今回の「福島第一原子力発電所事故」は、世界中がエネルギー転換を考える大きなキッカケとなるような気がする。
新聞などの大手メディアが殆ど報じていないこともあり、余り知られていないようだ。
この記事を見たとき、私にとってはとても懐かしいことばを見た。
デモ参加者たちが掲げている、「NO NUKES」ということばだ。
私と同世代以上の洋楽ファンの方にとっては、とても懐かしく、そしてある思いのある言葉なのではないだろうか。
というのも1979年、米国スリーマイル島での「原発事故」をキッカケに、急速に全米各地で反原発という運動が広がっていった。
その運動の中心に、数多くのミュージシャンがいた。
そのミュージシャンたちが、自発的に集まり「NO NUKESコンサート」を開催したのだった。
当時は、「70年代のウッドストック」のような呼ばれ方もされたのだった。
同じ年には「チャイナシンドローム」という、原子力発電所事故を取り上げた映画も製作され、日本でも話題にもなった(日本公開は、映画公開はスリーマイル島事故の後だったのだが、米国公開はスリーマイル島事故の前だったようだ)。
映画「チャイナシンドローム」は、アカデミー賞他数々の映画賞を受賞したこと、主演女優のジェーン・フォンダの社会的発言などで、注目を浴びたように思うのだが、「NO NUKESコンサート」のほうは、一部音楽雑誌などで「コンサート内容」が紹介された程度で終ってしまった。
日本ではその当時からメディア的には「原子力(発電)」そのものが、アンタッチャブル的存在だったのかも知れない。
政治的には、強力に「原子力発電推進」政策をとっていた時代だったからだ。
それが逆に、洋楽ファンにとって「NO NUKES」という言葉と共に、記憶に残っているような気がする。
それから30年以上の時間が過ぎ、米国では再び「原子力発電」に注目し、今回の「福島第一原子力発電所事故」が起きた。
なんと皮肉なことだろう。
だが、当時のミュージシャンたちが一生懸命に訴えていた「自然エネルギーへの転換」というコトは、30年経っても殆ど進んではいない。
もちろん、技術的な面では大躍進をしているのだと思うのだが、「原子力に変わるエネルギー」とはなっていないのが現状だろう。
もし、30年前のスリーマイル島事故をキッカケに、世界中がエネルギー転換を積極的に行い、その中心に日本がいればどうなっていたのだろう?
「たら・れば」の話をしても意味がないと思うが、少なくとも今回の「福島第一原子力発電所事故」は、世界中がエネルギー転換を考える大きなキッカケとなるような気がする。