日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「企業の筋トレ」

2005-01-20 11:57:01 | アラカルト
今日、面白い新聞コラムを読みました。
日刊スポーツのWEB版「新弥のDAYS’」というコラムです。

野球などは、今がシーズンオフということもありスポーツニュースなどでは、選手の自主トレのシーンが放送されています。
スポーツ選手は、シーズンオフのこの時期1シーズン戦うための基礎体力トレーニングを自主的にしているわけですが、果たして企業はどれだけ「直接利益に結びつかないが、利益を生み出すための教育」をしているのでしょうか?

バブル崩壊後、企業の多くが「3K」の切捨てをしました。
「厚生、教育、広告」の3つです。
厚生の分野では、独身寮や保養所の売却などが上げられます。
広告については、広告そのものを減らす等です。
そして社内教育という点でも、新人研修の期間短縮や社外研修の廃止などがありました。
私の場合、実は学生時代にマーケティングを勉強した位で、実質的な教育というモノは2回受けただけです。
という訳では有りませんが、仕事で本格的にマーケティングに携わるようになってから、改めて自分で勉強をし直した次第です。
でも、これが良かったのかも知れません。
マーケティングは「現場」が大切な実学ですから、直接現場を見て、話を聞くことが、そのまま勉強になりましたので。

最近、企業でもOJTレベルの研修すら、実施していないように感じることがあります。
電話応対や打ち合わせでの言葉使いなど等、以前は「出来て当たり前」と思っていたことが出来ていないことがあります。
そして・・・もう少し自分の職務以外のことにも興味をもって勉強をしてもらいたい!と感じることも多くなりました。まぁ、それだけ「年寄りになった」ということなのかも知れませんが(爆)。
というのも、何かにつけて「自分で考えるよりも、回答を聞きたがる傾向」があるように感じるのです。
仕事に「正解」というモノは、殆どないと思います。
むしろ1+1=2ではなく、1+1=3とか4になることを考え実現化することが、求められるものですから。

景気回復の兆し停滞の今、企業もオンシーズンに向けたスタッフの「知的筋トレ」が必要となってきているのでは?
それは、個人についても同様ですが。



失ったものの大きさ-ブランド力-

2005-01-19 11:59:34 | マーケティング
今日の日経新聞インターネット版に、「三菱自動車の支援」という記事が出ています。
一昨年あたりから噴出した、欠陥車問題で「三菱自動車」という名前は大きく傷ついてしまいました。

昨年秋から自動車メーカーは、新車ラッシュです。
特にワンボックスタイプのものからセダンやスポーツタイプへと、シフトしているかのようなCMの嵐。
もちろん、これまで人気だったワンボックスタイプもリニューアルしてきています。
しかし、そこには「三菱自動車」の名前はありません。
確かに、「三菱自動車といえばパジェロ」と言われるくらいRV車というカテゴリーで、自動車の市場を引っ張ってきたいたので、他のタイプでは難しいという要素はあったのかも知れませんが。
それを割り引いても、今の日本における自動車市場での地位は、見るも無残な状態ではないでしょうか?

RV車が人気を博していた時、トヨタや日産もRV車を積極的に展開していました。
でも、生活者は「RV車を購入するなら、パジェロ」という気持ちがあったと思います。
「パリ・ダカールラリー」のような過酷なレースに参戦することで、パジェロという車の素晴らしさを、伝える努力を10年以上してきたということで得た「市場からの信頼」によるものが大きかったと思います。
それが、「リコール隠し」という会社の社会に対する倫理観の欠如によって、一瞬のうちに失われてしまったのです。

それ以前にも、雪印乳業及び関連会社による食中毒や偽造表示などの一連の事件によって、企業そのものが社会から姿を消してしまいました(現在でも雪印乳業はありますが、牛乳製品及び飲料製品などにおいては「メグミルク」というブランド名を主に使用)。

私たちがモノを買うとき、イロイロな検討をしています。
価格や商品そのものの品質、手に取ったとき感覚や「口コミ情報」などなど。
その中でも、企業に対する「親しみ」や「有名である」といったことも、その判断材料のひとつです。
例えば、「新潟県魚沼産コシヒカリ」という表示を見たとき、「とても美味しいお米に違いない」と思い、「やや高くても欲しい。」という気持ちになって購入するということは、ありませんか?
それが「ブランド力」なのです。
「ブランド」は、「社会との信頼という約束」を現しているかもしれません。

今回の三菱グループによる、三菱自動車支援策というのは「失ってしまったブランド力」の大きさを改めて示すモノです。
昨今、企業の多くは「ブランド構築」に躍起になっています。
「キャッシュフロー」としては現れない、「無形の資産」であり「顧客との大切な接点」となるモノ。
それが「ブランド」だからです。

メディアの危険性-NHKの番組変改-

2005-01-18 12:15:27 | 仕事のコツ
昨年暮から、NHKが揺れている。
ことの発端は、「紅白歌合戦」のプロデューサーが詐欺行為をしていたことだった。
それから、出るわ出るわの大騒ぎ!!
海老沢会長辞任を労働組合が請求するような事態になったのに、肝心の海老沢さんは「辞任すると示唆」しただけで、いつ辞めるのか分からない状態が続いている。
そして今回の、NHKの番組に自民党の偉い人が番組の内容を一部変更させたとか、させなかったとか・・・。
このことを、報道した朝日新聞には「取材経過」を今日掲載しています。
誰かが嘘をついていることになるのですが・・・。

それよりも、気になることがあります。
NHKは「みなさまのNHKだから受信料を払ってください。その受信料で番組制作をしています。」と話しています。
でもNHKの予算は、国会で決まります。
国会で予算が決まる=税金でNHKの経営が成り立っている。ということになりませんか?
では、受信料はどこへいったのでしょう???
受信料は、番組制作費にのみに使われていて、職員の給与は税金で賄われているということでしょうか?
どうも、そこが見えてきませんね~。
何でも、NHK放送会館に行って「事業報告書を見せてください」と言うと、見せてくれるらしいのですが、入館申請を書いて、チェックを受けて「見せて下さい」とお願いするというのも、本末転倒だと考えますが・・・(これは、受信料支払い拒否をしたときに、NHKの職員さん二人がかりでお見えになって話されたことです)。
もうひとつ。
国会で予算が決まるのであれば、政治の力が何らかのカタチで関わることは至極当然だと思うのです。
とすれば、「放送の公平性が、失われている」ということにもなってしまいませんか?

もしかしたら、NHKが言いたいことは「ひとつの情報を鵜呑みにしてはいけない」ということではないでしょうか?
その物事の本質を見るために、いくつモノ情報を集めて多角的に見ないといけない」という・・・。
そして「海老沢会長が辞任」しても、受信料を支払うことを検討するべき!という教えでしょうか?

マーケティングって何?

2005-01-16 23:33:04 | マーケティング
先日の「知的財産」と企業について、あきっちさんからコメントを頂きました。
ありがとうございます。
そして、質問を頂きましたので私なりの回答をさせて頂きたいと思います。

「マーケティングの評価」
とても難しいと思います。
というのは、マーケティングの仕事とされる守備範囲がとても広く、数値的な判断ができないからです。
ただ、多くの企業は「企業貢献度」というモノでされていると思います。
残念ながら、その評価基準は企業によって様々ですので、その程度の回答しかできません。
自分の経験から言いますと「売上実績」が、ひとつの判断材料とされたことはあります。
といっても、売上を作るのは営業や販売という「現場」ですので、営業職の人たちの2割程度でしょうか?
あと・・・私の場合は「男女雇用機会均等法」前から担当していたので、「一般女子平社員」の扱いでの評価でした(苦笑)。

「マーケティング経験者の研究者転職」
今、企業の間ではマーケティングが、ブームのようですね(苦笑×2)。
実は、この「マーケティング・ブーム」は2回目です。
1回目は、バブル真っ盛りの頃。
何かにつけて「これからは、マーケティングだ!!」と、マーケティングの意味もわからないまま、マーケティングスタッフを雇い入れていた企業は、少なくないと思います。
当時は「マーケティング=販売ノウハウの提供」とか「マーケティング=市場調査」と捉えられていたからです。
しかし、バブルが崩壊したとたん、リストラの嵐がマーケティング担当に吹き荒れました。
なぜなら、実質の売上に貢献している数字が見えなかったからです。
そして、社会が大きく変わり「顧客満足」ということが、盛んに言われるようになりました。
そこで企業が、研究開発のときから「顧客満足度の高いモノ」を市場に出そう!ということで、コンサルタント会社出身や営業出身の転職者を募集するようになったのだと思います。
ただ、あきっちさんが指摘されている通り「流行で採用している」のであれば、とても危険だと思います。
というのも、バブル崩壊後多くの企業がマーケティング組織を荒廃させてしまったために、企業のマーケティング担当者自身も「マーケティングを知らない」という可能性があるからです。
転職者自身が、どれだけマーケティングについてのトレーニングや勉強をしてきているのか、分からないからです。
「多角的視点で、研究開発をする」ということは、とても大切なことです。
でも、それは現在の研究者であっても可能だと思います。

「マーケティング論」を体系づけた、ノースウェスタン大学ケロッグ・ビジネス・オブ・スクール教授P.コトラー氏は「真のマーケティング組織では、誰かひとりあるいはある部門だけマーケティングの責任を課すのではなく、むしろ全員がマーケティングの責任者となるべきである」と話しています。
企業が社会の一員として存在するためには「顧客の利益を優先する」という考えを、企業に携わる総てのスタッフが持つこと。それが、一番大切なことです。

あの日から10年・・・

2005-01-16 12:37:42 | アラカルト
10年前の1月17日早朝、私はまだまだぬくぬくとしたお布団に包まれて、幸せな夢心地の世界に浸っていた。
そこに突然突き上げるような揺れ、そして横揺れ。
目覚し時計代わりにタイマーをセットしているラジオから、訳のわからない放送が流れ始めた。
これが、私にとっての「阪神淡路大震災」の最初でした。
名古屋に住んでいるので、その時の神戸周辺の状況など知る由もなく、ラジオ放送が震災地に近い大阪からのレポートだと分かるのに、2・3分はかかったと思う。

当時、会社員として仕事をしていた私にとっても「阪神淡路大震災」は、大きなターニングポイントとなった。
仕事の関係で関西への出張なども多く、神戸にも何度か行っている。
会社の食堂にあるテレビで見たニュース画面には、仕事で何度も行った見覚えのある神戸の町が、燃え上がっていた。
「お仕事でお世話になった、皆さんは大丈夫?」ということが心によぎるのだが、連絡する術もなければ、何も分からない。
販売会社ということもあり、スタッフの多くはお客様の安否をとても心配していた。
ただひとり、私の上司を除いては。

販売会社の本社スタッフというと、企画や管理の仕事をしていて「現場」から遠く離れたところで仕事をしている。
その代わりに、「日々の売上数字を追う仕事ではないのだから、長期的視野にたってお客様との信頼関係を築くことを考えなさい」ということを、要求される職場だった。
おかげで、マーケティングという仕事をさせて頂くことができたのだが・・・。

翌日、被災地の状況が次々と明らかにそして急速に広がっている様子が、テレビのニュースが伝える。
その日は、震災を免れた関西方面からの来客予定があった。
そして、その方は様々な交通手段を使って、1時間ほど遅れて来社されたのだった。
応接室へ案内し、お茶を持って再び応接室に行った時、お客様と上司の会話を聞き、私は「このひととは、これ以上仕事を一緒にはできない」と思った。
その内容は、以下のようなものであった。
お客様:「この度は、御社も大変でしたな~」
上 司:「イヤ~、地震で関西の倉庫のスプリンクラーが誤作動をして、商品がずぶ濡れですわ」
お客様:「・・・(絶句)」
 私 :「・・・(この人、状況判断ができない)」

マーケティングというモノは、「企業の利益のため」だけにあるのではありません。
いかに「企業・社会と生活者が、信頼のある、しあわせな関係を創っていくのか?」ということを考えることが、基となるのです。
そのことを忘れたら、企業は社会の一員として存在することすらできません。
「企業(利益)ありき」ということは、ありえないのです。
でも、その時の私の上司は「大震災時」という、緊急事態で「企業利益」しか考えられなかったのです。
いくら「全共闘世代として、体制と戦った」という武勇伝を話しても、結局は「企業という体制」に染まっていることが分からない人だったのです。
緊急時であればあるほど、その人の本質がわかりますね。

1年後、私はフリーランスのマーケターとなる道を探るように、会社を辞めました。

疑問を持つ大切さ

2005-01-15 14:09:07 | Weblog
今週、なぜかアクセス件数がこれまでにないくらいありました。
特に「受験食」を書いてから増えたことを考えると、タイムリーな話題だったのか?と思えるのですが、その後も同じような状態となっていることに、こちらがやや驚きの状態です。
といっても、元々細々とやっているので「これまでにないくらい」と言っても、古田選手のブログには足元どころか影すら遠く及びませんが・・・。

そのような状況の中、コメントを下さった方がいらっしゃいます。
「多様性のある社会」にコメントを下さった、ttkttさん。
「求められる学力」にコメントを下さった、nqさん。
ありがとうございます。
特にnqさんのコメントには、考えさせられるところがありました。

身内に公立中学校で、教員をしている者がいます。
「ゆとり教育」ということに関しては、教師自身が様々な受けとめ方をし、迷っているように感じています。
というのも、「この方程式は、こうやって解きなさい」という問題をソツなくこなしてきた人たちが、現在教師をしているからです。
「ひとつの回答を求める」ことが得意な人たちが、教師として活躍している。ということになるのかも知れません。
そして、それは教師だけではなく、多くのサラリーマンも同じだと思います。

「答えがひとつ」というのは、とても明快で分かりやすいと思います。
ただ「ひとは、それほど明快でもなければ、分かりやすい存在ではない」ということだと思います。
「自分と違う」というひとや考えに対して、「どうしてなの?」と疑問を持つこと、そして尋ねることなどからnqさんが指摘された「総合的知力」は、身につくことだと思っています。
そのような観点から「総合学習」をみたとき、「理想とするゆとり教育」の基盤となるような気がします。
「すべての生徒に高度な総合的知力」を義務教育に求めているのではない、と思います。
成長段階に応じた、理解度等があると思いますし、学習分野によって「得て不得手」があると思いますから。
問題なのは「評価のモノサシ」を、今誰も持っていないということでしょうか?
ひとつ言えるとすれば、同僚教師やPTAではなく「子供達の学習意欲」が評価となると思います。

ちなみに、私は「どうして?」ということばかりが気になる「教室のお荷物のような子ども」でした。
それでも、「超詰込み教育時代」に義務教育を受け、普通に大学受験もしました。
両親が余り期待していなかったのが、良かったのかも知れません。


引退、誰が決めるの?-セルフマネージメント-

2005-01-13 23:45:01 | 仕事のコツ
スポーツナビに「来年の古田選手」について球団社長がコメントという記事が、Upされています。
この記事を、読んだ古田選手はどんな気持ちになるのでしょうか?

この記事で、違和感を感じるのは「プロスポーツ選手の引退を決めるのは誰?」ということです。
野球でもサッカーでも、今は契約更新の時期です。
志半ばで、その舞台から去らざる得ない人もいれば、怪我などの理由から去っていく人もいるでしょう。
期しくも昨日の日刊スポーツには「21歳東京MF今野がC級コーチ講習会参加」(※)という記事が出ています。
記事の中に「サッカー選手の平均的活躍期間は、約5年。引退平均年齢25歳」とあります。
若いですね・・・大学を卒業して2年余りで、一度目の引退です。

しかし、普通に企業で働くサラリーマンもいずれ「定年退職」という引退がやってきます。
今は、社会状況などの理由で50代でも「早期退職」というカタチで、退職される方も少なくない状況です。
一介のサラリーマンであっても、自分で自分の引退を決めなくてはいけなくなってきています。
社会学者のPFドラッガー氏は、いくつかの著書で「NPOやボランティアなどの活動に参加して、仕事以外の自分を発揮する場所を見つける」ということを、提案しています。
それも、自分の強みを生かしたことに携わるべきであると。
自分の強み、ってなかなか分からないものです。
その為に必要なことは、自分自身をマネージメントすることが大切だとも。
自分自身をマネージメントする。というのは、大変なことです。
でも今後2・3年以内に始まる、団塊の世代の定年退職を考えれば重要なことでしょうね。

ちなみに、古田選手は朝日新聞土曜日版「be」の「フロントランナー」のインタビューで、「将来は、GMになりたい」と答えていらっしゃいました。
さて、「引退勧告」のようなことをほのめかした球団社長は、この記事なんと読んだのでしょうか?

※サッカー「C級コーチ講習」とは
毎年、シーズンオフに現役選手を対象に行われている、指導者になるための資格講習会。
サッカーの場合、取得級により指導できる対象が決まる。
Jリーグの監督になるためには「S級」が必要。

「知的財産」と企業

2005-01-12 23:00:37 | マーケティング
昨日和解した「青色LED訴訟」ですが、どうやら研究開発した中村教授は納得した「和解」ではないようですね。
今度は、日本の司法制度に怒り心頭!のようです。

今回のことで見えてくるのは、「企業における知的財産と研究開発者との関係」です。
8億円余りの和解金額が、高いか安いかはそれぞれの立場や考えがあると思いますので、ここでは言及しません。
むしろ、「これからの日本の企業のあり方」について、考えてみたいと思います。

日本の企業が、あらゆる世界の舞台で活躍するようになった背景は「ひとの快適さ」や「こんなものがあったらいいな~」というモノを、具体的にカタチにすることができたからです。
「生活者の利益によって、企業の利益はもたらされる」という、ステークホルダー(=企業と関係のある総てのひと・企業・自治体のこと)重視があったからです。
それが、企業に膨大な利益をもたらす「知的財産」となったわけです。
問題はこの「知的財産」が、「キャッシュフロー」として計上できないために、いくら特許を取得しても直接的に企業利益をもたらすためには、時間がかかるばかりか、場合によっては利益をもたらさないモノになってしまう可能性もあるのです。
その為、多くの企業は最小リスクでとどめるために、「報奨金制度」を取っていたのではないでしょうか?
ただ、これから技術者や研究者が積極的に自分の持っている能力を評価してくれる企業へと、渡り歩くような社会となっていくと、企業もそれなりの対応に迫られてきます。

企業の技術開発責任者に求められることは、「今生活者が、社会が求めているモノは何か?」ということを多角的で俯瞰図の感覚で見られる「マーケティング・アイ」なのでは?
そして、研究者も研究室に籠もっているのではなく、街に出かけイロイロなモノを見聞きしたりするような行動力が必要になってくると思います。

研究者の皆さん、マーケティングって、面白いですよ!
時には研究室から街へ出かけて、ヨン様に熱狂するオバサマを見てみません?
研究開発責任者の方は、熱狂するオバサマを斜に構えて見るのではなく「どうして?」という疑問を持って、見てみてください。
今の生活者の一面が見えてきますから。




求められる「学力」-変化する入試と社会-

2005-01-12 13:58:48 | アラカルト
昨年暮に「学習到達度調査」についてのブログを書きました。
「学力」についての調査は、理数系のテストでも行われています。
これらのテストの結果で明らかになったことは、日本の子供達は以前に比べ「読解力」等が、低下してきているということでした。
このようなテストが注目される背景には、「入試」そのものが変化してきているようなのです。

「ベネッセ教育総研」のレポートによると、昨年度千葉県の公立高校入・国語の問題では「相手に、道順を教える」という設問があり、ほとんどの受験生ができなかったようです。
「相手にどうやって分かってもらうのか?」「分かりやすい説明」という、国語の力のほかに「地図を読取る」社会科の力が必要な問題です。
「漢字の書き取りや文法が分かれば、何とかなる」という問題ではありません。
もしかしたら、数学なども「方程式を解く」のではなく「方程式の意味を考える」モノに変わっていくかも知れません。

これは、受験だけの問題でしょうか?
おそらく、今の社会もこのような変化を求めているのではないでしょうか?
「文系的視野で発想できる科学者」や「理系的思考で問題解決ができる文系出身サラリーマン」ということです。
そういう人材が、企業内にたくさんいないと豊かな発想も生まれてきませんし、企業に膨大な利益をもたらす「知的財産」となる研究開発もできませんから。
その為には、教科書に書いてあることを丸暗記するのではなく、時には疑問に思ってみたり専門外のことにチャレンジしてみたりして「自分で考え、創造し、複眼的思考を身に付ける」ということが、必要な気がします。

ところで・・・今の学校の先生は、「変化する社会に対応できる教育」大丈夫ですか?

「受験食」 カツでは勝てない?

2005-01-11 13:12:01 | アラカルト
今週末には、センター試験がありますね。
共通一次初期世代としては、「アァ、そんなシーズン?」思わず遠い目・・・になってしまう訳です。
今日、書店で「力をだしきる!受験前日と当日の食事とお弁当」という特集の雑誌を見つけました。
パラパラと見てみると、私の頃(20○年前)とは大きく違うようです。
そして、このブログを書き始める少し前にお話を伺った、スポーツ栄養士の先生のお話を思い出しました。

この時期は、縁起を担いで「受験に勝つ!」ということで、「豚カツ」等を食卓に並べるお母様方も多いかと思います。
スポーツの大会などでは「試合に勝つ!」と願いもあり、お弁当のおかずに「カツ」を用意されるお母様も多いとか。
しかし、「豚カツ」は消化に時間が係り過ぎるので、余りお勧めではないとのコト。
すなわち「消化に時間がかかる→脳の栄養素であるグリコーゲンになりにくいが、満腹感が強い→試験や試合に集中力できず、散漫になる=力が発揮できない」ということのようなのです。
もし食べるのであれば、前日のお昼がベストだそうです。

そして、前日の夕飯は消化のよいたんぱく質を中心に炭水化物やミネラル分を考慮して、バランスの良いメニューに心がける。
当日は、脳を働かせる「グリコーゲン」の素となる、炭水化物を消化の良いカタチで。
もちろん、果物などをサブ的に用意するのがベストだそうです。
この「消化の良いカタチの炭水化物」というのは、おかゆや雑炊などです。
朝食が満足に取れない場合は、未完熟のバナナ(=黄色く熟れているが、黒い斑点が無い状態)に牛乳やヨーグルトをプラスすると良いそうです。
スポーツの場合、意外にも「あんまん」を代用として食べることもあると、スポーツ栄養士の先生がお話していました。
確かに、「あんまん」の餡はグリコーゲンの素になりそうな「糖質」が多く含まれていますし、小豆そのものの栄養も見逃せませんから、案外効果的なのでしょう。

お昼のお弁当に「カツ」を入れるというのは、もちろんOUT。
「カツ」だけではなく、から揚げなどの揚げ物も消化時間がかかるので、不向きだそうです。
シンプルな梅干のおにぎりに卵焼き、ハムタマゴのサンドイッチなどありきたりなお弁当のほうが、いいそうです。

こうやってメニューを見てみると、栄養学が発達したのか?それとも一般化したのか?だいぶ違いますね。
試験当日は、親も気負わず平常心ということでしょうか。

ちなみに、今日コンビニエンスストアーで「きっとサクラサクよ!」という小さなのぼりも、お菓子の棚にありました。
昨年、話題になった「キットカット」の受験応援グッズも販売なのですね。
昨年よりバージョンアップして、五角形のマグカップでした。
エッ!なぜか?「キット合格」ということだそうです