日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

堀江さん、地元が違いますよ!

2005-06-19 10:23:02 | スポーツ
今日のスポーツ報知にホリエモン因縁の地でJ“参戦”J2ベガルタ仙台の支援約束という記事げ掲載されている。
今月は、サッカーの話題で世間は大盛り上がりだが、盛り上がっているのは「日本代表」くらいなモノで、Jリーグのナビスコ杯やJ2などは試合中継なども殆ど無い。
特にJ2については、地元以外で話題になっているとは思えないほど低調。
そんな中、ライブドアの堀江社長がJ2の「ベカルタ仙台」の試合を観戦に行ったようだ。
そして、「スポンサー契約を検討している」との発言も、飛び出したらしい。
とてもコアなサッカーファンであれば、「だったら、『サガン鳥栖』のスポンサーになってやれよ!」と呟いているのではないだろうか?

「ベガルタ仙台」は2002年J2からJ1に昇格をし、当時はチームカラーから「黄色い旋風」と言われるほど、熱心なサポーターがいる。
しかし、あえなく1年で降格し現在はJ2で戦いながらJ1昇格を目指している。
「サッカーがよく分からない」と言われる理由の一つが、チーム数の多さとこのJ1、J2と言うカテゴリー分けである(時々、「野球の1軍と2軍だろう」と思われる方がいるようですが、チームの実力差で二つのカテゴリーに分かれていて、メジャーリーグのA1、A2などに近いと思ってください)。
同じようにリーグを分けているスポーツは、サッカーの兄弟分であるラグビー(トップリーグと社会人リーグ)くらいなものだろう。
尚且つ、「地元密着」だとか「三位一体の協力関係」等という言葉が飛び交ってくると、野球ファンやサッカー(やラグビー)に興味の無い人は、チンプンカンプンになってしまうのだろう。
「地元密着」というのは「ホームタウン構想」という考え方で、今のJ1の殆どのチームが元々企業スポーツから始まったことから強く打ち出されている。
親会社がチームを丸抱えするのではなく、別会社とし地域社会に還元するような仕組みを持つと言うこと。
一例としてあげるならば、ユースチームや子供向けのサッカー教室を持つことが義務付けられている。
そして「三位一体の協力関係」は、「親会社と地域の自治体、そしてサポーターそれぞれが協力しあって、サッカーと言うスポーツを盛り上げていきましょう」という考え方なのである。
その優等生チームとして名前があがるのが「アルビレックス新潟」であり、以前は「鹿島アントラーズ」だったのである。

で、堀江さんが興味を示した「ベガルタ仙台」は、J2のチームの中でもサポーターも地元自治体も協力的なチームで、戦績も現在4位と言う状態。
スポンサー企業も地元企業を中心に、チームを盛り立てていると聞く。
むしろ、佐賀県の鳥栖市をホームタウンとしている「サガン鳥栖」のほうが、危機的状況なのだ。
このチームは、毎年のように「チームの存亡」が囁かれ、社長さんも何度か変わっている。
とにかく、チーム財政が緊迫しているだけでなく、地元自治体である鳥栖市そのものも余り協力的ではないと言われている。
スタジアムなどは、とても立派なモノなのだが「ハコモノ行政」の典型のような自治体なのである。
もちろん、その背景には市の税収を使ってチームを維持してきたことへの、反発と言うものもあるのだが・・・。
そのために、今年春にはJリーグから「チーム解散」の示唆までされた。
事実「サガン鳥栖」は、以前「鳥栖フューチャーズ」というチーム名で活動していたが、解散を余儀なくされ、熱心なサポーターの活動で「サガン鳥栖」というチーム名で再出発している。
それこそ、サポーターの熱意だけが頼りのチームと言っても過言ではない。
堀江さんの出身地・久留米に近いところに、そんな危機的状況のチームがあるのだから、応援スポンサーになって欲しいと思うのである。

尚、8年前W杯フランス大会初出場をかけて戦っていた「日本代表」を後押しした、サポーター・ソング「翼を下さい」は、 「鳥栖フューチャーズ」存亡の時、鳥栖のサポーターたちがチームのために歌っていたものである。


夏風景-ゆかたの話題-

2005-06-18 23:20:08 | トレンド
今日、久しぶりに百貨店へ行った。
取り立てて目的があったわけではないので、キョロキョロ物見遊山的な感じの「買い物」。
名古屋の場合、百貨店と並んでショッピングスポットというのは「地下街」ということになるのだが、人目を引くのは「ゆかた」のディスプレイ。
7月になれば各地で花火大会が行われ、ゆかた姿の若い女性の姿が街中を闊歩するようになる。
という訳でもないのだろうが、讀賣新聞と毎日新聞のWEB版にそれぞれ「ゆかた」の話題がUpされている。
浴衣の魅力をPR…モデル16人、高島屋で華やかにというのは、讀賣新聞。
一方、毎日新聞は浴衣:モデルが着こなし方アピール 東京のデパートという記事。
この二つの記事を読み比べてみると、同じ百貨店の話題・・・取材する記者でこれほど違うものなんですね。

それにしても・・・今年の「ゆかた」のトレンドは、パステル調ですかぁ。
個人的な趣味から言いますと、紺地に白とかグレーやベージュがかった地色に紺の柄行が好きですね~。
ゆかたはとにかく「スッキリ」とした着こなしが、身上だと思っていますから。
当然、柄行も清涼感のあるモノのほうが涼やかだと・・・オバサンですかね?
パステル調の柄行は、どうしても幼く見えてしまいそうなんです。
確かに、花火大会だけではなく夏の街着としてという戦略はわからないでもないのですが、やはり「ゆかた」は、湯上りにサッと着るものだと思うです。

その「ゆかた」の着こなしですが、今書店に言うと「ゆかたの着付け」という本が結構出ています。
実はここ2、3年前から若い人たちの間では、チョッとしたきものブームなんですよね。
その中心となっているのは、アンティークきものと呼ばれるモノなのですが、昔のきものは裄が合わなかったりしても、洋服感覚で着こなすのが流行りのようです。
という訳でもないのでしょうけど、「ゆかた本」の中には衿にレースをつけたり、重ね衿をしたりという提案もされています。
好きか嫌いかと言われれば・・・ですけど、それよりも気になるのは、実際に着られるお嬢さんたちの姿。

いつの頃からか?「ゆかたを着る時は肌着を着けない」と思っていらっしゃる方がいます。
本当は、やはり肌襦袢とか「ゆかたスリップ」と言われるものを着付けられたほうが、着崩れし難いということがあります。
その反面、洋服の時に着けるブラをそのままつけている方も見かけますが、スポーツブラなどのように胸にボリュームを出さないブラを着けたほうが、胸元が肌けると言う心配もありません。
これくらいは、注意して着付けて欲しいと思います。
そして、間違ってもビーチサンダルやミュールなどは履かないで下さい。
折角の、柄が活きてきません。
出来れば、マニュキアもペデュキアもやめてヘアースタイルもスッキとポニーテールのように上げたほうが、見た目にも涼やかです。
でも、襟足は余りぬかないほうが若々しい印象になります。
衿の抜き方で、年齢を表すといわれますから、どうかご注意を。

そういえば・・・ローカルニュースで「ノースリーブゆかた」という話題を取り上げていたけど、見かけなかったような・・・思い違いだったのかな?

なかなか柄行の気に入ったモノに出逢わず、ゆかたも新調していません。
当然、花火大会もご無沙汰です。
果たして今年は?



心と脳-「しかられる」と「ガッカリ」-

2005-06-17 11:31:32 | アラカルト
朝日新聞のWEB版asahi.comに気になるニュースがあった。
一つは、しかられ?29人過呼吸に 修学旅行中、大阪の高校というニュース。
もう一つは、「仕方ない」でも脳は次善の策、別部位で思考 サル実験である。

最初の「しかられて、過呼吸状態」というのは、修学旅行中に規則を守らなかったために生徒を集めて注意したことが、発端らしい。
「お坊ちゃま・お嬢さま学校だから、余りしかられたことがないのか?」と、思ってしまう。
高校時代、修学旅行がなかったこともあり、その雰囲気というのはつかめないのだが、それにしても先生から注意を受けた程度で「過呼吸」というのも何処か解せない。

今日日の高校生が、精神的に弱いとは思わないが、どことなく親子関係が「プチ友達系親子」になっているのも原因なんじゃ・・・。
時折買い物をする親子さんの会話を何となく聞いてみると、担任教師と思しき先生に対して呼び捨てにしている親御さんも見かける。
当然、子どもも呼び捨てにしている。
尊敬できる先生ばかりではないとは思うが、抵抗感がある。
もちろん、服装もGals系ファッションのお母様というのも当たり前。
「『プチ友達系大人』が、いきなり『本当の大人』になって怒ったので、パニックになってしまった」という、「親も子も成長という点で、お子様化している」のが、背景にあるような気がする記事です。

それにしても、集合時間が守れないって・・・高校生なのかな~。
就寝時間を過ぎてやることは「怪談話」というのが、昔は定番だったんですけどね~。
枕投げは、就寝時間前にやることでしたが。

もう一つの「仕方ない」による脳の動き。
サルでの実験結果なので、ヒトも同じだと言い切れませんが、案外サッサと割り切って次のことを考えて行動しているのが、日常の行動なのかも知れません。
そうやって瞬時に切り替えることが出来るから、過度なストレスを感じずにいるのかも?
だからといって「クレーム」が減らないということも、理解する必要はありそうですが・・・。
なぜなら「クレーム」は「期待を裏切られた」と感じることが、主な原因といわれていますから。

いずれにしても、「ヒトは『脳』で起きたことが『心』に影響を与え、体が反応する」ということでしょうか?

企業データを活用しよう

2005-06-16 17:59:12 | 仕事のコツ
昨日のエントリ「失敗に寛容な企業へ・・・」について、トラックバックを下さった何かをすれば何かが変わるさん、社長の本音日記さん、ありがとうございました。
様々な意見や考え方があり、とても勉強になりました。
そして、連続コメントを下さった「兵庫県の某職員」さん、ありがとうございました。
「もったいない」と「ありがたい」という言葉は、ワンセットのように昔は使われていましたね。
日本人の国民性?としてあった「総ての恵みへの感謝」が、このような独特の言葉と発想を生んだんでしょうね。とても豊かさを感じる言葉だと思います。

マーケティングという仕事を始めた頃、「市場調査をされているんですか」とよく聞かれました。
「マーケティング=市場調査」というのが、長い間一般的だったので仕方ないのですが・・・。
その後は「販売ノウハウの提供」だとか「上手な儲け方を教えてくれる」と言われるようになり、これまた説明するのに苦労するのですが・・・。
その「市場調査」ですが、ネット社会のお陰で様々な企業が「ニュースリリース」というカタチでオープンにしています。
例えば・・・「花王」のニュースリリースには
『現代サラリーマンの太りやすい生活行動』調査という「研究開発データ」が5月末に発表されています。
その後、高濃度茶カテキンの体脂肪低減効果について、機構の一端を解明というデータが発表されているのです。
花王は既に「高濃度茶カテキン」商品を市場に出しているので、ある意味「中高年サラリーマンの肥満調査」から「高濃度茶カテキン商品」への誘導とも受けとめられそうですが、そのデータを読み解くのは受け手である、私たち。

実は、「市場調査」をするよりも、このような企業データを探してきて、違う切り口でビジネスに展開することのが、少なからずあります。
目的とそのデータの扱い方を最初から考えて、実施している企業もたくさんありますが、その目的があやふやで「とりあえず、やってみようか」という場合が案外あるのです。
様々な「市場調査」や「意識調査」というのは、膨大な費用と時間、労力が必要となります。
そして、「役に立たなかった~」という場合も多いのです。
であれば、ネット上で公開されている複数の企業データを活用する方が良い、という場合もあるのです。
要は、「データをどうやって活用するか」ということなのです。

企業データを上手に活用してみませんか?
生かすも殺すもあなた次第・・・。

失敗に寛容な企業へ・・・

2005-06-15 20:37:04 | ビジネス
昨夜、テレビのニュースなどで報道された「三井物産のディーゼル車排ガス浄化装置のデータ捏造」
容疑者のコメントをどう思われましたか?
「会社に膨大な開発費を使わせたので、なんとしても販売しなくては・・・」という主旨のコメントです。
このような事件が発覚すると決まって「会社に迷惑を掛けられない」とか「会社が(開発費などに)掛けた費用を、何とか回収し、利益を出さなくてはいけないと思った」という言葉が、出てくる。
あるカップ酒のCM「今回の仕事は総て君に任せる。ただし、失敗は許されない」と、耳元で上司が囁き続ける内容のモノがあったが、どうやら日本のサラリーマンは常にこのような状況で仕事をさせられているのではないか?

日本の企業は「減点主義」ということが常々言われてきた。
その為に「失敗する」ということを、ひどく恐れているように感じる。
もちろん、研究開発の場は「失敗と成功の繰り返し」だとは思うのだが、ことビジネスという場面では「即売上に響く」ということもあり、「企業利益を優先させる」ことが第一に求められすぎているような気がする。
以前、世界最大の食品会社「ネスレ」のCEOピーター・ベラック(2001年当時)が、あるビジネス雑誌のインタビューで「失敗からは学習できるが、成功からは何も学べない」と話しています。
また「大失敗をしたことの無い人が、勇気をもって重大な決定を下した例がありませんから。何らかの教訓を学ぶチャンスが無かったのです」とも、話しています。
「失敗から学ぶことよりも、成功体験ばかりを良し」とすることが、決して企業にとってプラスではないと思うのです。
何よりも、三菱自動車のリコール問題や今回の三井物産のデータ改ざんは、人の命に関わる問題。
それを、企業の利益優先という発想で、物事を観る企業風土は既に時代遅れだということに、企業もそして企業のトップ、マネージメントクラスの社員も、もっと認識しなくては、これから先が危ういような気がする。

ニュースあれこれ

2005-06-15 12:07:32 | 徒然
東北の地方紙河北新報に落書き、知力低下反映? 単純な絵などばかり 仙台という記事が掲載されていた。
「落書きから見る、学力」という切り口が面白い。
だいぶ前に、ニューヨークのソーホーあたりでは「落書き」がアートとして扱われた時期があった。
その先駆者的な存在だったのが、キースヘディングだったのでは?
その「落書き」にも、様々な変化が起きているらしい。
ただ、「集団的な落書きから、個人的な落書きへの変化が単純な絵」となっているのだろうか?
「刹那的ストレス発散目的」という単純なことは無いのだろうか?
出来れば、落書きを消す人が「この落書きを消すのは、もったいない」と言わせるような「落書き」が登場すれば、第二のキースヘディングとなるのだろう。

「芸能スポーツ」を・・・。
M・ジャクソン氏の「幼児虐待裁判」が結審し「無罪」を勝ち取った。
そんなことよりも、あの変容し続ける容姿はなんだろう?
確か今年47歳になる「中年オヤジ」なのだが、未だに「若い容姿」にとりつかれているように見え、何処か悲しい。
本人は否定し続けている「整形疑惑」も・・・あそこまで変容していれば「整形美容」をしていることは、間違いないと思うし何よりもあの「美白状態」。
世界的に「美白ブーム」と言われているが、それは女性についてである。
その「美白ブーム」と言っても「自然な肌の白さ」の追求であって、アンドロイドのような類のものではない。
彼が、整形美容に凝り出し、肌の色を白くしはじめた頃から、奇行が目立つようになった。
と同時に、ヒット曲にも恵まれなくなった。
偶然なのかも知れないが・・・。

先週、日本全国が「ニッポン!ニッポン」と応援をしていた、サッカー日本代表。
「W杯ドイツ大会出場一番乗り」と騒がれたが、これはあくまでも試合日程や時差の関係によるもの。
気の早いスポーツ新聞には、「W杯優勝だ!」等という文字まで躍っていた。
冷静になれば、優勝どころか決勝トーナメント進出すら難しいのが、今の日本の実力なのだ。
確かに、2002年の日韓大会では、フランスやアルゼンチンが予選敗退となったが、組み合わせのアンラッキーや選手の怪我などがなければ、十分決勝トーナメントに進出することができた国なのである。
どうか、今から浮かれて1年後を迎えないで欲しい・・・3戦全敗、枠に飛ばないシュート数参加国最多というのが、日本の基本的な実力なのだ。

知的財産をめぐる日本と中国

2005-06-14 11:22:09 | ビジネス
「センスの問題」にトラックバックを下さった、娑婆に出るのshunさんありがとうございました。
今回の問題は、「問題作成者と学校が、一般社会と隔絶した存在であった」ということを、示したことだと思います。
ただ、こういう先生や学校で勉強しても「思春期の多感な時代に、人としての成長は期待できない」という気がしますね。
偏差値では計り知れない、学校の品位としての問題でしょう。

昨日のYahooトピックスに、時事通信が「日本企業の約64%が、知的財産を侵害されていると感じている」という内容を伝えている。
元となっているレポートは、第3回中国模倣被害実態アンケート調査結果(ファイル量が多いので、紹介だけにしました)。
以前にも、何度かエントリーしてきた内容ではあるが、アジアにおいては知的財産などはあってないようなモノである。
中国が「世界の工場」といわれるまでに発展している反面、このようなことが頻繁に起きている。

「日本は資源の無い国です」というのは、小学校の社会科の授業で習ったことだった。
だから「工業製品を開発・生産することで、世界に製品を提供し、エネルギー資源を買っているのです」という一文まであったと記憶している。
そして、その道を日本の製造メーカーは突き進んできた。
生産拠点を海外に移すことがあっても、技術開発などは日本国内で行い「技術立国」として、世界に提供している。
むしろ、オイルショックがあったから燃費効率の良い車の開発を手がけ、公害などの環境問題が起きるとその対応技術を開発してきたような気がする。
そういった意味では、日本は「モノづくり」の国なのだと思う。
それが、世界の市場からの信頼を得て「トヨタ」や「ソニー」、「ホンダ」といったブランドが、作られていったのである。
そのようなブランド構築のための努力もしないで、偽ブランドを堂々と市場に出し続ける中国には「儲け」の発想はあっても、「モノづくり(=生活者への提案となる市場作り)」の発想は無いような気がしている。
だからこそ、シッカリと「モノづくり」の基盤となる「知的財産を守る必要」がある。

そんな中、来月「無印良品」が上海で1号店を出店する。
他にも、スポーツ用品のミズノも中国でのビジネス展開を予定している。
既に、中国では似て非なる「無印良品」や「ナイキ」、「アディダス」が市場に堂々と売られている。
どんなビジネスとなるのだろうか?

ファッションや漫画等の「知的財産」を含め、日本は中国と戦っていかなくてはいけない。
それは、中国にとっても「近代化」に必要なことではないだろうか?

なお、ジェトロ北京センターのHPではニセモノ写真館というコンテンツで、その実態の一例を見ることができる。

三角形が描けますか?-子ども達の世界-

2005-06-12 12:16:24 | 徒然
先日テレビのローカル番組を見ていて、気になったことがあった。
眠らない子どもという内容で、3歳未満の子どもが、深夜一人起きてテレビでDVDを見ているというモノだ。
結局その幼児は、2時半になるまで一人でテレビを見続けていた。
その番組中に「三角形が描けますか?」という問いかけがあった。
このような子どもは「いつも時差ボケ」状態というだけではなく、発達でも問題があるらしい。
その一例が「三角形が描けない」ということ。
物の形の認識はできるのかも知れないが、それを描くことが出来ない・・・。
大人から見ると、「当たり前のことが出来ない子ども」に見えてしまうのではないか?
本当は、違うところに原因があるはずなのに。

今日の讀賣新聞WEB版には妊娠中に過剰節食、太りやすい子に…京大教授ら実験という記事が掲載されている。
妊娠をしても、独身の頃と変わらない体型を求める余り、妊娠中でもダイエットをするお母さんが少なからずいるのだろう。
その結果、太りやすい子どもとなってしまうのは、皮肉なような気がする。
しかし、お母さんの中には。幼児期の頃から体型を気にする方もいらっしゃるようだ。
それだけではなく、パーマをかけたり髪の毛を染めたりしている子どもを見かけることがある。
「世界一贅沢な子育て」という本を立ち読みした時(ザクザクッと読んで、購入する気にはならなかった)に感じた、同じ違和感をもってしまう。
でも、この本のような子育てをしたいと思っている若い女性は少なくないだろうと、想像している。
とすれば「子ども」ってどんな存在なのだろう?

毎日新聞に連載されている「こころの世紀」に「抱きしめて」という記事がある。
「愛情表現は、学習することによって表現することができる」という言葉。
そのために、子ども達は一生懸命伝えようとしているサインがあるような気がする。
それを、大人の視点や都合で見落としていないか?
そんな気がする。



MOTTAINAI-日本の国際化-

2005-06-11 18:55:23 | ライフスタイル
 一昨日、トラックバックを下さったあきふみのりさん、24LIVEさん、ありがとうございました。
「クール・ビズ」を推進している閣僚のみなさんの格好を見ていると、「ネクタイを外しただけ」という感じですが、「意識変化の第一歩」と長い目で見る必要がありそうです。
でも・・・某スポーツ新聞に掲載されていた「中田もクール・ビズ」は、違うと思う。

昨日のエントリーで、もう一つ「センスが無い」と感じたことが有ります。
それは、何故入試問題に「退屈だと感じた」というネガティブな回答を引き出す問題を出題したのだろうか?ということです。
「これから、新しいチャレンジの扉を開く中学生」に向って「退屈だ」という回答を求めるって・・・。
どこかズレていません?
きっと、こういう学校って付属小・中から進学した生徒と、高校入試で進学した生徒の間に何らかの「壁」みたいなものが、存在していそうな気がします。

しばらく前から、書店に行くとノーベル平和賞受賞者ワンガリ・マータイさん(ケニア副環境相)が書かれた「MOTTAINAI」本が、目に付くようになりました。
アフリカの女性が書いた本が、注目を浴びるというのは珍しいこと。
それだけ、注目されているということでしょうか?

この「MOTTAINAI」運動については、マータイさんを招聘した毎日新聞が積極的でWEB版ではMOTTAINAI情報のコンテンツがあるほどです。
そして、ライバル紙である朝日新聞の土曜日版「be」にも、日野原重明さんの連載コラム「93歳私の証・あるがまま行く」で「もったいない」を広めるが、今日掲載されている。

考えてみれば、「飽食の時代」、「飽品の時代」といわれて久しいですね。
バブルが崩壊した頃、若い人たちの間でベストセラーになった「中野孝司『清貧の時代』」等は、忘却の彼方という感じですが、もう一度「生活の豊かさ」というモノを考えてみる時代なのかも知れませんね。
マーケティングという仕事は、「モノを市場に提供する」仕事なのですので、「モノ余り」等ということを言うのは、違和感のあることなのです。
それでも見方を変えればビジネスチャンスの提案となると考えています。
例えば、ややこしい隣人中国が、現在、掘削をしている東シナ海の天然ガス油田開発なども、その背景にある中国の膨大なエネルギー消費と需要を考えたら、アッという間に消費されてしまう量なのかも知れません。
政府として主張すべきことは主張しつつ、「未だに化石エネルギーに頼るようなライフスタイルを、政府が推進しているの?遅れているね。太陽光発電等を利用するような発想が無いんだ」くらいのアプローチがあってもいいような気がします。
もちろん、太陽光発電などの自然エネルギーだけで賄えるとは思いませんが、エゴとエゴのぶつかり合いでは無く、粋な方法で主張と提案をすることだってできると思うのです。
それだけではなく「アフリカでも始まっている、MOTTAINAI活動を知らないの?」という、ことだって言えるのでは?

日本のライフスタイルの基本って「恵みに感謝し、使い切る」ということだったと思うのです。
それが、注目されているのですから使わない手は無いと思うですが・・・。

センスの問題-高校入試問題から見えるさまざまなこと-

2005-06-10 19:11:11 | アラカルト
今日の毎日新聞他で青学高等部:沖縄・ひめゆり学徒隊の不適切な入試問題が掲載されている。
朝のFMラジオのニュースなどでも取り上げられていたので、ご存知の方も多いのでは?
このニュースを聞いたとき、どんな感想をもたれましたか?
「戦後も遠くなったなぁ~」と言った、閣僚もいらっしゃったようですが。
個人的には「センスが無いな~」と感じました。

この問題を作成した30代の英語教師は、小中学校で「ひめゆり学徒隊」のことを学んできていなかったのでしょうか?
それとも、問題の主旨は「退屈な話を聞かされた」という話をまとめるためだから、関係無いと思ったのでしょうか?
とすれば、どうして「ひめゆり学徒隊の話」にしたのでしょう?
おそらく、この英語教師の実体験として「ひめゆり学徒隊」の語り部となっている元学徒の女性の話を、本当に「退屈だ」と感じたのでしょうね。
その印象が、とても強く思わず高校入試問題として作成してしまったのでしょう。
個人的に「退屈」だと感じたことは、構わないと思うのです。
しかし、それを「高校入試問題に適していると判断するセンス」を疑ってしまうのです。

そして、この入試問題を出題するにあたって、英語担当の責任者までチェックをして出題を決めているという、学校の「センス」も疑うのです。
「英語学習の充実が、グローバル化の象徴」のように受け止められ、その為なら「どんなことを問題にしても構わない」という、感覚を持っていたのでしょうか?
問題そのものは、相当な英語の語彙力と読解力を必要とする内容だったと想像します。
「東京の有名私立大の付属校入試問題って、こんなに難しいんだ」という印象をテレビのニュースなどでも受けました。
なら、どうしてもっと他の問題を指示しなかったのでしょう?
学校として、その程度の認識で日本唯一の戦場地・沖縄を見ていたのでしょうね。

「センスを磨く」ということを、よく言われます。
では「センス」ってなんでしょう?
「他者と自分の関係の中から、『相手を意識する感覚」』」ということでは、無いでしょうか?
これは、何も今回のようなことだけではありません。
ビジネスの場面では、いち早く感じ取って判断を下す必要があります。
「自己利益ではなく、他者利益を創造するための力と判断力」が、ビジネスにおける「センス」です。
一朝一夕には身につくようなモノではなく、その為のノウ・ハウもありません。
難しいですね。

それにしても、今回の一件で受験に失敗した生徒さんは、幸せでしたね。
こういう学校で学んでも、勉強はできるかも知れませんが、知力は身につきません。
薄っぺらな学力は、社会では役立ちません。
海外でのビジネスであれば、尚更。
「英語ができるからグローバル」という考えは、捨てたほうがよさそうです。
もちろん、この件で「青山学院大学付属高校」のブランド力が低下したということは、言うまでも無いと思います。