日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

子供に何を求めているのか?

2005-06-25 19:06:52 | アラカルト
連日コメントを下さっている、あけさとさんからとても難しく、大切なコメントをいただいた。
「子育て」というテーマである。

マーケティングと言う仕事をしていると、その注目は「ひとりに5個のお財布」とか「セレブな子育てマーケット」ということに目が行きがちになりやすい。
その反面、この春には理・医系予備校の老舗だった「両国予備校」が閉鎖し、私立萩国際大学が民事再生法を申請したのは、つい先週のこと。
背景にあるのは「少子化」と言うことである。
10年以内に、高校全入学が可能になると言う。
しかし、有名私立学校への進学熱はドンドン低年齢化し、0歳児から独自の教育をする学校 が新設されるという。
まさに、多様な教育が「お金」があれば受けられるチャンスがあると言う訳である。
このようなことに関して、マーケターとしては「どうぞ、お好きに」というしかない。
忘れてはいけないのは、その背景にある「何か」を感じ・探ることである。

「少子化」が叫ばれて、10年以上経つ。
同時に「お受験熱」が上昇するのも、同じころだったような気がする。
それが進化し「セレブママの教育スタイル」として、30代女性を対象としたファッション雑誌に堂々と登場し、学生・OL時代同系列のファッション雑誌を読んで育った女性たちは、「贅沢な子育て」に憧れるようになる。
その究極が「お受験」であり「子供を自己分身化」させることのような気がする。
そして、それを経済・育児面で応援してくれる親世代もいる。
そんなことが「子育てのスタンダード」として、ファッション雑誌を飾っているのである。

社会の中には、そんな物心両面で支援を受けることが出来ない人たちが、イッパイいる。
むしろ「働くお母さん」の方が遥かに多いのだ。
「憧れと現実のギャップ」・・・それに対峙したとき、子育てにNoという女性がいてもおかしくはないだろう。

もう一つ考えられることは、「情報の過多と過少」ではないだろうか?
今から8年前、世間を震撼させた「酒鬼薔薇事件」があった。
当時14歳の中学生の残虐な犯罪。
その頃から、10代の残虐な犯罪がニュースを賑わすことが多くなった。
そのたびに「行動障害の傾向があった」とか「一件普通に見える家庭が持っている暗部」のようなことがメディアに取り上げられるようになる。
しかし「行動障害」や「学習障害」等をサポートしている学校や、支援機関の紹介などは殆どされることがない。
ネガティブな情報の過多と、問題解決をするための情報過少。
必要以上に「不安」を生活者に与えているのではないだろうか?

ファッション雑誌などに描かれる「セレブな子育て」が「普通のこと」であるように「煽られる未熟なママたち」、事件によってクローズアップされる「子育て環境の不安」それを、吐き出すことが出来ない・・・そんな社会の一面を観る必要があるような気がする。

その受け皿であってハズの、地域社会には様々ルールがある。
「煩わしい」「面倒臭い」というネガティブなことを言い訳にして「コミュニケーション」を拒絶していると言うことはないだろうか?
「社会の最小単位は家族」と言われるが、そこから少し足を伸ばすことで「ご近所」が発生し、もう少し足を伸ばすと「町内」と発展していく。
私たちが子供だった頃、学年が上がっていくにつにれその行動範囲と、交友関係が広がっていった・・・それと同じことを、大人もすることが第一歩なのでは?

「少子化」は、大人たちに「子供に何を求めているのか?」「どんな『未来への配当』(=次世代の社会)を求めるのか?」ということを、突きつけている問題なのかも知れない。