日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

視点が変わると、広告表現も変わる

2013-07-16 14:28:20 | ビジネス

朝日新聞社の広告局が中心となっている、「朝日広告賞」と言う広告の今年の大賞が決まった。
おそらく他の新聞社も同様の賞を作っていると思うのだが、一般の部門での受賞作品がとても面白いので紹介をしたい。
大日本除虫菊株式会社の、新聞向け広告↓だ。

この際「女性の下着姿はけしからん」と言った、お言葉はご遠慮願いたい。
注目して頂きたいのは「キンチョーは美容の会社かも知れないと思った」というコピーだ。
その為には、やはりこの様な表現が必要だったかも知れない。

大日本除虫菊株式会社=キンチョーは、ご存じの通り「殺虫剤」を製造販売している企業だ。
コピーにある「美容」とは、全く関係の無い企業でもある。
ではなぜ「美容」というコピーなのだろう?

答えとなるのは、「虫刺され」。
「虫刺されあと」は、些細なことでも「美容」という視点では、問題だ。
私も既に今年、数カ所虫に刺され、あとができている。
子どもの頃ならともかく、加齢とともに虫刺されあとは年を越すようになってきた。
「他人は気にしない」と言っても、本人は案外気になるモノ。
そう考えると「虫に刺されない=美容的問題を解決する」という、視点が生まれてくる。

直球ストレートなコピーというよりも、相当な変化球のコピーだが、マーケティングの視点で考えると「ハッと」させられるコピーでもある。

ちなみに同じ朝日広告賞で、同じキンチョーが同じ蚊取り線香のポスターで、入選している作品が↓だ。

撮影場所は、アフリカだろうか?
衛生環境という視点で見ると、殺虫するコトが命を守ることにも繋がる・・・と言う問題提起をしながら、製品の良さをさりげなく訴えている。

「視点を変える」と広告だけではなく、事業の視点も変わってくる・・・そんな良いお手本の広告だと思う。
ちなみに、これらの広告は実際に新聞や雑誌に掲載されたモノではなく、参加企業各社が出した課題テーマに対して、一般から応募された作品です。


テレビCMとは違う楽しさがあるラジオCM

2013-07-15 08:12:28 | CMウォッチ

CMと言うと、テレビCMばかりが話題になる。
ラジオCMも、なかなか侮れないモノが多い。
むしろ、映像が無い分短い時間で「伝える」と言う制約が、面白いCMとなっていることが多い。

私は朝の支度をする時FMを聞いて過ごすのだが、3時間ほどの間CMを提供する企業が、さまざまな工夫をしながらCMを流している。
その一つが、「日替わり」CMで、ランダムに日替わりでCMが変わる。
曜日で決まっている訳では無いので、月曜日だからと言って毎週同じCMを聞くわけでは無い。

個人的に好きなCM、大塚製薬の「リポビタンD」のCMとサントリーの「BOSS」だ。
大塚製薬のCMには、ビジネスマンと言うよりもサラリーマンの悲哀を感じさせる。
今日のCMは、下記のような内容だった。
上司「オイ!山田」
山田2名「(やや疲れ気味に)ハイ」
上司「ア~、山田は2人いたか。疲れている方の山田!」
山田2名「(疲れ気味に)ハイ」
上司「・・・・・・」
商品名MC
商品が商品なだけに、元気なサラリーマンは登場しないことが多い。
上司が、部下の手柄を横取りする様な台詞のパターンもある。
聞いていて「そうなんだよ~」と、頷きそうになる方もいらっしゃるのではないだろうか?
だからと言って、悲哀に満ちているだけではなく、どこかユーモラスなところがある。

もう一つのサントリー「BOSS」は、宇宙人・ジョーンズ、ラジオ版だ。
旅館の下足番になったり、観光地のタクシー運転手や東京観光のバス運転手になったり・・・。
今日のCMは、観光地のタクシー運転手篇
お客さんの「手っ取り早く、観光地を回ってくれ」と言う言葉で、宇宙人の能力を使って、本当に観光地をササッと目にもとまらぬ早さで回ってしまう。
当然、お客さんからは文句が出るのだが・・・。
こちらのオチは「この国は、スピードを求めるあまり、大切なモノを見落としてきたのでは?」という、問題を提起して終わる。
クッスと笑ってしまうのに、「そうだな~」と感じさせるのはテレビCMと同じだ。

テレビCMだけではなく、ラジオCMも基本的な部分は同じなのだと思う。
商品名の連呼や目立つことがCMなのではなく、商品を引き立てながらも可笑しい部分とチョッと考えさせられたり、哀しみを感じさせる、「面白うて悲しい」という感じだろうか。

テレビに限らず、ラジオCMも「時代を映す鏡」なのだと思う。
CMは、番組の邪魔者では無く、「時代を切り取るメッセージ」だと思って見たり・聞いたりして欲しい・・・と、おもうのだ。


とても静かな「選挙週末」

2013-07-13 22:00:33 | 徒然

21日は、参議院選挙の投票日。
今週末は、その意味で「投票日前の週末」と言うコトになる。
ところが、とても静かなのだ。
駅前に選挙カーを止め、演説をする候補者の姿も見ていない。
何より、選挙カーから「このたび、立候補いたしました○○です。どうか、皆様の清き一票を、○○にお願いします」という、連呼型も聞かない。
確かに、昨日までの体温以上の猛暑の中、あの連呼型の選挙カーが街中を走られると、イライラ度も急上昇するだろう。
その様な配慮があってのことか?と思っていたのだが、若干過ごしやすくなった今日になっても、選挙カーによる選挙活動を聞くコトが無かった。

今回の選挙は、ネットでの活動が認められて初めての選挙だ。
その為、各陣営はTwitterやFacebookを活用して、懸命なアピールをしているのかも知れない。
Facebookは登録しているのだが、私は立候補者とは「お友達」ではなく、Twitterはしていない。
立候補者のブログを見に行く気が無いので、立候補されている方がどのようなことを言っているのかも知らない。

本来であれば、選挙民である私が積極的に立候補者のTwitterやFacebook頁を見るべきなのかも知れないのだが、その様な気も起きない。
全体的な印象でいうなら「盛り上がりに欠ける選挙戦」という感じだろうか?

例えば、Twitterで立候補者同士が、互いにリツイートしながら議論を闘わせる、と言うのであれば、それはそれで面白いと思う。
そこに、20代~30代の選挙行動をなかなか起こさない層の選挙民が加わって・・・と言うのであれば、もっと面白いと思う。
しかしながら、その様なことも聞こえてこない。
と言うよりも、「ネット解禁」にはなったが、その様な使い方は認められているのだろうか?
「ネット解禁」にはなったが、どのように使うのか?と言うコトがまだまだ手探り状態、と言うコトなのだろう。

おそらく名古屋駅前とか栄と言った人が多く集まる場所では、それこそ党首クラスの人達が「よろしくお願いします」と、選挙カーの上にのぼり、いろいろなことを話しているのだと思う。
住宅地となると「今、選挙戦真っ最中でしたっけ?」と思う程、静かなのだ。

果たしてこの様な選挙活動が、実際の選挙にどのような影響を及ぼすのだろう?
そんなことを考える、静かな選挙戦週末だ。


「ユーモア」というコミュニケーション術

2013-07-12 16:41:25 | アラカルト

Yahoo のトピックスを見ていたら、「なるほどな~」と言うトピックスがあった。
Yahooトピックス:虫が懇願「虫よけ、おやめになって」-多摩動物公園のツィートに反響

多摩動物公園の「昆虫園本館」の職員さんのつぶやきとともに、写真が掲載されている、ツィートが反響を呼んでいることのようだ。


このつぶやきが反響を呼んだ大きな理由は、「(展示されている)虫たちの気持ち、虫たちからのお願い」という視点での、ツィートだからだろう。
もしこのつぶやきが、堅苦しいお願いや命令調の内容だったら、反発するリツィートが殺到したかも知れない。

このつぶやきの反響は、何かに似ているな~と思ったら、先頃FIFA・W杯のブラジル大会出場を決めた後、渋谷の交差点で、群衆を誘導した「DJポリス」と似ているのだ。
それは「ユーモア」ということ。

主張すべきトコロは主張しているのだが、それが命令調ではなく「同調」を促すような内容。
「DJポリス」の場合は、「怖い顔をしているおまわりさんも、皆さんと同じように日本代表がW杯出場を喜んでいる」とか「日本代表はフェアプレーでも評価されているチーム、(サッカーファンの)皆さんも、フェアプレーの精神で・・・」と言う内容などは、その例だろう。

今回の「多摩動物公園・昆虫園本館」の職員さんのつぶやきも、「虫よけは(身に)付けないで」ということを、伝えつつも決して命令調ではなく、「虫の気持ちになって」という「同調」を求めている。

先達て「共感性」ということについてエントリをしたが、まさに「同調」を促すことで「共感性」を呼んでいる好例という気がする。
「同調」し易くしているのが、「ユーモア」ということになると思う。

「ユーモアのセンス」というのは、なかなか難しい。
一歩間違えば、「寒~いギャグ」になってしまうか「反発・反感」を招くこともある。
一方「ユーモアを持っている」というのは、人間だけに与えられた特権とも言われている。
果たして、人間だけに与えられた特権「ユーモア」を上手に活用できているだろうか?


 


そうか・・・原子力発電って、高コスト事業だったんだ。

2013-07-11 19:35:02 | アラカルト

J-CAST・テレビウォッチというサイト内に「ワイドショー通信」というコンテンツがある。
テレビ朝日系列の「モーニングバード」が、取り上げられていた。
取り上げられていた内容というのは、「原発の発電コスト」

J-CAST テレビウォッチ 「原子力は安い」の大ウソ!原発10.68円、火力9.9円、水力7.26円

元々ワイドショーで取り上げられた話題なので、ご存じの方も多いと思う。
このデータを知って、どう思われただろうか?

一つは、経済界が「安い電力を安定的に供給するには原発再稼働が必要」と言っているが、その実、原発の発電コストは高いので、「安い電力」とは言えないのでは?
むしろ、「フクシマ事故」以来原発そのものが停止されているので、原油の輸入量が増えたと言う理由で、電力料金の値上げが続いていることにも、やや疑問を感じるのだ。
何故なら、元々高コストの原発が停止されているので、原油の輸入量が増えたからと言っても、この2年余りの値上げは本当に必要だったのか?と言う気がするのだ。

もちろん、この番組に出演されている方が「反原発」という考えの方もいらっしゃるし、これまで言われてきた各エネルギーこコストの計算方法と違うことを考えれば、一概に言えないのかも知れない。
だが、このコスト計算の元となっているのは「有価証券報告書」。
そこにウソの記載などがあれば、法的に罰せられる程の報告書だ。
そう考えると、現実と大きくかけ離れた数字ではないと思う。

交付金に関しては、賛否いろいろあると思う。
「フクシマ事故」でわかったように、都市部の生活維持のために地方にそのリスクを押しつけてきたのだから、その見返りのようなモノを地方が期待するのも当然かもしれない。
だからと言って、造られたモノが「・・・」と言う気がしない訳ではない。
地域の雇用を生み出すような、振興策をもとにしたモノであればもっと違っていたと思う。
「取りあえず 交付金をもらった象徴」のような、ハコモノを造ってしまうと言う発想が「・・・???」なのだと思う。
もしかしたら、雇用を新たに生み出すような政策では、交付金がもらえなかったのかも知れないが。

もう一つは、経団連に名を連ねる企業の中に「原発」の技術を持った企業があるとはいえ、余りにも経団連などの財界が「原発再稼働」に対して積極的過ぎる、と言う点だ。
「高コスト発電の原発を、稼働させる」と言うコトは、さまざまな場面での生産コストが上がる、と言うことにもなる。
経団連に名を連ねるような大企業の場合、電力会社から購入する電力料金の割引や既存の電力会社以外の電力会社から購入する、と言う方法があるのかも知れないが、下請けや孫請けのような中小零細企業の場合、高コスト発電による電力料金が、生産コストに直接影響してくる。
そう考えると、経団連の「原発再稼働」の要望というのは、チグハグな気がするのだ。

いずれにしても、この様な情報がテレビというマスメディアで取り上げられるとなると、生活者の反応はより「脱原発」へと動くのではないだろうか?

 


「共感性」という化学反応

2013-07-10 19:13:59 | マーケティング

最近マーケティングとは関係が無い、仕事の依頼を頂いている。
ただ、一緒にお仕事をさせて頂くたびに、マーケティングという仕事の範疇の広さも実感している。

私が頂いている仕事というのは、医療関係。
医療の市場云々というのではなく、そのものズバリ、ドクター達からお話を伺うような内容だ。
お話を伺うドクター達というのは、30代~40代という臨床現場の第一線で活躍をされている方々ばかり。
そのドクター達が「患者さんと気持ちを分け合う、共感すると言うことが大事」という趣旨のお話をされることが多いのだ。

先週、「愛知広告協会」のセミナーに出席した時も、講師をされた某広告代理店の方が「共感性」をキーワードにされていた。
「広告協会」でのセミナーなのだから、当然お話の内容はビジネスに直結するような内容。
そこで言われた「共感性」と、ドクター達が言う「共感性」の趣旨はほぼ同じ。
患者と医療者側が、互いに理解しあい共感しあうことで、より良い医療になる、と言う趣旨なのだ。

しばらく前から、「病院における顧客は、患者なのだから「お客様=患者様」というべきではないか」という病院が増えてきた。
実はこの「患者様」という言葉に、抵抗感を感じる患者も少なく無い。
その理由は、「医療者側>患者」と言う上から目線のような気がする、と言うのだ。
患者にとって、良い医療者とは「自分の病気だけではなく、病気になって感じる不安や疑問を一緒に考えられる」医療者なのだ。
ある意味、「50:50」の関係を望んでいる。
その傾向は、「がん」など長期的かつ厳しい治療を要する患者ほど、その傾向が強いように感じている。

ところで、戦後~高度成長期にかけ日本の産業界の考え方は「つくれば、売れる」という考えだった。
それが第一次オイルショックなどにより、経済成長に陰りが見え始めた頃から「良いものをつくれば、売れる」という考えに変わってきた。
今でも日本の多くの製造業は「良いものは、必ず売れる」と信じているようだが、その考えは第一次オイルショック以降の思考だと考えている。
その後バブル経済という、狂乱的なマネーゲームの時代を経て、「失われた20年」へと変わっていった。

その間に、企業が生活者と「気持ちを共有する、共感する」ということが、どれほどあったのだろう?
「東日本大震災」という、未曾有の災害を経験し生活者の多くは、「生活の棚卸し」をしている。
その様な中で出てきている言葉の一つに「共感性」がある。
「生活者と共感し合う」と言うのは、「価値観を共有しあう」と言うコトかも知れない。
他にも、「企業が生活者の中に、飛び込んでいくこと」と言う考え方もあるだろう。

「生活者と共感しあい、共鳴していく中で化学反応を起こして、イノベーションが起きるのでは?」と言ったのは、先日のセミナーでの講師をされた方の言葉だ。
臨床現場の第一線で活躍をされているドクター達の感覚は、まさにその様なことなのかも知れない。
とすると・・・企業はどれだけ生活者の中にいるのだろう?
ドクター達の言葉にハッとされられるのだ。




猛暑に思う

2013-07-09 19:52:52 | ライフスタイル

梅雨が明けたと思ったら、いきなりの連日の猛暑だ。
体が、暑さについていけない、と言うよりもこの暑さにどうやって付き合うのか?と言うコトを、考えるばかりだ。
なんでも、この暑さの原因は「W夏の高気圧」だそうだ。
一つは、夏の太平洋高気圧。
もう一つは、中央アジアからの暑い高気圧ということらしい。
地図を見ると、かの国の領土で「砂漠化」が進んでいる所。
夏の暑さも地球規模で、考えなくてはならない時代のようだ。

一方夏の高気圧に対する対策は、ここ数年で一般的になってきた「壁面・屋上緑化」などがある。
しかし現実は、どうなのだろう?
学校や行政機関の建物、場合によっては工場などはこの様な緑化はし易いが、マンションなどの集合住宅となると、入居している戸々で行っている、と言うのが現状だろう。

以前にもエントリしたとおもうのだが、我が家の周辺はマンションなどの建て替えラッシュだ。
更地にした土地に、新しい鉄骨の杭が打たれ、コンクリートが流し込まれて・・・日々建築が進む状況を観察するコトができる。
そして、その度に思うコトは「土地活用」というのは、敷地いっぱいにマンションを建てる、と理解されているのだな~と言うコト。
確かに「土地活用」と言うと、「ムダなく土地を活用する」と思われるのだが、本当にそうだろうか?
例えば、ムダと思われても、緑地帯を設けて、マンション全体の「人工的な熱の排出量を減らす」とか、「光熱費が少なくて済む自然と共存したマンション」ということも「土地活用」なのではないだろうか?

今まで、集合住宅の基本的な考え方は「限られた土地に、どれだけ多くの戸数を造るのか?」ということだったように思う。
それが、バブルの頃から「ゆとりのある住宅」という発想が少しずつ起きてきて、今では部屋数ではなく居住空間が一つの目安となっている。
とすれば、これだけ「環境」だとか「省エネ」と、言われているのだから、単に「文教地区」とか「交通に便利なロケーション」というだけではなく、上述したような「自然」とか「生活ランニングコスト」という部分が考慮された集合住宅があっても良さそうな気がするのだ。
ところが・・・「自然」を謳うマンションの多くは「周辺に大きな公園がある」と言う場合が多い。
決して、マンションの敷地内に「緑豊かなスペース」がある訳ではない。

この様なことを書くと、「緑地帯の管理は誰がするの?」ということになるのだが、最近の「コンシェルジュサービス」のスタッフを置くよりも、緑地管理者を置いて、その管理者からマンション内の緑地帯の木々や植物、昆虫や鳥などについて、教えてもらった方が楽しいだろうし、新しい「付加価値」となるのではないだろうか?

余りの暑さに、そんなコトを考えるのだった・・・。


選挙前になると、いろいろなことが延期される

2013-07-08 21:25:10 | 徒然

参議院選挙がスタートした。
スタートした割りには、街宣車が少なく比較的静かな週末だった。
ネット選挙解禁で、候補者の皆さんは街宣車で名前の連呼ではなく、ネットでつぶやいていたのだろうか?

変わったのはそれだけではない。
と言うよりも、選挙前になると変わることの一つが、選挙民に受けが悪い政策が棚上げされることだ。
今回は「消費税と憲法」のようだ。
消費税の値上げは、時期をずらすような発言が出ているようだし、憲法改正は安倍さんの肝いりだと思っていたのだが、ここに来てトーンダウンしている。
何が何でも改憲!から、もう少し議論をして・・・と言う感じだろうか?

ただ、改憲に関しては国民投票をする位の重要事項なだけに、人気取り政治家に任せて良いのか?と言う気がしている。
何故なら、今トーンダウンしている政策などは、いずれ実施されることがほぼ確定していることばかり。
確定している内容そのものも、どれだけ議論をされたのか?と言う印象を持っている。
今に始まったことではないにせよ、選挙前だからという「リップサービス」のような、耳障りの良いことばかり言わないで欲しい。

財政にしても、決して豊かとは思えないのに旧来的な感覚の「バラマキ」が行われている。
確か、民主党が与党の時には「バラマキ!」と、痛烈な批判をしていたとおもうのだが、今はそれ以上の「バラマキ」という予算だったと思う。
しかも、イノベーティブな事業分野への投資とはほど遠い・・・。

選挙で空手形をいっぱい出すのは、選挙に勝つためだろう。
でも、選挙民の多くは「空手形」にたいして、とても冷静に見ているのではないだろうか?
特に経済の分野では、「アベノミクス」の対象が「都市型・大企業」であって、「中小企業・地方・個人」には、恩恵がほとんど無い(状況)だ。
「円安」で収益が改善した大企業であっても、実際のビジネスでの売り上げは?と見ると、決して良い訳ではない。
そう考えると、「アベノミクス」効果はなかったのでは?と言う気がしてくる。

選挙前だから、支持を得られなさそうな政策はひとまず棚上げ、と言うのであれば選挙民をバカにしている。
メディアに踊らされないように、しなくては!と、静かな選挙期を考えるのだった。


文春のアンケート

2013-07-07 06:19:45 | 徒然

週刊誌「文春」がメルマガ会員向けに実施した「安藤美姫選手の出産」について、と言うアンケートが会員からの批判によって中止された。
アンケート中止の理由は、ご存じのとおり。

このアンケートについてのニュースを聞いた時、「今の生活者の感覚と大きくずれたアンケートだな~」という気がした。
安藤選手が社会的に注目される立場にあるとしても、「シングルマザーについて」とか「母親になって、オリンピックを目指す」という質問は、如何なのも?と言う気がしたメルマガ会員の反応は、とても今と言う生活者の価値観を表していると思う。
それが読めなかった文春というのは、封建的というか今と言う時代が読めていなかったのかな?と言う気がした。

文春がアンケートを実施するきっかけとなったのは、安藤選手がお子さんの父親について公表していないからだ。
そして安藤選手は、「父親については、発表を控える」というコメントを出しているにも関わらず、「父親探し」がはじまっている。
メディアの情報収集力は、凄いな~という気がする程で、この発表があった直後の週刊誌各誌には、「父親らしい」人物を探し出し、プロフィールや写真などを掲載している。

これらの報道を見ていると、マスメディアそのものの体質が封建的で、男性優位、と言う気がしてくる。
確かに、女性記者さんたちも活躍しているのだが、結局のトコロ編集方針などを決めるのは封建的な男性思考なのかな?と言う印象がある。

もう一つは、マスメディアに影響を与えているのは今の安倍政権なのかな?と言う気がしたのだった。
マスメディアは、政治とは関係の無い立場で在るべきなのだが、時の政権に影響されないはずが無い。
今の安倍政権が打ち出している政策の一部は、「旧来的家族像」を強く打ち出している。
「家族の絆」等の趣旨の発言が多く、何気なく介護など「家庭への負担増」を言っている。
それを可能とさせる為には「旧来的家族像」が必要であり、今回の安藤選手の選択は真逆の行動だったからだ。


日頃その様なコトを基に、与党批判をしているマスメディアなのだが、安藤選手の一件で図らずもその体質が出てしまった。
それだけのコトのような気がする。
そんなマスメディアの体質を、感覚的に理解しているのが今の若年層かも知れない。
と言うのも今の若年層は、マスメディアの情報を信用せず、FacebookやTwitterで流される情報の方が信頼性が高いと感じているからだ。

FacebookやTwitterで流される情報には、個人的バイアスが含まれているコトを考えると、鵜呑みするコト自体とても危ないと思うのだが、それはマスメディアに対する不信感の現れとも受け取れる。
今回の安藤選手へのアンケート批判は、決して文春だけの話ではない。
個人それぞれの「ライフスタイル」に、土足で踏み込んでも許される、と勘違いしてしまったマスメディア全体への批判なのだと思う。


SNSと選挙

2013-07-05 13:39:50 | 徒然

参院選挙が告示され、選挙戦が始まった。
今回の選挙から、ネットなどの活用ができるようになったため、「ネット選挙」のスタートとも言える。

「立候補者が何かをツイートし、それを見た選挙民がツイートする」と言うのが、一般的な「SNSを活用した選挙戦」というコトになるのだと思う。
そしてそのイメージを新聞などのメディアが、盛んに言っていると言う気がしている。

ところでこの「ネット選挙」本来在るべき姿とは、どのようなモノなのだろう?
新聞などを読むと「インターネット、特にSNSを利用して、立候補者がツィート為たりFacebookで、情報を発信したりする」というコトのようだが、それが「ネット選挙」では無いのでは?と言う気がしている。

むしろ、今まで選挙に対して積極的では無かった20代~30代に向け、「選挙に行こうよ。選挙に行かないと、自分たちの未来が危ういよ!」と、TwitterやFacebookなどで拡散し、彼らが自由に選挙や立候補者を語るコトの方が、SNSを使った選挙、といえるのではないだろうか?

先日「スタバゼロ県の選挙」という日経の記事について、エントリをした。
「地方が見えない東京メディア」
現在のSNSのヘビーユーザー(?)は、女性なら10代~20代、男性なら20代~30代。
この層は投票率も低く、政治というか選挙に対して余り興味・関心が高くない層、だといわれている。
とすればSNSを活用する、というコトはこの「選挙に興味・関心を持っていない層にアプローチをする」という意味でもある。

一昔、二昔の感覚では、SNSを使って発信すれば興味・関心を持ってもらえる、と言う感覚なのだろうが、現実の彼らは、自分達に興味・関心のないコトに対して「スルー」をしてしまう。
と同時に、彼らは立候補者の言葉ではなくリツイートされた仲間(同世代)の言葉を信用するという傾向がある。
しかも「炎上」という騒動を見れば判るように、同調性が強い傾向もある。

「SNSを活用した選挙」と言うのは、実は立候補者がつぶやいたり、Facebookで近況報告をして、親しみを持ってもらうのではなく、「まず、選挙ってどう思う?」というトコロから問いかけ、直接的な選挙行動をしてもらう、と言うコトなのではないだろうか?