日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

否定すればするほど、真実みを帯びるdocomoのiPhoneの取扱

2013-09-06 20:59:32 | ビジネス

今朝の一部の朝刊に、「docomo、iPhoneを発売開始」という内容の記事を掲載した。
そしてNHKのニュースまで、この内容が報道された。
流石に天下のNHKまでが、ニュースで報道するとなると、「いよいよdocomoもiPhoneを取り扱うのか!」と思われた方も多かったのではないだろうか。
実際、私もネットでNHKのニュースを見たとき、「遂に!(docomoも取り扱うのか)」と思った。

ところが、肝心のdocomo側は、否定している。
否定と言っても、「事実ではありません」ということを述べているに過ぎない。
うがった見方をすると「販売する事実は無いが、交渉はしている」とも読み取れる。
ハッキリしているようでいて、実はあやふやな否定の仕方なのだ。

「docomoが、iPhoneを取り扱うのでは?!」と言う報道は、今回が初めてではない。
過去、iPhoneの新商品が出ると言うニュースの度に、「docomo、遂にiPhone取扱開始か?」と、報道されてきた。
一時期シンガポールの現地法人が、日本人向けサービスを目的としているdocomoが、iPhoneを取り扱っている、と話題になったコトもある。
正しくは、シンガポールでのdocomoは、携帯電話やスマートフォンを使う日本人のための会社で、実質は現地の通信会社StarHub社が取り扱っている、と言うだけで直接的にはdocomoとは関係が無かったのだが、この様なことまで話題になるほど、docomoのiPhone取扱いと言うことが言われている。

では何故、このように度々話題になるのだろう?
大きな理由は、ご存じの通りdocomo一人負け状態が続いている、と言うコトだろう。
SoftBankがiPhoneを取扱始めてから、契約者数は増加し続けている。
そしてauも同じような状態だ。
docomoがiPhoneを取り扱えば、一人負け状態から脱却できるのでは?と言う感覚を生活者はもっているのだ。

もう一つあるとすれば、docomoユーザーの願望という気がしている。
docomoが取り扱っているAndroidに対して、高い満足を感じてはいないが、だからと言って他社に乗り換えるのは面倒くさい、docomoがiPhoneを取り扱ってくれれば、良いのに・・・と考えているユーザー達だ。
逆に考えれば、Androidスマートフォンメーカーは「何故、iPhoneなのか?」ということを、OSではない視点で、考えてみる必要があるかも知れない。
むしろ、その様な「分析」は、とても大切だと思う。

2、3ヶ月後、docomoが「iPhone取扱について、Appleと協議をしていました」と、発表されるのか?はたまた取扱を開始するコトになるのか?は、今のところわからない。
ただ、今のような新しいキャンペーンがことごとく失敗するとなると、テコ入れ策としては十分考えられる。
ただ、Appleから提示されるであろう諸条件の厳しさと、同一機種を競合他社と扱うリスクをどう考えるのか?と言うことだと思う。


判断ミスをするのは何故

2013-09-04 17:09:07 | アラカルト

今月は、「がん征圧月間」だというコトを、ご存じの方は余り多くないかも知れない。
実際、私自身乳がんという病気になってから知った。

今書店に行くと、「がん治療拒否」の本と「がん治療を勧める」本が並んで置いてあるコトが多い。
そして、多くの人は「がん治療拒否」の内容を知ると、安心と言うか「がん治療のために、早期発見・早期治療は必要無い。抗がん剤は、がん治療には効果が無い」と考え、極力「がん」という病気から目を離すことで、「自分はがんにならない」という、確信のない安心を得ようとしているかのように見える。

実際の統計から言えるコトは、日本人の死亡原因の第1位はがんで、約3割を占める。
男性の2人に1人、女性の3人に1人ががんに罹患している。
この傾向は日本だけではなく、欧米やお隣韓国などでも同様だと言われている。
と言っても、一番顕著なのは日本なのだ。
何故なら、日本が「長寿大国」だから。
そして、がん治療は日進月歩に進んでいる。

その様な事実がありながら、何故多くの人は「がん治療拒否」に、心動かされるのだろうか?
著者自身は抗がん剤を使って治療をする、腫瘍内科医ではない。
放射線治療を専門とする医師である。
専門家以外の言葉のほうが、世間的に支持され信用されている、と言うおかしな状況なのだ。

おそらくそれは「がん」という病気に対しての、知識も理解も十分にされていないからだと思う。

特に「がん治療拒否」を掲げる本に書かれている、「抗がん剤は効果がない」という一文は、一般的に知られている抗がん剤の副作用のイメージと相まって、「あんな辛い治療はしたく無い」という気持ちが、「がん治療拒否」を支持しているのではないだろうか?

人は悲しいかな、様々なデータにより立証されているコトよりも、自分にとって都合の良い情報を優先的に良しと理解してしまう傾向があるのだ。
「がん」という病気は、生死に関わる問題なので大きく取り上げられるのだと思うのだが、実際のビジネスでもこの様な「自分の都合に良い情報を優先的に判断材料としてしまう」というコトは、間々としてあるはずだ。
「こんなはずでは無かった!」という結果を生むのも、この様な判断のミス(と言って良いかどうかはわからないが)が、一因だと思う。

「冷静な判断さえできていれば・・・」と言うコトになるのだが、人はそれほど常に冷静ではない。
むしろ、自分の価値観や感覚を優先し、行動するコトのほうが多い。
私などは、それでどれだけ失敗を繰り返してきたことか!
だからこそ、一呼吸置いて専門家(最近は、似非専門家も多いので、注意が必要だが)の意見を聞く、と言う「余裕」が大切になってくる。

むしろ「余裕」と知識の少なさが、判断を誤る誘因となっているのかも知れない。
結果を急ぐ余り、本質を見る「余裕」を見るコトもなく、判断をするための客観的知識を得ようとしない。そして自分の都合の良い情報を信用する・・・判断を誤らせるモノは、自分の中にも沢山あるのだ。


予算は底なしではない

2013-09-03 20:07:40 | 徒然

東京電力の「福島第一原子力発電所」での、放射能汚染水処理の目途が全くたっていない。
「取りあえず」の策として、海に流出させないための策が取られていたが、その対策そのものが「・・・???」という内容だった。
結果として、あふれ出た汚染水が海に流れ出し、東北の海を再び「放射能汚染の海」にしてしまった。

この対応策そのものに、問題があったと言うのはもちろんだが、何となく東京電力も政府も「いざとなれば、税金で補填すれば良い」と思っていたところがあるのでは?と感じるこの頃だ。

確かに「フクシマ事故」の発端は震災ではあったが、その後の対応策が後手後手となり、いくら税金を投入しても、収束の気配が全く見えてこないような気がしている。
「汚染水処理のために税金を投入する」と言う条件に対して、具体的で抜本的な「汚染水処理の工程表とかかる予算」を東京電力に求める必要があると思う。
予算以上の費用が発生するなら、東京電力がもっている全ての資産を売り払ってでも、自己負担をする、と言う位の条件付だ。
そのくらい厳しい条件を提示しない限り、汚染処理そのものが進まないままズルズルと税金が投入されていくような気がしてならない。

民主党政権だった頃、自民党は「バラマキ予算だ」と言っていたはずだが、それよりも規模の大きな予算編成となっている。
いわゆる「族議員」と呼ばれる人たちが、「アベノミクス」と言う御旗?の下、予算を要求している結果だ。

そもそも日本は「財政難」という状況だったにも関わらず、何故見境のないような予算が組めるのだろう?
この様な状況を考えれば、社会保障に関わる予算は別にしても、「族議員」さんたちの名前が付きそうな施設や道路の建設は取りやめて、汚染水処理にあてるという発想は無いのだろうか?

企業であれ、一般家庭であれ「予算=収入」というのは、青天井ではない。
限られた予算の中で、工夫をしながらやりくりをしている。
それは国というレベルであっても、同じだと思う。
「汚染水処理が最優先」と言うのであれば、他の事業を一時中断しても「汚染水処理」に予算を充てる必要があると思う。
あれもこれも・・・と言う予算など、無いはずなのだ。
にも関わらず、相変わらず「昭和の高度成長期」のつもりで、予算を考える議員さんたちの発想が不思議でならない。



「スタバ」のドライブスルー、ヒットするかな?

2013-09-02 20:27:07 | ビジネス

昨日、所用があり午後出かけることがあった。
出かける、と言っても歩いて50分程度の場所。
地下鉄なら20分もかからない場所だが、ダイエットを兼ね歩くコトに。

その目的地の途中、長い間営業をしていた「ガスト」が、今年の春頃閉店をしたところがあった。
その後、瞬く間に更地になり、一体何ができるのか?と思っていた。
場所的には、近くに大きな緑地公園があったり、小学校~大学まである「文教地区」。
マンションの分譲、賃貸どちらも、人気の場所だ。
そんなロケーションの良さから、てっきりマンションでもできるのか?と思っていたら、「スターバックス」ができるようだ。

確かに、周辺は住宅地であるが故に、おしゃれなカフェなどはない。
事実、閉店はしたが「ガスト」そのものは、なかなかの客入りだったと言う印象がある。
そう考えると「スターバックス」の進出というのは、わかる。
わかるのだが、それが「ドライブスルー」となると、どうなのだろう?

「スターバックス」の魅力というのは、自宅にいるような感覚でゆったりとシアトル系のコーヒーが楽しめる、というものだと思う。
実際、近くの「スターバックス」に限らず繁華街の「スターバックス」でも、コーヒーを楽しみながら本を読んだり、PC(最近はタブレットPCか?)を開き、仕事をしたりしている人の姿をよく見かける。
もちろん、友人達と語らうお客さんの姿も多い。

「スターバックス」の魅力というのは、その様な「場所」というか「空間」を提供する、と言うコトだと思うのだが、それが「ドライブスルー」となると、魅力が半減してしまうような気がするのだ。
確かにテイクアウトされるお客様も多い。
だが、その様なお客様はいわゆるオフィス街のお客様で、郊外の住宅地のお客様ではないような気がするのだ。
しかも「ドライブスルー」で購入するお客様、と言うコトになると「できたてのコーヒーの美味しさ」を楽しむ距離のお客様ではない、と言う思うのだ。
名古屋は、クルマ社会の地域なのでそれこそ歩いて10分程度の距離でも、クルマを利用する方は多いとは思うのだが、何となく「スターバックスの魅力」という部分では、違うような気がする。

この店舗は、オープン前なので今後、どのようになっていくのかは未知数。
ただ、せっかくのロケーションの良さを考えると、何も「ドライブスルー」にしなくても・・・と、思うのだ。