■五穀豊穣祈念火焚祭の季節
晩秋から初冬へ少しづつ日々は巡り北国では冬の便りが舞う季節ですが、初冬の気配は未だ香るのみ、昨今若干まだ紅葉には早い今日この頃です。

伏見稲荷大社、全国三万の稲荷神社の総本社である社殿は伏見区深草藪之内町に鎮座しています。御神体は稲荷山であり千本鳥居として参道が続く情景は世界にも知られる幽玄で神秘的な情景で、参詣はひろく世界から御利益と東洋の神秘を目指して集う社殿です。

紅葉に彩られる京の都、桜の木々は一際早く黄金色と朱色とに彩り紅葉の季節に鏑矢を放つのは例年通り、しかし椛や楓に銀杏の木々が古都に紅葉の色彩を加えるのは今少し先のお話しで。さりとて早くも晩秋が見える今日この頃、紅葉に代えて朱色の社殿で飾りたい。

京都駅からJRでは奈良線で指呼の距離、京阪電車は洛中中心部から京阪本線が社殿までを結ぶ立地です。平安朝の頃から伊勢神宮が天皇と皇族勅使のみに参詣が許された時代から、広く社殿を参拝者に開いた社殿は、伊勢神宮と同格示し神社本庁に属さない単立神社です。

稲荷山は標高にして233mとなっていまして、一ノ峰と二ノ峰に三ノ峰の3つの峰を巡る鳥居が続いています。この鳥居は時間がある際に巡りますと中々に興味深いものがありまして、此処巡れば全国の難所という札所巡りでも中々に脚力と好奇心の応えに自信がつくのですが今回は間合いの都合で本殿まで。

旧官幣大社の社殿は創建を遡れば和銅年間の710年頃まで遡り、その始まりは秦氏の祖霊伊奈利を祀った社殿といわれます。所謂氏神が始りの社殿は一時衰退しますが、平安朝天長年間の827年に淳和天皇の勅使を以てこの社殿を再興する事となり、今日に至るという。

宇迦之御魂大神を祭神とする伏見稲荷大社は、鎌倉時代には神仏習合の信仰により佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神の五柱を奉じるところとなり、元々は五穀豊穣を祈る社殿は商売繁盛家内安全芸能上達に交通安全まで、御利益とする神社となりました。

神使の狐、宇迦之御魂大神を奉じる社殿ですがお稲荷様と云いますとおキツネさま、という印象が強い昨今です。“世話やきキツネの仙狐さん”という作品もありますが宇迦之御魂大神をヒロインとしたアニメ“いなり、こんこん、恋いろは。”ではその違いを正している。

五穀豊穣祈念の火焚祭、狐の印象はこちらでしょうか。伏見稲荷では先日この祭事が執り行われ、十万の火焚串を本殿の稲荷山に設けられた神苑祭場へ積み上げお焚き上げの神事を行うもの。串には家内安全に商売繁と万福招来が描かれ3m四方井桁状に積み上げられる。

大祓詞を唱える神職が神事では、まず神事で忌火を起し、神楽女より神楽の鈴音と共に本殿より火床に点火、火焚串を火床へ天高く報じて投げ入れ、天に還すという神事で、曰く火焚串は煙となり、やがて地に戻る事で次の春に五穀豊穣をもたらす、という祭事です。

おキツネさま、この信仰は平安朝初期の弘仁年間即ち810年代に北大路通沿いの船岡山麓に美しい銀毛の狐老夫婦が住まい、洛中の人々に温かく交流した事を思い出すと共に何か恩返しを思い立ちますが、中々に狐の身の上では難しい。そので意を決し洛外の稲荷山へ。

稲荷流記という真言宗の僧侶真雅により記された下りですが、老狐夫婦は子狐共々社殿に額づき、稲荷社の使いとなり人々に尽くす事を願い出たところ宇迦之御魂大神が降臨し、老狐夫婦と子狐を眷属に加えた、という。これがおキツネさまの始りということですね。

椛は香るのみですが間もなく紅葉で此処も凄い群衆に。東寺、此処伏見稲荷大社は京都現存最大の五重塔で知られる東寺からも指呼の距離にありますが、実は上記稲荷流記の説話に在る通り真言宗との縁も永くありまして、ここが民衆によりそう真言宗の教えと共に庶民に崇敬される神社へと大勢集まる社殿に至った背景にあるのでしょうか。

一ノ峰と二ノ峰に三ノ峰の3つの峰を巡るという参詣は中々に歩みと共に思慮深慮の時間を得る良き機会ともなるのですが、暇にそれ程の余裕のない最中には敢えて本殿を詣でて一万本に昇るという千本鳥居の参道を少し歩むだけでも、一つ心に一新の機運を感じられます。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
晩秋から初冬へ少しづつ日々は巡り北国では冬の便りが舞う季節ですが、初冬の気配は未だ香るのみ、昨今若干まだ紅葉には早い今日この頃です。

伏見稲荷大社、全国三万の稲荷神社の総本社である社殿は伏見区深草藪之内町に鎮座しています。御神体は稲荷山であり千本鳥居として参道が続く情景は世界にも知られる幽玄で神秘的な情景で、参詣はひろく世界から御利益と東洋の神秘を目指して集う社殿です。

紅葉に彩られる京の都、桜の木々は一際早く黄金色と朱色とに彩り紅葉の季節に鏑矢を放つのは例年通り、しかし椛や楓に銀杏の木々が古都に紅葉の色彩を加えるのは今少し先のお話しで。さりとて早くも晩秋が見える今日この頃、紅葉に代えて朱色の社殿で飾りたい。

京都駅からJRでは奈良線で指呼の距離、京阪電車は洛中中心部から京阪本線が社殿までを結ぶ立地です。平安朝の頃から伊勢神宮が天皇と皇族勅使のみに参詣が許された時代から、広く社殿を参拝者に開いた社殿は、伊勢神宮と同格示し神社本庁に属さない単立神社です。

稲荷山は標高にして233mとなっていまして、一ノ峰と二ノ峰に三ノ峰の3つの峰を巡る鳥居が続いています。この鳥居は時間がある際に巡りますと中々に興味深いものがありまして、此処巡れば全国の難所という札所巡りでも中々に脚力と好奇心の応えに自信がつくのですが今回は間合いの都合で本殿まで。

旧官幣大社の社殿は創建を遡れば和銅年間の710年頃まで遡り、その始まりは秦氏の祖霊伊奈利を祀った社殿といわれます。所謂氏神が始りの社殿は一時衰退しますが、平安朝天長年間の827年に淳和天皇の勅使を以てこの社殿を再興する事となり、今日に至るという。

宇迦之御魂大神を祭神とする伏見稲荷大社は、鎌倉時代には神仏習合の信仰により佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神の五柱を奉じるところとなり、元々は五穀豊穣を祈る社殿は商売繁盛家内安全芸能上達に交通安全まで、御利益とする神社となりました。

神使の狐、宇迦之御魂大神を奉じる社殿ですがお稲荷様と云いますとおキツネさま、という印象が強い昨今です。“世話やきキツネの仙狐さん”という作品もありますが宇迦之御魂大神をヒロインとしたアニメ“いなり、こんこん、恋いろは。”ではその違いを正している。

五穀豊穣祈念の火焚祭、狐の印象はこちらでしょうか。伏見稲荷では先日この祭事が執り行われ、十万の火焚串を本殿の稲荷山に設けられた神苑祭場へ積み上げお焚き上げの神事を行うもの。串には家内安全に商売繁と万福招来が描かれ3m四方井桁状に積み上げられる。

大祓詞を唱える神職が神事では、まず神事で忌火を起し、神楽女より神楽の鈴音と共に本殿より火床に点火、火焚串を火床へ天高く報じて投げ入れ、天に還すという神事で、曰く火焚串は煙となり、やがて地に戻る事で次の春に五穀豊穣をもたらす、という祭事です。

おキツネさま、この信仰は平安朝初期の弘仁年間即ち810年代に北大路通沿いの船岡山麓に美しい銀毛の狐老夫婦が住まい、洛中の人々に温かく交流した事を思い出すと共に何か恩返しを思い立ちますが、中々に狐の身の上では難しい。そので意を決し洛外の稲荷山へ。

稲荷流記という真言宗の僧侶真雅により記された下りですが、老狐夫婦は子狐共々社殿に額づき、稲荷社の使いとなり人々に尽くす事を願い出たところ宇迦之御魂大神が降臨し、老狐夫婦と子狐を眷属に加えた、という。これがおキツネさまの始りということですね。

椛は香るのみですが間もなく紅葉で此処も凄い群衆に。東寺、此処伏見稲荷大社は京都現存最大の五重塔で知られる東寺からも指呼の距離にありますが、実は上記稲荷流記の説話に在る通り真言宗との縁も永くありまして、ここが民衆によりそう真言宗の教えと共に庶民に崇敬される神社へと大勢集まる社殿に至った背景にあるのでしょうか。

一ノ峰と二ノ峰に三ノ峰の3つの峰を巡るという参詣は中々に歩みと共に思慮深慮の時間を得る良き機会ともなるのですが、暇にそれ程の余裕のない最中には敢えて本殿を詣でて一万本に昇るという千本鳥居の参道を少し歩むだけでも、一つ心に一新の機運を感じられます。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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