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【映画講評】最貧前線(2019)【第二回】特設監視艇の任務とドーリットル東京初空襲の歴史

2019-11-21 20:03:13 | 映画
■空母に立ち向かった改造漁船
 映画講評を掲げた演劇講評“最貧前線”は今回が後篇です。終戦から余りにも長い平安の温もりに凄惨な歴史を忘れがちとなる現代に鳴らす警鐘といえましょう。

 最貧前線、月刊モデルグラフィックス誌に宮崎駿氏が掲載したものは5ページ読み切りものでして、舞台最貧前線は、流石に5ページだけを忠実に舞台化したものでは少々間合いが持たないでしょう。すると、昭和のどのあたりで何処の海域での任務を再現しているのかは残念ながら舞台再演やDVD化が為されない限り、ちょっと分らないものがある。

 特設監視艇、しかし無駄であったかを問われますと、漁船転用とはいえ侮れない戦果を残しています。いや、木造船で100t前後のものは特設監視艇、300t前後のものは特設掃海艇、300t台の鋼製船は特設駆潜艇とされ、海軍自身も重要性を認め掃海特務艇第1号型や哨戒特務艇第1型や敷設特務艇第1号型として小規模造船所に発注し損耗を補填し、運用している程です。

 第二十三日東丸、そもそも特設監視艇とは何か、という事を考える際にはこの一隻が象徴的といえるでしょう。実は私が特設監視艇というものを知ったのは二十年と少し前の月刊丸誌に描かれた第二十三日東丸の奮戦と生存者の写真、米軍側が撮影の写真をモノクロ特集にて知った際でした。通称黒潮部隊第二十二戦隊第二監視艇隊所属の歴史に残る一隻だ。

 ドーリットル東京初空襲、第二十三日東丸は1942年4月18日に実施されたアメリカ軍による初の日本本土空襲を前にB-25爆撃機を改造搭載したハルゼー提督の空母ホーネット、空母エンタープライズによる日本本土接近を本土600浬東方警戒監視中に発見し、警報発令、これを受け連合艦隊は即座に対米国艦隊作戦第三号に基づく迎撃命令を発令しました。

 パールハーバーが描いていた特設監視艇、古鷹型重巡のようなシルエットが描かれていましたが、実際には第二十三日東丸は木造総トン数90tの漁船だ。記録によれば25mm単装機銃か13mm機銃を少なくとも一門、そして陸戦隊が装備する7.7mm機銃を数丁搭載していましたが、ドーリットル空襲には空母2隻と巡洋艦5隻、駆逐艦8隻が参加していた。

 ハルゼー提督は予期しなかった日本本土周辺における警戒監視網に遭遇し、幕僚も混乱したと記録されていますが、即座に第二十三日東丸の撃沈を下令し軽巡洋艦ナッシュヴィルが152mm艦砲で攻撃、第二十三日東丸からは敵空母部隊本土接近の通信を継続しつつ機銃により応戦していたとの記録も残っています。ただ機銃では巡洋艦に傷もつけられません。

 黒潮部隊、アメリカ海軍は想定外であった日本本土防衛への警戒網を前にハルゼー提督は爆撃機搭載で艦載機を運用できない空母ホーネットに代わり護衛展開していた空母エンタープライズよりF4F戦闘機を発進させ機銃掃射を実施、粟田丸、海神丸、第一岩手丸、第二旭丸、長久丸、第一福久丸、興和丸、第二十六南進丸、栄吉丸、第三千代丸等が被害に。

 特設巡洋艦赤城丸、軽巡洋艦木曾、潜水艦伊七四が救助へ急行しますが、2隻が艦砲により撃沈され1隻が火災延焼を止められず乗員が救助の後放棄され沈没、戦死者も33名出ています。ただ、命を懸けた情報の価値は大きく、ドーリットル空襲は半日早く、即ち本土から遠い海域で発艦となり、軍事施設への被害は改装中の空母龍鳳中破等に限られました。

 特設監視艇は少なくともアメリカ軍の東京初空襲に対して警報発令を実施出来た事は戦果といえました。しかし、アメリカ軍は以後形勢が変わり1944年以降、空母による日本本土攻撃を前に、特設監視艇に対して積極的な攻撃を加えるようになり、特設監視艇として重用された漁船は400以上、少なくない漁民が空母艦載機の攻撃を前に海に散っています。

 ヨット、日本は漁船を用いたので悲惨だった、と言われるところですが世界を見渡しますとイギリスはヨットを徴用し特設監視任務に充てています、ドイツ海軍のUボートによる通商破壊に悩まされたイギリスは充分な燃料が無い為、民間ヨットを徴用し帆走により燃料を用いず、通信機も手回発電式として釣りで自給自足し洋上監視任務に充てていました。

 イギリスのヨットによる特設洋上監視任務は、イギリス本土防空戦に際してUボートの監視とノルウェー方面からイギリス北部を狙うドイツ爆撃機の監視に活躍しています。ただ、ドイツ海軍には空母は無く、爆撃機も中型双発機が大半、ヨットを襲撃へ低空に降りて機銃掃射する余裕は無かったようで、幸か不幸かヨットにそれ程悲惨な歴史はないのですね。

 アメリカは特設監視艇のような艦がありませんでした、やはり日本だけの悲惨な運用なのか、と問われますと、そうではなく、アメリカ西海岸は幾度か日本潜水艦による艦砲射撃や航空攻撃に見舞われているのですね。アメリカは警戒していなかっただけに潜水艦から奇襲された構図です。すると悲惨な運用を回避したのではなく、単に警戒不充分といえる。

 巡潜乙型潜水艦、日本海軍の泉水案は大型で航続距離が長く一部は航空機を搭載していました、この為、アメリカ西海岸へも充分に往復攻撃が可能で日本軍西海岸上陸近し、と恐慌状態に。ドーリットル空襲は潜水艦による西海岸攻撃、その反撃の為の多分に戦意高揚目的のものでしたが、日本が特設監視艇警戒網に驚いたのはアメリカの無防備故の驚きだ。

 赤城丸。ただNHKの論調と過去にNHKスペシャルとして放映されたものに海軍徴用船という特集がありましたが、変に混同しないようにする必要はあるでしょう。“NHK【ETV特集】戦時徴用船 ~知られざる民間商船の悲劇”という5年ほど前の番組ですが、海軍に徴用された無防備の民間船が戦火に沈んだ、として特設巡洋艦赤城丸が紹介されています。

 特設巡洋艦は戦間期にイギリスが準備したコーフー級特設巡洋艦を視察した造船士官が参考としたもので、コーフー級は補助金を出した高速貨物船を徴用し、8000tの船体に152mm砲や魚雷と機関砲多数、更に航空機を搭載したものでイギリス海軍は実際、Uボートとの大西洋の戦いや地中海シーレーン防衛に第一線に投じ活躍したもの、これの日本版でした。

 南の島は戦場になった トラック空襲75年目の真実、赤城丸が出たのは、録画していなかった事が悔やまれますが、気になったのは特設巡洋艦を非武装商船として説明していた点で、実際は14cm砲4門と25mm連装対空機銃2基4門に13mm機銃16門及び53cm連装水上発射管や零式水上偵察機で武装していたのですね。混同しないよう注意が必要です。

 閑話休題。NHKによれば舞台“最貧前線”に際し宮崎駿氏の“「“なんとか犬死にをしないで、また魚をとるんだ!”っていうね、そういう人たちが出てきてそれを全うする話をね、僕はやってみたいと前から思っていたんです」”という部分が舞台化原動力となったようでして。実際、戦後70年75年と云われ続ける中、実感わかない世代が大半となりこの流れは貴重だ。

 特設監視艇は知っていましたが、“最貧前線”は実は当方未読でした。月刊モデルグラフィックス誌に掲載されていたものでして、実は当方、軍事雑誌は和洋共に色々と拝読しているのですが、月刊モデルグラフィックス誌は基本として高校生以降模型を造りませんので、宮崎駿御大の名著だぞ、知人友人変人に冷やかされながらの舞台“最貧前線”話題でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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