■祇園祭には不思議がある
本日は文化の日という事で祇園祭特集最終回に美しい絨毯やタペストリーの山鉾巡行上掲を紹介しましょう。
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絨毯やタペストリーにはしかし、寿命があります、そしてこれを改める事により、当時の技術の一端が示されるという、例えば2014年の南観音山だ。南観音山はペルシャのイスファハンで17世紀に織りました豪華けん装品を用いていましたが、使い続けて300年です。
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ペルシャのイスファハン、さすがに300年間使い続けるのは難しく、修復にも退色という限界がありました、いまはペルシャという国がイランになっていますし、イランのイスファハンには当時のメーカーも無い。すると、日本国内で再生するほか方法はありません。
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南観音山のイスファハン毛織物、そこで山形県の国内最高技術を有するメーカーにより今世紀に入り再生したという。しかし3cmに8本のたて糸をもちいるのが現在の最高級品ですが、南観音山は19本のたて糸を用いて密度の濃いものをもちいていた、とのことでして。
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17世紀のペルシャ絨毯、北大路でイラン絨毯が買えても17世紀のものはむりですが、日本最高の職人でもここまで密度のこいものは一日1cmしかおれないというものでして、300年前の技術に現代の観点からも驚かされ、実に2年間を要したという2014年のはなしです。
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祇園祭があるからこそ京都に世界で唯一残ったものも多い。そのひとつは長刀鉾、そのタペストリーで巡行の先頭をつとめます。先頭を往く籤とらずからして、このタペストリーか絨毯は祇園祭最大の謎と言われるそうで、メトロポリタン美術館さえ謎が解けません。
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長刀鉾、そのタペストリー。梅樹と描くこの絨毯、東洋の印象を与えるものですが幾何学模様がまわりにえがかれ、どこのものなのか、梅があるために中国の文化圏なのだろうけれどもそれ以外は謎で、世界のどこにもない模様という、どこでどう織られたものなのか。
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絨毯は堅く不思議な毛が用いられているため、メトロポリタン美術館の絨毯専門家にも皆目検討就かず、全くの謎だとも。カケンテストセンターにより化学分析を細心の注意とともに毛を採取し実施したところでは、ラクダの可能性があるという、古く成分は不詳とも。
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光学顕微鏡では、ヒツジでもヤクでもない、ラクダとは似ているものの、しかし表面形状が異なる、そこで大津市タカラバイオでのDNA分析を実施したところ微量のDNAは環境DNAのノイズがおおく分析に三週間を要したとのことです。PCR検査と同じく大変だ。
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DNAは解析されてみますと、二種類の動物のDNAが。牛、生息範囲が広く産地の手がかりとは成らない、しかしもうひとつ、希少動物のチベットカモシカが判明します。チベットカモシカとなりますとチベットと周辺にしかいませんし、余り毛織物には用いられない。
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チベットカモシカで謎は逆に深まったともいう、何故ならばあの界隈ではそれ程毛織物産業が盛んになったのは近世以降、時代が合いません。長刀鉾、くすんだ黒い色の絨毯、染色家吉岡幸雄氏は不思議な暗い図柄で朱色がもちいられておらず毛織物専門家がこうよむ。
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毛織物専門家の視点では、豊かな地域の織物ではないと分析し、辺境の産物ではないかと染色家の視点から分析します、砂漠で植物の豊かで無いような、そして中国文化圏、するとゴビ砂漠やタクラマカン砂漠などが考えられます。そしてチベットカモシカの毛、と。
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中国と云えば繊維業でシルクロードのシルクは一時代を築いたものですが、近代以前の中国には絨毯の文化が無く、すると二つの文化を結んだ何かの結節点が無ければなりません、イスラムと中国を横断する大帝国として考えられるのはその両方を征服したのはひとつ。
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モンゴル帝国、イスラムと中国を横断する大帝国はモンゴル帝国のみという、だからこそ歴史上の特別な時代、異なる文化の融合をダイナミックに再現した絨毯、破壊もしたが文化を興隆させたモンゴル帝国のものではないか、と。すると調べれば出てくるものがある。
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ロンドン絨毯専門誌編集長ベンエヴァンス氏はチベットで発見された新しい絨毯が似ているといい、放射線炭素の分析でも同時代のものという、飾りの模様にも共通点がある、チベットにもイスラムにも近いために中国北部で織られたのではないか。こう推測が成立つ。
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チベットカモシカ、チベットの模様、中国北西部高山地帯の産物といえるのかもしれない。そこで導く仮説は、モンゴル帝国により多くの民族が出会い、辺境の地域に適合する独自の絨毯が生まれます、しかしモンゴル帝国の終焉とともに技術は失われた、ということ。
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動く美術館、山鉾をこう表現していますのは、成程その通りといえるものでして、しかし美術館というよりは謎が身を纏う博物館といえるのかもしれません、こう数百年の歴史が祇園祭の長刀鉾ひとつとっても、導き出せるのですね、祇園祭は不思議なものなのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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本日は文化の日という事で祇園祭特集最終回に美しい絨毯やタペストリーの山鉾巡行上掲を紹介しましょう。
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絨毯やタペストリーにはしかし、寿命があります、そしてこれを改める事により、当時の技術の一端が示されるという、例えば2014年の南観音山だ。南観音山はペルシャのイスファハンで17世紀に織りました豪華けん装品を用いていましたが、使い続けて300年です。
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ペルシャのイスファハン、さすがに300年間使い続けるのは難しく、修復にも退色という限界がありました、いまはペルシャという国がイランになっていますし、イランのイスファハンには当時のメーカーも無い。すると、日本国内で再生するほか方法はありません。
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南観音山のイスファハン毛織物、そこで山形県の国内最高技術を有するメーカーにより今世紀に入り再生したという。しかし3cmに8本のたて糸をもちいるのが現在の最高級品ですが、南観音山は19本のたて糸を用いて密度の濃いものをもちいていた、とのことでして。
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17世紀のペルシャ絨毯、北大路でイラン絨毯が買えても17世紀のものはむりですが、日本最高の職人でもここまで密度のこいものは一日1cmしかおれないというものでして、300年前の技術に現代の観点からも驚かされ、実に2年間を要したという2014年のはなしです。
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祇園祭があるからこそ京都に世界で唯一残ったものも多い。そのひとつは長刀鉾、そのタペストリーで巡行の先頭をつとめます。先頭を往く籤とらずからして、このタペストリーか絨毯は祇園祭最大の謎と言われるそうで、メトロポリタン美術館さえ謎が解けません。
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長刀鉾、そのタペストリー。梅樹と描くこの絨毯、東洋の印象を与えるものですが幾何学模様がまわりにえがかれ、どこのものなのか、梅があるために中国の文化圏なのだろうけれどもそれ以外は謎で、世界のどこにもない模様という、どこでどう織られたものなのか。
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絨毯は堅く不思議な毛が用いられているため、メトロポリタン美術館の絨毯専門家にも皆目検討就かず、全くの謎だとも。カケンテストセンターにより化学分析を細心の注意とともに毛を採取し実施したところでは、ラクダの可能性があるという、古く成分は不詳とも。
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光学顕微鏡では、ヒツジでもヤクでもない、ラクダとは似ているものの、しかし表面形状が異なる、そこで大津市タカラバイオでのDNA分析を実施したところ微量のDNAは環境DNAのノイズがおおく分析に三週間を要したとのことです。PCR検査と同じく大変だ。
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DNAは解析されてみますと、二種類の動物のDNAが。牛、生息範囲が広く産地の手がかりとは成らない、しかしもうひとつ、希少動物のチベットカモシカが判明します。チベットカモシカとなりますとチベットと周辺にしかいませんし、余り毛織物には用いられない。
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チベットカモシカで謎は逆に深まったともいう、何故ならばあの界隈ではそれ程毛織物産業が盛んになったのは近世以降、時代が合いません。長刀鉾、くすんだ黒い色の絨毯、染色家吉岡幸雄氏は不思議な暗い図柄で朱色がもちいられておらず毛織物専門家がこうよむ。
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毛織物専門家の視点では、豊かな地域の織物ではないと分析し、辺境の産物ではないかと染色家の視点から分析します、砂漠で植物の豊かで無いような、そして中国文化圏、するとゴビ砂漠やタクラマカン砂漠などが考えられます。そしてチベットカモシカの毛、と。
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中国と云えば繊維業でシルクロードのシルクは一時代を築いたものですが、近代以前の中国には絨毯の文化が無く、すると二つの文化を結んだ何かの結節点が無ければなりません、イスラムと中国を横断する大帝国として考えられるのはその両方を征服したのはひとつ。
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モンゴル帝国、イスラムと中国を横断する大帝国はモンゴル帝国のみという、だからこそ歴史上の特別な時代、異なる文化の融合をダイナミックに再現した絨毯、破壊もしたが文化を興隆させたモンゴル帝国のものではないか、と。すると調べれば出てくるものがある。
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ロンドン絨毯専門誌編集長ベンエヴァンス氏はチベットで発見された新しい絨毯が似ているといい、放射線炭素の分析でも同時代のものという、飾りの模様にも共通点がある、チベットにもイスラムにも近いために中国北部で織られたのではないか。こう推測が成立つ。
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チベットカモシカ、チベットの模様、中国北西部高山地帯の産物といえるのかもしれない。そこで導く仮説は、モンゴル帝国により多くの民族が出会い、辺境の地域に適合する独自の絨毯が生まれます、しかしモンゴル帝国の終焉とともに技術は失われた、ということ。
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動く美術館、山鉾をこう表現していますのは、成程その通りといえるものでして、しかし美術館というよりは謎が身を纏う博物館といえるのかもしれません、こう数百年の歴史が祇園祭の長刀鉾ひとつとっても、導き出せるのですね、祇園祭は不思議なものなのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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