北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】第7師団創設56周年記念行事(03)師団長巡閲と部隊観閲行進準備(2011-10-09)

2022-02-20 20:20:00 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■北海道千歳に機甲師団あり!
 ウクライナ情勢が今この瞬間に緊迫度を増す中に自衛隊の機甲師団を見ますとなにか隣国の牙が東方に向いた場合にも備えが在る事に安堵する。

 第7師団祭、師団長の磯部晃一陸将が巡閲を行い、そして訓示、来賓祝辞と祝電披露という、厳かな行事が進められるのですが、やはり何度見ても90式戦車を筆頭に並ぶ機甲師団の威容には圧倒されます、戦車を恐竜に喩える人もいますが、日本防衛には恐竜が要る。

 冷戦後という幸せな時代は終焉を迎えつつあるのではないか、ウクライナ国境でのロシア軍によるウクライナ危機をみていますと、鉄のカーテンこそまだ降りてはいませんが、ロシアとの国際関係は今までのような資源供給国と広大な大地の国から変容しつつある。

 米中対立という、もともとは知的財産の世界的集約拠点アメリカと世界の工場中国、そのバイラテラル関係というものが中国の海洋進出とともに知的財産拠点のアメリカとの二分化へ進んだことで不協和音が生じ始めているところで、転換期が見え始めていましたが。

 レジームチェンジ、これは考えてみれば日本は東西冷戦終結はもちろん、第二次世界大戦敗戦、サンフランシスコ平和条約とその背景、考えれば数十年に一度の頻度であります訳で、1991年のソ連崩壊から2022年はすでに31年となるわけです、次の波が到来したとも。

 北海道の防衛力、日本にとって僥倖なのは、かなり削減したとはいえ北海道の戦車部隊と重戦力を、危機に対応できる水準で維持していることにあります。信じられないかもしれませんが冷戦時代にはソ連のT-72戦車が北海道に上陸し74式戦車と戦う懸念が高かった。

 90式戦車の時代となりますとソ連崩壊と重なりT-90戦車が北海道に上陸するにも、海上自衛隊と陸上自衛隊地対艦ミサイル部隊の防衛を突破して北海道に上陸するには、核攻撃でも加えなければ難しい時代、地対艦ミサイル連隊は坑道中隊とともに核攻撃には備えた。

 しかし、10式戦車の時代にロシアのT-14戦車が上陸するのかと問われれば、T-14はハイブリット戦争を想定した戦車戦闘の比重を若干低くし、遠方から丸見えになるような、T-80やT-90よりも巨体の戦車とはなっていましたが、蓋然性は、実際どうかんがえるのか、と。

 ウクライナ危機をみていますと、過去24時間のウクライナ東部における停戦義務違反が1500回、その前日が600回となっていますので、グレーゾーン事態の懸念も高まっているさなか、ロシアの脅威は過去のもの、というには少々難しい現状があるよう思えるのです。

 この式典ところで、少し前回の写真と重複があるよう見えますが、気のせい、ではなくこのときはEOS-7DとEOS-50Dの二つのカメラを活用していましたためです、望遠レンズをEOS-50Dに装着して広角レンズをEOS-7Dに装着して、転換の時間差を省いたのです。

 EF28-300mmISレンズ、現在はCANONの白レンズでも便利ズームと称されるレンズを活用していますので、観閲行進は戦車や装甲車が間近まできますのでEF15-85mmISレンズかEF18-200mmISレンズを活用、遠方を撮影する訓練展示は28-300mmを使っています。

 2011年、この頃はSIGMAの120-400mmOSレンズを望遠レンズとして活用していました、これもすばらしいレンズなのですが、特にデザインの優美さと機能美、構えていて疲れない性能だけでなく使い手を考えたレンズなのですが、広角が、いのです、望遠だから。

 EOS-50Dには望遠ズームを装着していました、理由は簡単でEOS-50Dにはバッテリーグリップを装着していたのです、電力消費量の多い望遠ズームを装着していても対応できる、撮影は望遠で遠景を撮影し、被写体が寄って来たら即座にEOS-7Dへと秒で持ち替える。

 EOS-7D,いまはmark2が生産終了となり久しいのですが、mark2は予備を含めて二台、予備の方は保管したまま、EOS-7DとEOS-7Dmark2とを使っているのですが、EOS-7Dをお散歩カメラ、mark2を自衛隊撮影用としてほぼほぼ使っている態勢です。考えると長い。

 戦闘機撮影などに、考えてみれば2011年から使い続けているEOS-7Dは十年以上使っているのですが、F-35戦闘機を撮影しました際に、このときはたまにはmark2ではなくEOS-7Dで小牧基地を散策していたらばF-35が出てきたので撮影、すると案外高い解像度を。

 第7師団、この2011年と今を比べると74式戦車が消えて10式戦車が配備開始され通信機材がコータム、拳銃ホルスターと制服が変わった程度と、前にふと思ったのですが、それを撮影する撮影機材のほうも7Dを7Dで撮影しているのは変わらない、ふとそんなことを。

 G-12,この第7師団祭はコンパクトデジタルカメラを定点撮影用に初めて動員した記念すべき行事でもありました、それまではコンパクト機種の性能に不満がありましたが、CANONのpowershotG-12はレリーズによる撮影が可能で、しかもカメラとしての性能も高かった。

 現在はG-3Xという同じCANONのpowershotシリーズの一番大きな、そして凄い望遠性能をもつ機材を活用していますが、意外と視線の及んでいない角度の知らない構図を、レリーズ操作だけは自分なのですが、しっかりと撮影していてくれますので頼りになります。

 師団祭。動き出した戦車部隊、こればかりは実際に体験してもらうほかないのですが、この数の戦車や装甲車に装甲戦闘車に自走榴弾砲がエンジンを始動させますと、空気が震えるのです、馬力にすると、戦車は1500馬力で、数が、計算するのは大変だが凄いもので。

 千歳のF-15戦闘機、このエンジン始動も間近で聞いていますと鼓膜の振動が大きくなり過ぎて、轟音と云うよりも音ではない何かが空間を支配しているような錯覚を覚えるのですが、点で動く戦闘機と違って、戦車というか機甲師団は、この一帯が振動で動きを感じられる。

 戦車部隊、陸上自衛隊では長らく最大の安全保障上での脅威が極東ソ連軍による北日本侵攻という蓋然性でしたので、戦車の優先度は高いものでした。戦車の優先度、日本の場合は曲がりなりにも10式戦車が開発されていますので高い水準にあるといえるのですが。

 レオパルド2のように後継が開発されない状況と比べれば日本は恵まれている、これは多分に国際情勢の反映と云えましょう。日本の場合はロシアのT-14アルマータ戦車や中国の99式戦車などのような現実的な脅威が在りますので、戦車開発は必然的といえましょう。

 韓国のK-2戦車量産のように明日にも否まさにこの瞬間にも北朝鮮軍の戦車部隊が南下をはじめるのではないか、というほどの脅威にみまわれているかといいますとそこまでではありません。一方、10式戦車を開発している点は、賛否両論ある緊張状況、というものが。

 欧州のようにレオパルド2主力戦車、改良は重ねられているものの1979年に開発された戦車を延々と改修している、なにしろ1979年といえば2019年で既に開発40周年、こうした状況ほどではありません。欧州ではフランスのAMX-56ルクレルクがまず思い浮かぶ。

 ルクレルクの他、イタリアのアリエテ2戦車も開発されているのですが、ルクレルクについては改修限界に達していますしアリエテ2については需要の薄さから改良型開発が停滞しており、更に欧州全体ではレオパルド2のみが普及している状況、という印象ですね。

 欧州域内でみてもアリエテ2とルクレルクは輸出に成功していません。戦車の優先度は、こう考えれば緊張度の裏返し、というものなのですね。自衛隊の場合は10式戦車の開発をしている、この重要性についてはいったん戦車開発を中断させると生じる問題点を示す。

 技術は失われると、再開するのは簡単ではないという現実を直視したものともいえましょう。EMBT,欧州共同開発としましてフランスとドイツがレオパルド2の後継として欧州で統合運用する性能を持ち、またフランスもルクレルク後継となりうる戦車開発はまだ先で。

 EMBT計画というものが漸くルクレルク等の後継に2019年より本格化させています。イギリスのチャレンジャー2主力戦車を忘れていたか、これもレオパルド2以降に独自開発されたもの。EMBT、欧州主力戦車という意味なのですが、安直な選択肢として印象がある。

 ユーロサトリ2019兵器見本市ではレオパルド2の車体にルクレルクの砲塔を搭載するという、新しい印象が全くない、田宮模型の戦車があれば誰もが一度はやっているような選択肢を提示していました、ルクレルクの部隊配備は1994年、ポスト冷戦時代の戦車という。

 1994年というど要するに日本の90式戦車と比較しても新しい戦車でした。レオパルド2はさすがに戦車王国ドイツ、最近はそうはいえないもののレオパルド1を大量生産した歴史に依拠したうえでのレオパルド2ですので間違いではあるまい、とこうなる構図です。

 レオパルド2は機械的に優れた設計となっています。実際乗ってみた方の話でも安定していたといいますか、90式戦車の殺人ブレーキのような振動も無かったといいます、一方でレオパルド2の悩みは砲塔設計の古さでして、こればかりは近代化もどうにもなりません。

 レオパルド2A4までの改良型をみますと射撃統制装置は砲塔の正面装甲を貫通した位置に配置されていますので、照準機の部分に敵戦車砲弾が命中したならば確実に撃破されうる防御上の脆弱性でした。砲塔は、なにしろ装甲防御を考えれば容量を増すことは難しい。

 砲塔を一定以上巨大化できませんし、重くなれば旋回装置も再設計が必要、これも出来ないことではないのですが、限界はあります。一方の方で、フランスのルクレルクは、車体部分の設計をなんとかしなければならないほどに稼働率に問題が指摘されていました。

 先進的な動力系統というものは、一歩間違えれば大変なことになる、というのは旧ソ連のT-64戦車にも当てはまるところでしたが、ルクレルクの場合は演習場はともかくとして演習場をでての生地演習となりますと、勿論実用兵器としての範疇ではあるが大変だという。

 フランス軍は兎も角、諸外国の視点で稼働率を維持させるための整備負担が看過できない水準で、UAEアラブ首長国連邦への輸出ではエンジンを信頼性あるものに交換するという条件が付いていたほどです、一方でデータリンク能力などはルクレルクは高い水準でした。

 完全な兵器というものは存在しないか冗長性を欠くために性能寿命に限界が近いものといえるのかもしれませんが、戦車開発を止めてしまいますと、良いとこ取りの設計に甘んじる他ない、という現実があるのかもしれません。これは日本も一旦止めれば、例外でない。

 日本には戦車の国産技術があります、世界最強と云い得る戦車さえ国産できる、しかしこれを政治は蔑としていないのか、日本は海洋国家だ、こう反論があるようですが、海洋国家が狭い海の対岸に戦車大国を幾つも対峙しています、こうした認識を、忘れるべきでない。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【映画講評】イルカがせめてきたぞっ(1971)【2】イルカ軍の戦車はポルシェ245型軽戦車

2022-02-20 18:11:03 | 映画
■戦時下ドイツで設計の戦車構想
 イルカがせめてきたぞっ。有名なイラストですが聞けばガレージキットでイルカ兵の立体化が行われているという。そのイルカ軍戦車に自衛隊の戦車は対抗できるのか。

 イルカ。映画“オルカ”では石油施設を爆破するなど大暴れしていますが、実際のイルカを見ますと、知能が高いという事でロシアやアメリカの海軍特殊部隊で特殊部隊員を支援する任務に当り、軍用犬の水中版のように活躍しています、アメリカ海軍の特殊作戦用潜水艇にはイルカ用の区画がありまして、肺呼吸のイルカに海中でも呼吸できる設備がある。

 ジョーズ3、映画の中では巨大サメに立ち向かうも歯が立たない描写が在りましたが、実は逆で特殊部隊員が海中でサメに襲われた場合は、サメの弱点は鰓であり、この部分は衝撃に弱くイルカが体当たりしますと簡単に窒息させられる、特に巨大なサメは動きが概して鈍重で、意外にも小柄なイルカは爆撃機を襲撃する戦闘機の如く優位を保てるといいます。

 イルカがせめてきたぞっ、イラストのイルカは酸素ボンベを背負っており、肺呼吸だろう、と反論があるようですが、考え方によっては呼吸出来ない経路を水路侵入に用いて奇襲したか、若しくは考えたくない事ですが、イルカの国は化学兵器禁止条約に批准していない事から、化学兵器や生物兵器を使っている可能性も。人類は海中に色々遺棄しましたからね。

 ポルシェ245型軽戦車、イルカがせめてきたぞっ!イラストの特徴を満たす戦車はこのポルシェ245型軽戦車が該当します。第二次世界大戦中、ポルシェ博士が中心となり数々の重戦車を歴史に残しています、しかし、ポルシェ社は戦時中に、巨大で強力だが生産性の低い重戦車と共に汎用性の高い軽戦車についても相応の研究開発を行っていました。

 特殊車両Vとして開発されていたポルシェ245型軽戦車は、多目的戦車として設計され、複数の種類の装備体系を統合するという、戦時における補給体系の簡略化を期していた、ポルシェ博士なりの戦時急造設計でした。もっとも、イルカがせめてきたぞっ、イラストは一枚だけであり、どのようにしてこの戦車の情報がイルカ軍に渡ったかは正に謎という。

 多目的戦車、軽量な車体に高い防御力を持たせるという難題に果敢に挑んでいます、その車体重量は18tを見込んでおり、Ⅲ号戦車が23tですので、これよりも小型となっています。軽量と防御力、矛盾する要求をポルシェ博士は被弾経始構造と傾斜装甲採用により装甲厚を稼ぐ設計で応える事としたもよう。車体部分は既存設計を用い早期量産を重視する。

 38(t)戦車、車体部分はチェコスロバキアの併合により鹵獲した38t戦車の車体を利用します、38(t)とは重量が38トンと云う訳ではなく38年式戦車の意味、ドイツ軍では初期の電撃戦に国産戦車不足を補うと共に末期戦に際しては車体製造ラインを用いPaK39-75mm対戦車砲を搭載した駆逐戦車ヘッツァーとして運用し、ポルシェ博士もここに着目した。

 Ⅲ号戦車の正面装甲は57mmで側面及び後部装甲は30mmとなっていますが、これよりも二割以上軽量なポルシェ245型軽戦車はドーム型砲塔を採用する事で60mmの防御装甲を確保する構想でした、もっともその分、砲塔内部の容積は局限化されます。ポルシェ245型軽戦車は、この砲塔内部の極小化に際し、新型砲を搭載する事で装填手を廃止しました。

 新型砲とは短砲身の55mm口径機関砲を示し、ベルト給弾式機関砲を採用する事で装填手の空間を廃止し小さな砲塔に重装甲という無理を実現しようとした構図です。そして機関砲という戦車砲以外の火砲を搭載する為、仰角90度、つまり頭上まで操砲可能という構造を採用しており、例えば対空戦車としての運用も想定しています。砲塔形状とも合うもの。

 55mm口径機関砲を搭載する多目的戦車、乗員は車長と砲手に操縦手の3名で全長4.61mに全幅2.15m、全高は2.42mと砲塔形状から軽戦車としてはやや高く、エンジンは新設計のポルシェタイプ101エンジンを採用、原型のプラガEPAエンジンの125hpよりも遥かに強力な316hpを発揮し、また小型化されている為、車体戦闘室を広く採れる計画でした。

 強力な新型戦車と見えましたが、軍需省兵器局は生産を却下しました、38(t)車体を利用してもエンジン配置とエンジンを別物とする事は兵站上の負担を増大させ、またドーム型砲塔は鋳造式となり量産に不向き、更に肝心の55mm機関砲の開発目処も立たず、55mm砲弾では対戦車用に威力不充分、1943年の戦時下では必要性に見合わないと判断したのです。

 小松崎茂先生も何故イラストにポルシェ245型軽戦車の形状をそれっぽく流用したのか、今となては謎ですが、イルカさんたちも、試作車は無いものを終戦のどさくさに海没処分された設計図を、あのポルシェ博士の設計ならばと量産したのでしょうか、しかし、そんな戦車では当時開発中の74式戦車は勿論、61式戦車に対しても対抗は難しいでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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