北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

基地取材報告

2005-10-09 23:35:00 | 北大路機関 広報
 昨日、10月8日、兵庫県にある海上自衛隊阪神基地を取材し、本日10月9日は、愛知県の航空自衛隊小牧基地航空祭を取材した。
 詳報は、後日、本ブログ等において掲載する予定である。お楽しみに。
 
 HARUNA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次期汎用護衛艦の展望

2005-10-08 00:32:58 | 防衛・安全保障
 権威ある海事専門誌、世界の艦船2005.11の今月号特集は、海上自衛隊の次世代護衛艦に関するものであった。
__fh0000371982年より護衛艦隊の主力艦として12隻が建造された“はつゆき”型(4000t)は、ガスタービン推進・対水上対空対潜誘導弾装備・対潜ヘリコプター常備という現行汎用護衛艦の基礎を固めた艦艇であるが、同時に一番艦が間もなく就役24年を迎えるに当たりいよいよ代艦の必要性が痛感される時期となってきた。
FH020013 はつゆき型の拡大改良型である、あさぎり型8隻の建造以降、ジェーン年鑑でいうところのミニイージスといわれる、むらさめ型(6200t)9隻、たかなみ型(6300t)5隻の建造に移行しているが、シースパローSAMの後継たる、完全撃ち放し式のESSMが運用可能な艦艇として、従来のDDGの一部を肩代わりする程度の性能を有し、加えて、むらさめ型も順次ESSMの換装工事を実施中である。00110018しかし、次期護衛艦は、更に一歩進み、イージス艦の任務一部をも代替しうるものとされている。
 ミサイル防衛にイージス艦が中核的任務を担う為、今後はミサイル防衛に主体的に携わるイージス艦の防衛も更に重視されると考えられる中で、艦隊防空も分担する必要が生じ、艦隊防衛に各艦艇が参加する、こうした構想が成立したものと考えられる。
 FH000003こうした構想は、1995年より試験艦あすか、によって運用実験されている次期射撃指揮装置FCS-3の艦艇搭載によって充分実現可能である。FCS-3とは、ミニイージスといわれる多目標同時対処能力を有する画期的装置で、現行の、たかなみ型も当初はFCS-3の搭載を想定しており、次期護衛艦にFCS-3の改良型を搭載し、艦隊防衛に当てる事は充分現実的といえよう。
FH040027 世界の艦船誌では、次期護衛艦をイージス艦と従来型汎用護衛艦の中間を担うものと定義しているが、新戦車・新哨戒機・次期戦闘機・次期輸送機の調達開始時期と重なる次期護衛艦は、これまでのように大型化は許されないという視点には共感がもてるが、新防衛大綱の47隻水準を維持しつつ、対テロ派遣や島嶼部防衛というように多様化する任務に如何にして対応するかは、未知数であり、護衛隊群編成廃止より始まる護衛艦隊改革など、現行の様々な改編案と如何に適合させるかについて、興味は尽きないといえよう。

 HARUNA

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

装軌式装甲車の再考

2005-10-07 10:39:15 | 防衛・安全保障
 現在陸上自衛隊では、96式装輪装甲車を補完するものとして、次期装輪装甲車の開発が進められている。
IMG_017496式装輪装甲車とは、1992年より小松製作所を中心に進められ、1996年以降毎年28輌程が調達されており、既に予算認可を含め250輌程度が配備、イラク復興人道支援任務に関係する用途のほか、北海道の各師団一部普通科連隊及び、各方面隊の一部戦車大隊等に配備されている。
 IMG_0925そもそも、96式装輪装甲車とは、1960~1972年までに428輌が配備された60式装甲車の後継として開発されたもので、装軌式から装輪式となったのは、増加が予想された国連平和維持活動への参加などが挙げられる。また、装軌式に対して安価であるとの配慮も当然働いたはずである。
IMG_0381というのも、96式の開発当時調達が進められていた89式装甲戦闘車は、重MATや35㍉機関砲、暗視装置といった優秀な装備品を備えた高度な装甲戦闘車であったが、その分価格も高価であり、第十一普通科連隊一部中隊と富士教導団の一個中隊分の調達に留まることが確実と見られたからである。
 装甲車とは、単に普通科隊員を輸送するだけのものではなく、戦車大隊本部管理中隊や、場合によっては施設科部隊にも用いられるものである。89式の場合はオーバースペックと判断された事にも疑いは無い。
FH040013しかし、現行では、60式に続き、338輌が配備された73式装甲車の後継にも装輪装甲車が当てられるとの構想である。陸上幕僚監部では装軌式装甲車を推す声も大きかったが、結果的に混戦猿を得られたのは装輪装甲車開発という結果であった。
IMG_0401こうして、装輪装甲車の配備は現在に至るも順調に進み、例えば富士総合火力演習では、73式装甲車にかわり96式装輪装甲車が全般的に運用される状況となっている。加えて、イラク復興人道支援派遣以降、更に装輪装甲車への需要は増加するものと考えられる。
IMG_2313また、2001年からの軽装甲機動車大量配備開始により、年間150~200輌という多数の装甲車を陸上自衛隊は配備するに至り、例えば、最も近代化が後回しとされた中部方面隊も、隷下の師団普通科連隊は大半が一部中隊に軽装甲機動車を配備し、加えて高機動車と併せた高度な展開能力と防御力を有するに至っている。IMG_2527軽装甲機動車以上の調達度合で配備が進む高機動車も、イラク派遣の際には最低限の装甲防御が与えられており、73式中型トラックに代わり普通科部隊の機動力として、また、96式多目的誘導弾発射機や120㍉迫撃砲牽引用、93式近距離誘導弾発射機や発煙装置運搬用と、広範に運用されている。
 IMG_0651だが、果たして装輪装甲車に、戦車部隊としての運用が可能であるかということである。当然ながら、装軌式車輌が無限軌道という面で車体を支えているのに対して、装輪車は車輪という点で支えられているのみであるから、特に泥濘地や森林地帯突破能力では、心もとないのはいうまでも無い。
00290012ここで誤解しないで戴きたいのは、装軌式絶対優位主義ではなく、装軌式と装輪式とで、利点が活かされる点は活かし、適材適所を貫く必要があるという事だ。例えば、87式偵察警戒車のような装備は路上機動性能が重視される装備であるから、後継車輌はこのまま装輪式で問題ない。また、特に戦略機動性が重視される普通科部隊にも装輪装甲車の方が有利であろう。しかし、機甲部隊に随伴する部隊、例えば、戦車大隊の本部管理中隊や、連隊戦闘団編成時に戦車を支援する部隊として、装軌式車輌は必要であると考える。
FH040029高価とされる89式も、砲塔部分を、現行の熱線暗視装置・35㍉機関砲・重MAT装備砲塔から、例えば87式偵察警戒車(25㍉機関砲・微光倍増方式暗視装置)の砲塔に換装すれば、価格は大きく低下する事も考えられ、また、施設科部隊向けには無砲塔機銃装備型も配備するという柔軟性での調達が為されれば、少なくとも機甲部隊に随伴できる装甲車を大量配備できよう。
_059
 装軌式装甲車は、89式の車体を用いたもの、若しくは新規開発でも問題は無いが、特に73式装甲車の本格退役が始まれば、必要となる装備であろう。


HARUNA

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中部方面隊創隊式典に想う

2005-10-06 02:26:42 | 防衛・安全保障
 小生の中部方面隊総監部創隊記念式典への参加も、思えば実に三年目、撮影ポジションなどで試行錯誤の末、今日に至るというべきか。
 ちなみに、今回の写真添付から、所謂転載による著作権侵害防止の観点から、写真にテキスト加工を行った。北大路機関とは、2005.7末日に開設された、中日本安全保障研究室京都分室を示すものである。名古屋予防外交研究室との連携の下、今後も盛り上げてゆきたい。
 閑話休題。
 伊丹駐屯地祭では、過去三年を見たところでは、戦車一個小隊、軽装甲機動車一個小隊、高機動車一個中隊、榴弾砲二個中隊、各種地対空ミサイル、一個斥候小隊に徒歩行進というのが伝統的な観閲行進であった。
00280034
 74式戦車に関しては、今津から伊丹は確かに距離があるものの、一個中隊の参加が望ましい。何しろ方面隊の行事であるのだから、一列縦隊で一瞬にして通過してしまうような規模では心もとない。軽装甲機動車に関しても、もう少し数量を増やす事は出来ないだろうか。
00270036
 軽装甲機動車に関しては、2003年の式典では、久居駐屯地の33連隊からの参加であったが、14輌が配備されたといっていた。翌年には金沢の14連隊からの参加で、35連隊には2003年に96式装輪装甲車(西方に移転)が参加、45連隊記念行事にも参加していたことで、第十師団管内の普通科連隊には一定数が配備されたようである。
IMG_2439
 なお、今津で福知山の7連隊、伊丹で36連隊の軽装甲機動車が展示してあったことで、第三師団管区にも急速に配備が進んでいる事が窺え、式典に軽装甲機動車を多く参加させることも充分可能であると考える。言い換えれば、伊丹への展開とは一種の緊急展開訓練であると考え、精力的に部隊を抽出する検討をしていただきたい。
00270033
 さて、写真は2004年の際の96式装輪装甲車であるが、今年度の式典には参加しなかった。35普連という記載が、ペイントではなくステッカー方式であることが、後の西方移転を暗示しているが、イラク派遣部隊の訓練用に北部方面隊隷下の車輌を転用したようである。しかしながら、装輪装甲車は、緊急展開に最も有用な装備であり、軽装甲機動車よりも不整地突破能力が高い。従って、これを契機に、装輪装甲車の本州部隊への集中と、重点近代化部隊としての北部方面隊用に装軌式装甲車の新規開発をしてはどうかと、考える訳だ。
00280011
 写真はライフルドリルの写真であるが、これに続く模擬戦闘に関しては、隔年展示であることを昨年知った。くどいようだが、方面隊の式典である。毎年度、模擬戦闘を行うことは出来ないのだろうか。費用的に問題があるのならば、コンテナハウスなどを並べ小銃主体による市街戦展示と、戦車や火砲を用いた野戦の展示とを毎年度変更すればいいだろう。
00290034
 今年度参加して最も気になったのは、装備品展示の車輌が装輪車×3という異常な少なさであった。2003年には地対空ミサイルや戦車、そして軽装甲機動車×3、高機動車、装甲ドーザーや施設車輌多数が配備されていた。これが2004年には対空ミサイルの展示が無くなり、小銃の展示からも64式小銃や迫撃砲が消えた、そして今年度は前述の通りである。
00290004
 しかし、これ以上の削減は不可能なので、逆に来年度の装備品展示は106㍉無反動砲やヘリコプターなどの今までに無い展示でも為されるのか、装備品展示が無くなってしまうのかが気になるところである。
00280027
 以上のように、中部方面隊創隊記念式典の式典に関する課題などを列挙していったが、愛知・静岡県境から関門海峡までの東海北陸地方、近畿山陰地方、四国中国地方の防衛を行う方面隊である。従って、その式典はもっと大規模であり、且つ華やかなものであるべきと考える訳だ。
 HARUNA

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広報

2005-10-05 10:08:54 | 北大路機関 広報

 事務的な内容です。

 本ブログにしては極めて政治的な内容と、いわれます昨今の連載、
『米軍再編と日米安保体制』
 とは、小生卒業論文です。

 卒業論文は、既公開の文書でも問題かったはずだ、という国際関係学部Y教授(当時)のお話で、ブログ掲載にいたりました。最終的には二万字以上のものとなる予定ですが、ブログ閲覧者の方のご意見も、投書という形で反映させていただく所存です。

 尚、国際関係学部事務室からの指摘がありましたらば、『米軍再編と日米安保体制』は、予告の後削除される可能性もあります、また、地図・グラフに関する記載に関しての章は本ブログには掲載不能です。投書というかたちで改正された内容は、その部分のみ再度掲載いたしますが、全文に関しましては、来年度以降、立ち上げ予定のHPに掲載という形になるか、専門誌に掲載というかたちで公開する所存ですので、その都度連絡させていただきます。

 “電車男方式”とゼミでは命名しましたが、奮って皆さんの忌憚無いご意見を投書していただければ、とおもいます。尚、投書に関しましては、メールなどの明示をしていただければ、提出時に外部著作権として明記いたします。こうした明示の無い情報に関しましては、著作者不明であり、著作権の範囲外と判断させていただく場合があります。

 伝聞情報や確認が極めて困難な情報、不法に得られた情報と思われる無いように関しましては反映しかねるものもあります。

 ご了承下さい。
IMG_1978

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊丹駐屯地祭詳報

2005-10-03 10:46:59 | 防衛・安全保障
 伊丹駐屯地における中部方面隊創隊45周年記念式典を観覧した。
 0730時、京都駅出発。尼崎脱線事故現場を通過し、0834時に伊丹駅到着。
IMG_2232 駐屯地到着は0930時、時間があった為、午前中の戦車試乗の為友人ら四名と並ぶ。説明を務める自衛官の方のお話を聞き、そののちに無事乗車する事が出来た。友人の多くは戦車乗車が初めてであり、意外な機動性に驚いていた。
IMG_2247
 中部方面隊記念式典とは、関門海峡から四国・中国・山陰・近畿・北陸・東海地方の防衛を担う隷下の各部隊から代表の一部部隊を総監部の所在する伊丹に集結させ、方面総監訓示や指揮官巡閲、観閲行進、訓練展示、そして装備品展示を行う式典であり、隷下部隊の団結強化、士気高揚と一般国民への広報が目的である。
IMG_2267
 訓示では、折木良一総監に続き、大阪府の太田知事ら要人が訓示し隊員を激励した。特に、今年度は隷下部隊からイラク復興人道支援への隊員派遣が10師、3師、13旅と相次ぎ、総監の訓示も以前にも増して力強いものであった。
IMG_2315
 続いての観閲行進では、各部隊の部隊旗靡かせた73式小型トラック群、そして82式指揮通信車6輌に続いて徒歩行進が行われた。音楽隊の行進曲が荘厳なものからテンポ早めた軽快なものに変わると同時に車輌行進が始まり、軽装甲機動車10輌、高機動車10輌、FH-70榴弾砲、ホーク地対空誘導弾、81式短距離地対空誘導弾、93式近距離誘導弾、87式偵察警戒車等が続々と通過し、最後を4輌の74式戦車が飾った。
IMG_2354
 これらの部隊は、所属駐屯地から長躯駆けつけたもので、74式戦車は第三戦車大隊の今津からであるが、軽装甲機動車は金沢の第14普通科連隊から、87式偵察警戒車は第10偵察隊の名古屋近郊の春日井から、FH-70に至っては豊川駐屯地から実に新幹線六駅分を越えて伊丹へ到達した。また、地対空ミサイル部隊は遥か広島からの参加であった。
IMG_2368
 祝賀飛行としては、八尾から多用途ヘリUH-1J×7、観測ヘリOH-6×6、舞鶴の海上自衛隊から参加のSH-60J×1であった。残念ながら、先月18日に発生した相浦駐屯地における墜落事故の影響から、AH-1Sの参加は無かったが、会場上空を飛行通過し、上空から式典に花を添えた。
IMG_2392
 観閲行進・祝賀飛行の後、保安部隊によるライフルドリルの妙技や音楽隊による荘厳な演奏が行われ、一糸乱れぬ演舞や演奏に惜しみない拍手が贈られた。
IMG_2433
 訓練展示、つまり模擬戦闘がこれに引き続き行われた。
 状況は、建物に立てこもる敵部隊を掃討した後、丘を占領した敵部隊に攻撃を加え、制圧するというもので、建物の掃討にはUH-1Jからのリペリング降下により屋上を先ず占拠、ロープにより外壁より進入した部隊が敵を制圧、地上からは軽装甲機動車による突入を行い、激しい銃声の後、建造物全域を奪回した。
IMG_2447
 続いて、丘を陣地占領した部隊に対して偵察隊による偵察が行われた、87式偵察警戒車が同軸機銃を発砲しつつ索敵前進し、発見した敵陣地に対してオートバイ偵察が肉薄、情報を収集した後、俊足を活かし疾風の如く避退した。
IMG_2459
 発見された敵情を更に解析すべく、明野より飛来したOH-1観測ヘリが上空に現れ、四枚ロータによる機動性を見せ付けるべく乱舞、高度な観測装置により状況を把握した後、姿を隠した。
IMG_2460
 確認された敵陣地に対して、FH-70榴弾砲が火を噴く。火砲は、敵後方の野砲陣地を無力化すると共に、丘を占領する敵歩兵部隊に対し攻撃準備射撃を実施、防御力に著しい損害を与え、続く普通科部隊の占領を容易なものとした。
IMG_2484
 如何なる苛烈な航空攻撃によっても、激烈な砲撃によっても陣地は占領できない。 
 訓練展示は、打撃力たる戦車の砲撃と共に軽装甲機動車の突撃が行われ、丘に74式戦車が突入し陣地を鋼の無限軌道で粉砕、訓練展示は終了となった。
IMG_2516
 装備品展示は、高機動車や軽装甲機動車など計3輌の控えめなものであったが、会場を散策してみると、戦車試乗会場付近には軽装甲機動車や高機動車、FH-70や74式戦車が大量にパークされており、試乗とともに気付いた人々が見学しており、突然の来訪にも関わらず、隊員たちは親しく説明など対応し、会場は和やかな雰囲気であった。
 また、漫画を読んだり、談笑したりする様子は、まさに生の自衛隊の姿であり、市民の多くは今以上に親近感を感じた事であろう。
IMG_2522
 しかし、昨年までは展示されていた87式偵察警戒車や74式は今年度展示されなかった理由は不可解である。駐車スペースに車輌があることを気付かず、帰路についた方もいることを考えれば残念でならない。
IMG_2588
 写真は、装輪車と小火器のみの展示会場に華を添えた保存車輌の61式戦車と75式自走榴弾砲。第一線・第二線を離れた各種装備は、こうして全国の駐屯地で余生を送っている。
IMG_2501
 さてさて、駐屯地祭はやはりお祭りとしての性格もある。
 地方物産展では、豊川・明野・三軒野・今津・福知山・米子・善通寺・川西・海田・松山・大久保・信太山・大津・守山・久居・金沢・山口・日本原・春日井・青野原・富山・高知・千僧・和歌山から、五平餅/マスカット/備前焼/戦車煎餅/から揚げ/天麩羅/ポテト/饂飩/熊野筆/宇治茶/綿菓子/鮎塩焼き/白山蕎麦/梨/干物/佃煮/萩焼/柿/ブドウ/蓮根/チューリップ球根/手打ち蕎麦実演販売/焼き鳥/カキ氷/ベビー/カステラ/梅などなどが売られていた。
 こうしたものも、広大な地域を受け持つ方面隊ならではの規模であった。
  来年度は是非皆さんも一度足を運ばれては如何であろうか、毎年の行事ではJR伊丹駅・阪急伊丹駅から会場まで、五分間隔で無料バスが運行中である。

 HARUNA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中部方面隊 全般近代化への展望

2005-10-02 23:58:25 | 防衛・安全保障
 陸上自衛隊中部方面隊総監部創設45周年記念式典に出席した。
 さて、冷戦時代における我が自衛隊の装備体系は、仮想敵国ソ連への対応から、北部方面隊への重装備偏重とし、その装備品を東北方面隊などへ転換していくという方式を用いていたが、冷戦後では、特に非対称型戦争の時代に移行するにつれて、特に全般的な装備近代化が必要になった。
 結論から言えば、冷戦終結後の世界秩序は、テロとの戦い、文明の衝突をキーワードとして転換期の過渡期にあるといえる。政治学者がいうようなポリアーキーや、国家によるグローバル化が国家構造を、特にテロとの戦いという観点から再び保守へと回帰している中では、不可避の状況であるといえよう。
 こうした中で、もっとも守備範囲が広く、一方で装備近代化の度合は非常に低く重装備含め機動打撃力は不充分、しかも部隊数不足である中部方面隊の能力が、今後の陸上自衛隊近代化を計る試金石となるのではなかろうか。特に、第十師団の全普通科連隊の一部中隊に対して軽装甲機動車が配備され、装甲化、機械化師団へと昇華した後、第三師団隷下の第三十六普通科連隊へも軽装甲機動車の配備が為され、装備近代化が進んでいる事を端的に示している。
 したがって、中部方面隊の装備近代化やドクトリンは、今後も注視していきたい。
 HARUNA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊丹駐屯地祭のお知らせ

2005-10-01 10:30:07 | 北大路機関 広報
45nakaduri

 中部方面総監部ホームページより。
 HARUNA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

対戦車ヘリコプターAH-1S後継問題

2005-10-01 00:08:30 | 防衛・安全保障
 先日、平成十八年度防衛予算概算要求に関しての記事を掲載した。
 そのなかにおいて陸上自衛隊の次期戦闘ヘリコプターAH-64Dの予算要求が一機であることを記載したが、今回はこれに関連した記事を掲載したい。
 現有のAH-1Sは約90機が配備され、各方面隊に一個対戦車ヘリコプター隊、そして教育用に0.5個ヘリ隊が編成されている。これは、上空からの対戦車攻撃に非常に強力な装備である事が認知され、特に想定されたソ連軍機甲部隊撃破n切り札として導入されたものである。
00280001
 “空飛ぶ車引きから空飛ぶ騎士へ”1985年9月、帯広に第一対戦車ヘリ隊が編成された際の賛辞として言われたものだ。OH-6に多銃身機銃を搭載することを計画したが、性能不充分とされ、AH-1S導入に至った訳だ。
 導入の際の技術研究として、第二戦車大隊(当時)の戦車約50両の攻勢に対して、普通科一個中隊が陣地防衛にあたり、AH-1S二機が支援についたそうだが、機関砲・TOWを駆使して瞬く間に戦車部隊を壊滅させ、ヘリは二機とも撃墜されるも、陣地に辿りついたのは損耗80%以上、一個中隊を切っていたという。
 こうした経緯で導入されたAH-1Sであるが、運用研究の為の要求は陸幕の4機と、内局の2機案、大蔵省の1機案でおお揉めに揉め、結果、一機案となった。
 こうして高価なAH-1Sであったが、各方面隊に一応の機数が揃った事は前述の通りだ。
00280014
 他方で、問題となるのは後継機の問題である。
 現在配備中であるのは、AH-64Dで、イラク戦争では、天王山となったカルバラ地峡攻防戦において戦略予備たるイラク軍の精鋭、共和国防衛隊戦車師団をMLRSとともに撃破し、名前を上げた。
 1991年の湾岸戦争で活躍した従来のAH-64Aとの相違点を挙げれば、ローター上部に搭載されたロングボウレーダーで、公表されている情報を信じるならば、木々の梢の振動も感知できる精度という。この最も重要な点は、光学装置による情報よりも、デジタルデータとして目標を探知するロングボウレーダーであれば、情報交換が迅速且つ容易で、RMA時代へ陸上自衛隊を一気に推し進めるという意味で非常に大きな意義があるわけで、同時に提案されていたAH-1Zよりもこの点で完全に先進的であった。
IMG_2134
 問題は価格で、英軍のボーイング社からの直輸入価格も1999年時点で57億円、日本の調達価格では72億円で、18年度予算では支援機材含め価格は103億円(!)に達していた。
 当然、これではAH-1Sと1:1で交換する事は叶わない。結果、AH-1Sは16機で一個飛行隊を構成していたが、森野軍事研究所の『次世代の陸上自衛隊』によれば、AH-64Dは12機で一個飛行隊を構成するという。だが、これでも5.5個飛行隊を編成するには66機が必要で、年間4~5機の調達が必要となろう。
 AH-1Sに近代化改修を施し構造寿命を延長させると言う事も考えられるが、どうしても限界がある。結果的にはAH-64D調達ということになろう。若しくは、データリンク装置を搭載したAH-64Aを導入するという事も視野にいれられようが、やはり高価な事には変わりない。
 一方で、AH-64Dの調達は、海上自衛隊のP-X配備開始、そして航空自衛隊のF-X調達開始時期と必然的に重なる為、また次期戦車とも重なってしまう。場合によっては、新規調達による対戦車ヘリ隊維持は困難となる公算が高いのである。
 しかしながら、方面隊1に対して対戦車ヘリ隊1を維持しなければ、特に緊急展開能力の大きい戦闘ヘリの不在はヘリボーン作戦を決定的に左右し、脅威地域にヘリボーンを行う事は著しく困難になる為、作戦運用に大きく響く。
IMG_0286
 ここで、年間現実的に調達可能な数量を考えたい。
 AH-1Sは富士重工でライセンス生産されたが、最終調達価格は、年間調達数が一機であった為、48億と量産効果を最低限に下げた場合価格が高騰するとこを端的に示す結果を生んでいる。
 従って、年間調達数は2~3機、中期防あたり12機程度が限界となろう。すると、66機の定数が満たせる頃には初号機の用途廃止が迫る事になるし、何よりもAH-1Sの用途廃止度合に間に合わない結果となろう。
 では、部隊数を維持しつつ現実的に装備化を進めるにはどうすればよいのか。
 考えられるのは、航空自衛隊のB-767導入計画のように中古のAH-64A乃至AH-64Dを探す方式である。米陸軍であれば中古の機体も考えられるし、C-130Hの事例もある為、検討に値する案であろう。
 代案としては、リース方式である。確かオランダ空軍が第11空中機動旅団支援用のAH-64Dを導入する際、米陸軍からリースという方式で導入し、後に購入という方式を用いている。これは海軍のノックス級やペリー級フリゲイトの外国への貸与でもよく用いられる方式である。米空軍の次期空中給油機も、民間会社からリースした機体に所要の装備を取り付け運用するという方式を用いる為、これも検討に値するであろう。
IMG_0150
 中古機を導入する案に関しては、耐用年数に限界があり、用途廃止までの期間が短く、またリース案は、場合によっては(F-104のような例外を除けば)返還時に武器輸出と解釈される可能性があるが、新規調達と比較考量すれば現実的な案ではあるといえる。
 無論、国内の整備機能維持の観点から、ライセンス生産を前述のように富士重工において年間2~3機しつつ、2~3機のリースを行うという方式が現実的だ。
 財務省あたりでは対戦車ヘリ隊の削減を考慮しているが、方面隊削減をも視野に入れる一大改革を行う長期ビジョン、防衛戦略に基づいた提案であるとは考えにくい。
 中古機体は旧式化したAH-64Aがオランダから15機ほど市場に出ており、これからも出るだろう。また、米陸軍、特に州兵の機体は中古が期待できる。また、同盟国であり、アメリカに対してリースの要請を行えば、高い確率で実現するといえる。
 例えば第三次大戦のような中古機体が大規模紛争勃発により払底しており、米軍からのリースも作戦上余剰の機体が皆無というならば、対戦車ヘリ隊削減も止む無しといえるが、そうした努力もなく声高に、若しくは単純に部隊削減を叫ぶのは、どうだろうか。

 HARUNA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする