少し遡って月曜日の話。
とにかく私は焦っていた。頭の中で、漠然と形にならない「遣るべき事」を鷲掴みしてみると、手にあまるほどの仕事の量に感じたからだ。
ところが月曜日、朝からパソコンの前に座りパチパチと遣っていたら、案ずるより生むが易しであることに気がついた。
友人と「8月最後を惜しむ会」と名付けてランチの約束もしていたが、これなら余裕で行けそうだと思った。だけど強い雨の音。台風が直撃だそうだ。夕方からと言っていたが、早まったみたいだ。
私は諦めて行かない事に決めて、友人に電話した。でも雨に臆したのは私だけ。なんだか予定を決めたのは私だったので悪い気がしたが、いつもなら雨でいち早く予定を中止にするのは彼女のはずなのに、意外な気がした。
彼女は言った。
「わかったよ。○○さんに頼んであったにんにくしょうゆ漬けを受け取る用があるから私は行くね。」
だからと言って、そんな台風の日じゃなくてもいいじゃないのと私は思った。
だってもう一人の人も迷ったから、朝一で彼女に確認の電話を入れたのだと思う。確かに悪かったなと、今思う。なぜならこのランチの約束の為に午後からの仕事を休んだのじゃないかな。
明日、忘れずに「ゴメンねコール」をしよう!
だけど私は、その朝一の確認の電話があったことを聞いて、なぜ迷っている○○さんに、彼女は決行と告げたのだろうかとそちらに注意が行ってしまったのだった。
こういう時人は無意識の願望が働くのではないだろうか。
雨よりも尚、人に会いたいという願望。
いつだって私はずぶ濡れ・・・そんなことの繰り返し、歌じゃないけどさ。
もう雨になんか濡れたくないという私の願望・・・・・
「今日、奥様ランチに行かなかった。」と帰ってきただんなに言ったら
「そりゃそうだろ。こんな日にウロウロしてみろ。また背中が痛くなるぞ。」と、彼に言われて、ちょっとホッとした。気が小さいものだから・・・
だけどこの日私は思いついて、ある人に電話した。
ふと、
あの人~♪どうしているぅかしいらぁ~♪
と、頭の中でその歌がリフレインした。
確か前に会ったのは、スーパーの前で、おばあちゃんの告別式と娘の陣痛が重なった話で別れたのだった。(それも凄いよね)
電話口の向こうで子供の声がした。
もう二歳、あれから二年も経ってしまったのか。
人様のことなので詳しくは書けないが、この間にだんな様にあることがあり、娘にあることがあり、息子にもあることがあった。
ルート君と同級生のもう一人の息子は何してるのと聞くと、ボランティアでベトナムに行っていると言う返事。
「それも大変じゃない?」
「えっ、だってそれは普通でしょ。」
と彼女は言った。そして
「もうこんなにいろいろな事がいっぺんにあったから、私、何も怖いものはないわ。」と彼女は続けて言った。
こちとら雨のひと粒だって怖いと言うのに、なーんて事は言わなかったけれど・・・
そんな私が言っても説得力はないが、ちょっと彼女の気持ちが分かる。
その言葉の前には、あるいは後ろには、こんな言葉が続くのだ。
「命奪われると言うのでなければ」
「命奪われると言うのでなければ、何も怖いものはない。」
そんな覚悟がいる時代なんだ。
ところで夏のベランダ掃除と共に、私の僅かながらの「感性」と言うものも干上がってしまったみたいで、参加している題詠ブログも54でストップしたまま。
「式」で止まってしまっているのだが、パッと思いつくのが
「青い海 想い描くは 式根島 ポスターの力に誘われて」
なんだか凄い無理やり・・・。なんか嫌。
感想とか評論もどきみたいなものばかり書いているのも、ちょっとなとか思ったりもする時もある。
でも、その日シャワーを浴びながら、ブツブツぶつと呟いてみたら、閃いて「息をする」と言う詩が出来た。
自分で書いたのだから当たり前だけれど、翌朝しみじみ読んでいたら、
「よっし~!!」と言う気持ちになってきた。
―命奪われると言うのでなければ、何も怖いものはない―
今日、明日、また明日・・・
とにかく生きていけば良いのさ。
あっ、だから新型インフルエンザは怖い。手洗いうがい、マスクの外出心掛けよう。
とにかく私は焦っていた。頭の中で、漠然と形にならない「遣るべき事」を鷲掴みしてみると、手にあまるほどの仕事の量に感じたからだ。
ところが月曜日、朝からパソコンの前に座りパチパチと遣っていたら、案ずるより生むが易しであることに気がついた。
友人と「8月最後を惜しむ会」と名付けてランチの約束もしていたが、これなら余裕で行けそうだと思った。だけど強い雨の音。台風が直撃だそうだ。夕方からと言っていたが、早まったみたいだ。
私は諦めて行かない事に決めて、友人に電話した。でも雨に臆したのは私だけ。なんだか予定を決めたのは私だったので悪い気がしたが、いつもなら雨でいち早く予定を中止にするのは彼女のはずなのに、意外な気がした。
彼女は言った。
「わかったよ。○○さんに頼んであったにんにくしょうゆ漬けを受け取る用があるから私は行くね。」
だからと言って、そんな台風の日じゃなくてもいいじゃないのと私は思った。
だってもう一人の人も迷ったから、朝一で彼女に確認の電話を入れたのだと思う。確かに悪かったなと、今思う。なぜならこのランチの約束の為に午後からの仕事を休んだのじゃないかな。
明日、忘れずに「ゴメンねコール」をしよう!
だけど私は、その朝一の確認の電話があったことを聞いて、なぜ迷っている○○さんに、彼女は決行と告げたのだろうかとそちらに注意が行ってしまったのだった。
こういう時人は無意識の願望が働くのではないだろうか。
雨よりも尚、人に会いたいという願望。
いつだって私はずぶ濡れ・・・そんなことの繰り返し、歌じゃないけどさ。
もう雨になんか濡れたくないという私の願望・・・・・
「今日、奥様ランチに行かなかった。」と帰ってきただんなに言ったら
「そりゃそうだろ。こんな日にウロウロしてみろ。また背中が痛くなるぞ。」と、彼に言われて、ちょっとホッとした。気が小さいものだから・・・
だけどこの日私は思いついて、ある人に電話した。
ふと、
あの人~♪どうしているぅかしいらぁ~♪
と、頭の中でその歌がリフレインした。
確か前に会ったのは、スーパーの前で、おばあちゃんの告別式と娘の陣痛が重なった話で別れたのだった。(それも凄いよね)
電話口の向こうで子供の声がした。
もう二歳、あれから二年も経ってしまったのか。
人様のことなので詳しくは書けないが、この間にだんな様にあることがあり、娘にあることがあり、息子にもあることがあった。
ルート君と同級生のもう一人の息子は何してるのと聞くと、ボランティアでベトナムに行っていると言う返事。
「それも大変じゃない?」
「えっ、だってそれは普通でしょ。」
と彼女は言った。そして
「もうこんなにいろいろな事がいっぺんにあったから、私、何も怖いものはないわ。」と彼女は続けて言った。
こちとら雨のひと粒だって怖いと言うのに、なーんて事は言わなかったけれど・・・
そんな私が言っても説得力はないが、ちょっと彼女の気持ちが分かる。
その言葉の前には、あるいは後ろには、こんな言葉が続くのだ。
「命奪われると言うのでなければ」
「命奪われると言うのでなければ、何も怖いものはない。」
そんな覚悟がいる時代なんだ。
ところで夏のベランダ掃除と共に、私の僅かながらの「感性」と言うものも干上がってしまったみたいで、参加している題詠ブログも54でストップしたまま。
「式」で止まってしまっているのだが、パッと思いつくのが
「青い海 想い描くは 式根島 ポスターの力に誘われて」
なんだか凄い無理やり・・・。なんか嫌。
感想とか評論もどきみたいなものばかり書いているのも、ちょっとなとか思ったりもする時もある。
でも、その日シャワーを浴びながら、ブツブツぶつと呟いてみたら、閃いて「息をする」と言う詩が出来た。
自分で書いたのだから当たり前だけれど、翌朝しみじみ読んでいたら、
「よっし~!!」と言う気持ちになってきた。
―命奪われると言うのでなければ、何も怖いものはない―
今日、明日、また明日・・・
とにかく生きていけば良いのさ。
あっ、だから新型インフルエンザは怖い。手洗いうがい、マスクの外出心掛けよう。