雨が降っていますね。しとしと、しとしと。
お休みだったから、みんな元気溌剌ですか?
なぜだか私はクタクタです。疲れている私には、しとしと降る雨はちょうどいいかもしれません。たぶん、疲れているあなたにも。
今週は火曜日スタートで、暦どおりのお仕事の皆さんは、お気持ち楽でしょう。頑張りましょうね。
そして、もうすぐ夏休み。お母様方悲鳴を上げませんように・・・・
おっと、こんな風にまったりしている場合ではないですよ。まずは、パンをかじってから、ゴミ捨てだ!!
やっぱり泣いてしまいました。皆様、期待を裏切られることのなかった今日の「両雄死す」でした。
板垣の最後の時の和歌には、本当に心打たれて涙が出ました。いつもながら思うのは、この作家様は、本当にさりげなく伏線を張っていくのでたまりません。
あの昔、父に愛されなくてなんとなく父が望んでいたかのような自堕落な日々を送っていた時に、板垣が下手な和歌を詠って、晴信を諌めたことが蘇ってきて、涙が溢れて留まりません。
勘助の「甘利様は御屋形様の槍になり、板垣様は御屋形様の盾になって」と言うセリフにはぐっと来ましたね。
甘利は裏切ったと見せて、敵の懐に飛び込み村上の首を打つと言う作戦でした。巧くいったとしても、自らの命は助かるわけはありません。板垣は伝兵衛 を影武者にしたて、先鋒で村上を食い止めようとする作戦です。いずれも討ち死に覚悟です。
晴信にとって父のような板垣、甲斐の国を心底憂いていた甘利の、守らなければならなかった者達のために、彼らは散っていきました。
ところで、どう見ても通りすがりキャラの伝兵衛、ふと気が付くとかなり大事な人になっていましたね。
なにげに摩利支天の妻関連の人たちは、御活躍でした。せっかくの甘利のチャンスを矢を放ち、奪ったのは平蔵でしたから。それから名前は忘れてしまいましたが、勘助の家来になった人も、晴信を留めるのに働いていました。平蔵以外は、みんなあの村でお別れぐらいに思っていましたので、人は見かけでイメージしてはいけないのだと思いますよ。しみじみ~
だけどワタクシ、ずっと泣いていたわけではありませんよ~。どんな時でも涙の向こうに微笑が・・・と言うより・・・あれですか~
「あ~ま~り~」 怒りに打ち震える晴信。
―キャー、何。ふぐ、その眉毛は何 いつ止まるの
―
と、叫んでいた私(心の中で)
―ええ、何・・・「ふぐ」って、・・・アタシとした事が・・
今日我が家では二回「風林火山」がかかっていましたが、このシーンは気に入っていたので、また二回目も見てみました。すると二回目は違って見えたのですね。
これって、歌舞伎の大見得じゃないですか。
「ヨッ、なんとか屋~」って、声が掛かる所ですよね。
なので、
―ヨッ、亀~ー
と声をかけましたよ(心の中で)
河豚と言ったり亀と言ったりで、なんと言うかなのですが、そんなことでは感動は薄れませんので、御安心を。
感動と言えば、今回のHPはいいですよ。どうぞコチラから。
でも、そのフォトギャラリー、板垣の最後の一枚は笑えます。
涙の向こうに微笑が・・・・ですか。
映画館にて、先行ロードショーで観てまいりました。
はっきり言って、今年の夏のハリー・ポッターは子供向けファンタジーではないと思います。
一作目から三作目に感じた、このままどこかのテーマパークに持っていき、アトラクションの一つを体験するような、そんな楽しさを期待していったら、少しガッカリするかも知れません。
―善と悪―
ひつとのなかに混在するもの。テーマははっきりと分かりやすいがストーリーに盛り込まれると、かなり重い。そんな感じがしました。
前作「炎のゴブレット」の時、ようやく本編が始まった感じがするというような感想を持ちました。ですが、その最後になんとなくスッキリしないものを感じていました。その感想はコチラ
「死」と言うものの扱われ方にと言うか、そんな感じの不満でしたが、その不満を、この新しい作品は払拭してしまいました。
伝わってくるようなハリーの苦しみや、その思いを分かり合えないような気がして、感じてしまう孤独感。
今までにはあり得ない様な、思春期ハリーのセリフが飛び出してきます。「孤独」「一人でいたほうがまし」・・・・
最後の最後、クライマックスに見せたその成長の姿に、涙が滲みました。
私の涙は軽く、泣き虫ですが、あまりにハリーの気持ちに引き込まれていたために、起きる悲劇にも涙の一滴も縁のなかった、この映画。でも、最後に滲んできたその涙は、私には重いものでした。
こんな風に書きましたが、魔法ワールドは健在です。
ロンドン夜間飛行のシーンにはワクワクしました。魔法省の建物も素晴らしい。その他にも見所はいっぱいです。
ネタバレしたくないので、これぐらいしか書けないけれどダンブルドアに見応えのあるシーン、スネイプのワンシーンに気にかかる場面あり。ロンの双子の兄ちゃん達には拍手を送りたいと思いました。
だけど、このおばちゃん、アンブリッジは許せません。
一見人の良さそうな、普通っぽいおばちゃんだからと言って、外見に騙されてはいけませんね。
新キャラ、ルーナ・ラブグッド < イバナ・リンチ>はいいですね。彼女が出てくると、ホッとしました。
私的には、かなり気に入った作品でしたが、一点だけどうも足りない部分があって、気になってしまいました。そういう人は多いのではと思います。どこかと言うと、ハリーとチョウのその後ですよ。
ワンシーンでいいからちゃんと見せてよ。
原作はこの作品の半ばで放棄していました。思わず、家に帰ってチェックを入れてしまいましたよ。パッと開いたそのページに書いてありました。
何か、凄くないですか?!
ホグワーツを覗いてきた結果でしょうか・・・ナーんてね。
藤原竜也が英ロンドンに短期留学していた(日刊スポーツ) - goo ニュース
11日、舞台「ヴェニスの商人」(東京・天王洲銀河劇場、8月17日~9月30日)の制作発表で、今年2月17日から6月2日までの4カ月間、ロンドンに短期留学していたことを明かした。
なんとなく、彼の話題を聞かないと思ったら、そうだったのか~。そうか、彼はロンドンにね・・・しみじみ・・・・
ちょっと、意味不明かもしれないが、今ちょうど「イギリスへの思い」と言うことをテーマに記事書いている途中だったので、好きな子がそこにいたと言うだけで、何だか嬉しいと言う気持ちに近いものになってしまうのはなぜなんだろう。
ところで彼は、
「半年近くも仕事をしていなかったので、今は緊張と期待で半々です」と話した。
でも、楽しみにしている。
行くんだぁゎ、「ヴェニスの商人」。
昨日、雨の中引き換えてきた。いやいや、べつに昨日行かなくてもよかったわけだから、わざわざ、「雨の中」を強調しなくてもいいのだけれど、なぜだか昨日、どうしてもチケットを手にしたくて、傘を差してとぼとぼ歩いて行ってきた。
そしたらこのニュースが夜、目に留まった。この前の記事に友人がくれたコメントのタイトルをちょっと使わせていただくと、これは必然、それとも偶然なのか。
私は、「言葉のないところでも人は繋がっているのだ」ということを、また、近頃思うことがある。たかだかチケットの話だと思う人もいるかと思うが、見たい人見せたい人の気持ちの一致が高まって行く所にも、良い作品が出来ていく要因があるかも知れないと思う。
余談だけれど、この「言葉のないところでも人は繋がっている」のだということを思ってみると、今の私の仕事でも、だからそうなのかと思い当たる事がある。だけど、それはさえない仕事ネタ。またいつかと言う事で。
さてさて話を元に戻すと、私はこのチケットを買う時に少しだけ努力した。その話はコチラ。
―シェイクスピアの故郷で、学んできたことをお見せください、竜也様。
でも、シャイロックの市村正親さん、恋人ポーシャの寺島しのぶさんも、もの凄く楽しみです。
席は微妙な所ですが・・・・―
―昨日
夕方なのに、東の空が光っていた。
おかしいな、夕焼けが東に出るなんて。
そうじゃあなかったね。
雲が切れた、その上の青空が光っていただけ。
でも綺麗!!
しかも、この空、何かが隠れていますよ。
これで分かりますか?
そして、この時の西の空。
本当に燃えているような空でしたね。
―なんでだか、近頃理由もなく気分がスッキリしない私。
なんで、こんなに疲れてしまっているんだろう。
きっと、理由はあるんだろう。
だけど、見つめたくはないのかな。
本当に理由なんかないのかも。
生きてきた年月に、誰だって、ふぅ~と言ってみたくなる時ってあるだけなのかな。
大したことではないのさ、きっと。
だからさ、さも重要なことのように、
心のもやもやを大切に育ててしまうのはやめよう。
ねっ。―
なんて、水辺の君たちに話しかけてみる。
何で、こんなタイトル?
それは、「ホロリ、きりきり、もやっと」をお読みくださいね。
私のブログのカテゴリーに「オカルト倶楽部」なんてものがあるの、知っていました?
でも、これカテゴリー紹介の記事みたいなの一つだけで、記事が増えないんです。私のPC時間って、割と真夜中が多いんですよね。で、編集ページには書きかけの記事が放り込んであるのに、書ききれないんですよ。だって、真夜中だと怖くて書けないんです。内容は大したことないんだけれど、それでもね。予想外でした。自分のビビリ度が高くて。
で、先日も子供とリビングでお茶など飲んでいたのですが、ラッタ君が
「絶対に消してはいけない広告って知っている?」と聞くのですよ。
「何、それ?」
以下、ちょっと概略。
ある日の放課後、友人が「俺」にラッタ君が言ったようなことを言うのです。そして、友人はそれを探していると。それはいつの間にか画面に現れて、クリックしても何処にも繋がっているわけではなくて、機械音である言葉を言うのだと言うのです。それは
「あなたは好きですか?」 と言う言葉。
そして、その後続く俺の物語。
このとき私はお茶を入れていたので、私のPC 前にはラッタ君が座っていたのですが、
「面白そうね。出して、そこ。」と言ったら、
「もう出している。」とPCの向きを変えます。もう、見るしかないですよね。
そして、ラッタ君が言ったとおりに話が進みます。
出てきましたよ。
「あなたは好きですか。」 ドキドキドキ
あれ、いつの間にかラッタがいない。
駄目ですよ。続きを一人でなんか見ることは出来ないですよ。部屋まで、迎えに行きました。
「ちょっと、後ろに立っていてくれない。」
「駄目だよ、超忙しい。」
「なんで
フィールド歩いているだけジャン
。ちょっとだけで良いからさぁ。怖くて見ること出来ないよ。」ラッタ君はネットゲーム中で冒険のダラダラ旅の途中。
「じゃあ、見なきゃいいでしょ。」
「いやだぁ、見なきゃ意味ないじゃん。ちょっとで良いんだからさ。」
「じゃあ、その先教えてあげようか。」
「何、それ。いつ見たの?」
「ずーっと前。」
その時、私はピンと来ました。きっと、彼は見たくないんだな。
「いや、ストーリーはなんとなく丸わかりだよ。でも、想像したとおりだったら、怖いから一人で見れないよ~。」
でも、ラッタ君は来てくれませんでした。彼に確認したら、想像したとおりでした。誰もが想像できる展開ですよ。でも、こんなのは、ストーリーなんて関係ないのですよ。
私はこの先は諦めて消しました。ええ、見ませんでしたよ。
なんたってビビリですから。
でも、単純な物語なのに、人にそんな恐怖を感じさせるなんて傑作ですよね、「Red Room」。
気になる方がいても、怖いので勝手に検索して見に行って下さい。
これって、トイレとか(おっと失礼)シャワー浴びている時とかの完全個室状態の時、結構来ますよ。最後まで見ていないのに、よく言いますよね。なんたって、想像力過多なもので。
でも、
「あなたは好きですか」
その言葉を選んだことが、何だか凄いなと意味もなく感心している私です。