森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

私たちの「家族の日」でした。

2021-11-13 23:41:48 | 家族スナップ

今日が父の誕生日であることを、決して忘れていたわけではありませんでした。

むしろ逆に、今年はその事をことあるごとに思い出していました。

 

毎年、父の誕生日もしくはその辺りに皆で集まって墓参りに行き、そして近くの街中温泉(スーパー銭湯)で、皆で寛いだり笑いあったりして楽しいひと時を送ってきました。父がそういう墓参りを望んでいたからです。

 

ー来たついでに、みんなで遊んでお帰り。- と、父は言っていたのでした。

けれど昨年は叶いませんでした。

コロナのせいです。

 

だけど今年もそれは叶いません。

コロナのせいばかりではありません。

この一年で、母は思った以上に老いてしまいバスに乗れません。

そしてスノウさんは、家の中でもトイレに行くのも大変らしいのです。

人は変わり、生きていく川の流れは留まる事はありません。

 

だけど明日は、先日は自身の検査前日だったために行く事が出来なかった名都さんと一緒に、また姉の蝶子さんとスノウさんの所に行きます。

明日という日を決めたのは、それはたまたまで、その時は誰も父の墓参りイベントの事を思い出していた者はいませんでした。

 

それでも後になって、11月13日の事を思い出すようになると、

「ああ、毎年楽しかったナぁ。」 そう思いながらしょんぼりと嘆いていたのです。

 

そんな折、またもgoo様から昨年の記事のお知らせが来ました。

 

 
雲の上の父上様へ
父上様今日はお父さんの誕生日ですね。名都さんが言っていましたが、命を繋いでいたらなんと91歳だそうですよ。残念ながら、お父さんは83歳で今生ではカウントすることを止めて......
 

 

その記事を読んで、昨年は名都さんからのラインで忘れていたそれを思い出したことを知りました。

そう言えば皆、今日は何も言ってなかったなと思い、今年は私がラインに入れました。

みんな、覚えていたけれど忘れていました。

父の誕生日は覚えていたけれど、それが今日だったり、みんなに声を掛けるという事を忘れていたと言う意味です。

だけど父が亡くなって8年経つと、ずっと覚えていると言うのも難しいのかもしれません。

 

・・・・・そう思って、何やらしみじみと今までの事を思い出していたのですが、

「あっ、そうか。」と私は大事な事を思い出したのです。

これは父が亡くなってからの、毎年習慣化した家族の「お墓参り&お風呂」イベントではなかったんだという事です。

 

2014年、私にいろいろなささやかな事が重なって、どう考えても父からのメッセージのように感じて、11月13日を、我が家の「家族の日」にしようと決めたのでした。

決めた私が忘れているくらいですから、他の姉妹も、きっと「お墓参り&お風呂の日」になっていたと思うのです。

でもそうじゃなかった !!

 

だったら、14日の日にスノウさんに会いに姉妹で行くことは正しい事で、何一つ嘆くことはなかったのでした。

この日になったのは、本当にたまたまだったのかしら ?

今となっては不思議な気がしないでもない、私なのでした。

 

「お父さん!!

お父さんの最後の願い『姉妹でずっと仲良く。』を、ちゃんとみんなで実践していますよ。

あのね、私昨日、初めてコンビニで写真のプリントアウトしてみたんです。やってみたらすごく簡単でした。百均でだけれど、それを入れるフレームも買って来たんです。明日、みんなにあげようかと思っているんですよ。

喜んでくれるといいな。

だってみんなすごく良い顔をしていて、そしてみんなキラキラしているんですよ。

私たちは、ちょっと、良い姉妹だと思っても良いよね。」

                   ☆

 

「家族の日」を決めた、そのいきさつが書かれた記事は、下にリンクしましたが、一番下の記事がまとめになっていると思います。(まぁ、ご興味はないと思いますが(^_^;))

・「十月桜ですよ。」

・「「赤羽、気をつけて。」その2」

・「十月桜と共に」

 

 

 

 

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「DUNE デューン 砂の惑星」を見ました !

2021-11-12 00:59:58 | 映画

11月3日に見ました。

IMAXレーザー、初体験。

最初、まだ始まっていないシアターに着席した時、

「わぁ~画面が大きい。」とテンションが上がりました←ちょっと田舎者感がww

ところが始まっての音で、ちょっと失敗したかなって思ってしまいました。

心が弱っているのか、近頃、人の大きな叫び声とか爆音とかドキドキしちゃってダメなんです。

だけど、人は慣れるもの。

映画自体が面白かったので、すぐにその迫力の音にも慣れました。

慣れるどころか、すっかりその世界に引き込まれました。

これは普通に見たらどうなんだろうか。

やっぱり迫力とか違うのかしら。

見比べてないので分かりません。

ただこれからも映像的に迫力があるなと思うものは、またIMAXレーザーで見たいものだと思いました。

 

私はほとんどラストまで、つまり劇場に明かりがつくまで着席して音を楽しむタイプなんです。ところがバスの時間にそれだと間に合わず、仕方がないのでEDの途中で退席しました。

既に開け放されたドアから、そのEDの音楽が通路を行く私を追いかけてきました。

 

終わったのに、ワクワクするー。

胸がときめく。

早くも次回作が楽しみです。

この映画、公開した時は、次回作の制作が決定していなかったのですよね。要するにヒットしたら制作出来る事になっていたらしいのですが、ヒットして、次回作制作が決定したらしいです。

メデタシメデタシ。

 

それと言うのも、たぶんですが、1984年の「デューン/砂の惑星」がすこぶる悪評が高かったかららしいのですよね。そのせいだったのかしら。

私、最近、その映画の監督がリンチだったことを知りました。その作品はテレビかまたはレンタルビデオで見たのですが、悪評だったこともかなり後から知りました。見た時は元からSF好きでしたので、かなり面白い映画だなと思い、何も知らない私は無邪気に言いました。

「いやあ、こんな面白い映画、やってたんだ。いつ前編やっていたんだろう。まったく知らなかったわぁ、」って。

「ないよ、前編なんて。」と夫に言われて私は吃驚しました。

「だって、前の方に説明的に流していたのって、前編のダイジェスト版でしょ。」と言いましたが、

それも含めて本編だったことを知り、そしてまた無邪気に言いました。

「そうか。原作が長いらしいものね。まっ、いいか。」ってね。

だけど、世間では「まっ、いいか。」とは思っていただけなかったようで、SFファンからも酷評だったようです。

しかしウィキペディアに依れば

『彼独特の悪趣味的世界観が全面に出ており、映画マニアの間ではカルト作として一定の評価も得ている。』とあり、

えっ、それ、私もこの中に・・・・となったわけです(^_^;)

 

と言うわけで、思わず1984年のリンチ版の思い出を語ってしまったわけですが、今回の作品は、私が前編のダイジェスト版と思っていた部分を、美しく華麗に丁寧に描かれていて、満足度が高いです。

この作品を三部作でやるのは正しい企画ですよね。

これをここで終わりねと言われたら、映画界の見る側ポジションの人は暴動を起こしていいレベルだと思いました。

見る側ポジションっていうのは、映画文化と言うのは、作り手だけで成り立っていないという事を言ってます。

質とレベルの高い作り手と同じく、やはり質とレベルの高い見る側の人が居て、成り立っている文化だと思います。映画のみではなく、すべてがそうですよね。

 

そのような文化が多数あって、文明がある・・・・・。

 

なぜそのような事を言っているかと言うと、このようなスペースオペラを見ると、いつも心がざわめくのです。

科学の進歩だけが果てしない未来の象徴のような気にさせるから。

または何かに未発達な古代史を見せられているような気がするから。

 

つまり何か線分の端と端とが折り曲がり絡まると言うか、最先端の未来と果てしない過去が混在していると言うかのような世界感だなと感じたのでした。

 

とにかくも、主演のティモシー・シャラメの美しさが、この映画の映像美の格をあげていると思いました。

またサンドワームを見ると、ある種の原点と言う感じがします。

 

画像の下は、短いですがネタバレしています。

 

こういう映画では父と子と言う関係が描かれることが多いと思いますが、この古典なる物語であるにもかかわらず、母と息子で描かれているのが、新しさを感じたのは私だけでしょうか。

母であって師匠。

そんな二人の逃避行ゆえか感情移入度も高く、要所要所で助かるに決まりじゃん(パート1だし)と思っていても、ドキドキしました。

 

しかし感情移入度高いと言っても、脇の彼らの味方の魅力ある人々の事を思うと、この作品は辛いものがありました。あまりにドライにその別れがやって来てしまったから。

えーっ !!

と、嘆いている暇もなかったくらいでしたね。

 

 

 

 

 

 


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相棒20 第5話「光射す」

2021-11-11 00:11:11 | ドラマ(相棒)

警察の人間が、ネットで情報提供を求めると、そんなに大騒ぎになってしまうのかと思いました。

止める羽目になってしまっても、娘が失踪してしまっていて行方が知れなかったとしたら、やはり背に腹は代えられない事だなと思います。

 

止めた刑事と後頭部に傷を負った首を吊った遺体。しかももしそれが他殺だったら、密室殺人だとか。

壁の薄いアパートで、隣人は10年も引き籠っている50代の男とその母。

気になってウロウロする止めてしまった刑事の同僚。

失踪した娘を持つ刑事と他殺が疑われる首吊り死体がどのように結びついていくのか。

なんだか怪しい雰囲気だし、物語の展開がつかめず、なかなか面白かったですね。

推理物、もしくはサスペンスは、すっきりと見渡せない方が面白いですよね。

 

しかし密室の謎は、元カノの持っていた合鍵という事であっさりと解決しました。

 

そして隣人は、何を知っていてどう思っていたのだろうかと、(つまり目撃)引き籠りの男性を訪ねます。

もちろん会えません。

そこに尋ねて来た刑事と思う一度栗林の部屋を調べに入ると、フローリングにその柄のカーペットを重ねて偽装していたことが分かりました。

床下収納に残された血痕。

部屋にあった見守りカメラは、カメを見るものではなく、失踪した刑事の娘のサヤカだったことが分かりました。床下収納に残された血痕も彼女の物だったのです。

すると女性を背負った人の目撃映像が出てきます。

疑われるサヤカの父。

ところがその父にはアリバイがありました。

そしてネットの書き込みは、引きこもりの男性でした。

でも彼は家を出る事が出来ないー。

じゃあ、誰が―?

 

なんと驚きの展開でしたね。

いや、そうかなと思いましたよ。

登場人物の関係で。(笑)

だけど年齢を思うと、そうとうそうとう、頑張りましたよね。

頑張らせたのは、子を思う親の気持ちが分かっていたからだったのですね。

 

銃で脅かさなくては、家を出てくる事は出来ないとまで言われていた男性が、母が連行されるときに飛び出してきました。

これは泣かせようとするシナリオの罠だなと思いましたが、まんまと罠にはまって、ちょっとだけ瞳が濡れました。

 

栗林は結局自殺だったので、老母は家宅侵入罪と傷害罪の罪で(と、言っても彼女を助けるためだったのだから、これは無罪になるのでは ?)、父親は精神的におかしくなっていた娘を守るために、拉致そのものを無かったことにしようと思っていました。それで彼も証拠隠滅とかの罪に問われるらしいです。

厳しいなと思いましたが、この部分があったからこそ、この物語は生きたのですよね。

 

ところで今日のツボは、やっぱりこの会話でしょう。

 

「お詳しいんですね。以前亀を飼ってたことが ?」とおかみは言いました。すると右京は

「それはそれは手のかかる亀を・・・」と言い、ふっふっふと笑う右京。


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ついでながらの秋散歩 《写真日記》

2021-11-10 01:13:16 | お散歩&写真日記

これを書き始めている11月9日の日は、朝からと言うか、前日の夜から少々眩暈がして、久しぶりに体調が悪かったのでした。

雨の日だから家に居て、あれもやろうこれもやろうと思っていたのに、結局は、午前中のほとんどの時間を録画消化に費やしました。

「費やしました。」となんだか「費やしてしまった」かのようなニュアンスがありますが、実に楽しい時間でした。

でもそんなに楽しくなくて良いから、あれやこれやと出来る「元気」が一番だと思います。

 

「流山市総合運動公園」の、お散歩日記のラストで、

「ついでながらの秋散歩《野の花マニア》」

・「ついでながらの秋散歩《きっとキラキラしてた》」

の続きです。

 

秋って素敵なものがたくさんあるけれど、空もその一つではないかと思います。

秋の空って良いですよね。(とか言いながら、実は夏の空も好きです^^)

 

そして秋の日差しも好きです。

何となく柔らかですよね。

この運動公園には、いつも降り立ちたい衝動に駆られてか、もしくはついでに、以前にも2回ほど来ています。ひとつ前の記事にもリンクさせていただいた

・2010年の記事の「たまには違う公園を歩く」

・2017年の「流山市総合運動公園」です。

ブログを始めてからの15年で3回・・・・・・。

 

なんだか同じ場所の記事を書くと、多いような気がしますが、たった3回しか来ていないのですよね。

そんなに遠くない場所にあるのに、不思議な気持ちになります。

あまり私的には魅力がなかったのかもしれません。この秋の日以外には。

因みに2017年の記事には、今年よりも赤く染まった木々の写真が載っています。

 

道のある風景は好きですが、下の画像などからは、なかなか秋の気配は感じられないと思います。

 

だけど秋が垣間見える・・・・・。

 

↓ なんだか素敵な風景だなと思いました。

バーベキュウ広場だそうです。

あっ、なんか「私的魅力」と言うものが出てきました。

家に帰ってから、この場所の検索をしました。

お値段もまあまあ。

今まで1グループ4人となっていたのが、この10月の終わりから縛りが取れたそうです。

前に仲間でバーベキュウの話が出た時に、他の場所でリサーチしていて、なんとなく大変そうで「止めましょう。」となってしまったのですが、ここなら大丈夫そう・・・・。

さりげなく見渡せる風景も素敵で良いと思うのですが。

だけどこれからの季節では、ちょっと寒いかしら。

また来年の話になるかしら。

それともみんな、「もういいや。」って話になるのでしょうか。

 

人と人との繋がりは、何でかずっと同じようにと言うのは、かなり難しい事みたいですから。

 

そのバーベキュウ広場の片隅に咲いていた、名残りのコスモスは、なんだか寂しそうに見えました。

 

さて帰ろうと、駅に向かって歩き、ふと振り返ると、真っ赤な樹が目に入りました。

あんな赤く染まった樹を見たかしらと思いました。確かに隅々までは歩いていなかったのですが、あのように目立つ木がどこにあったのか不思議に思いました。

だけど見送られているような気がして、ちょっといい気分にもなったのでした。

 

 

↓ バス待ちの時間に頂いたおやつ。

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ついでながらの秋散歩《きっとキラキラしてた》

2021-11-09 08:16:44 | お散歩&写真日記

11月2日に病院に支払いに行って、そのついでにその病院の近所の公園に行き、紅葉散歩を楽しんできました。

「ついでながらの秋散歩《野の花マニア》」の続きです。

 

紅葉と言っても、今年の街の中のそれは、そんなにはキレイではない赤だったように感じました。

それでも今の私には、これで十分で、そしてこれがイイかなと思えてしまうのです。

最近疲れが抜けません。

こういう時は、無理せず、近所の良い所発見といきたいものです。

 

街路樹の紅葉は、建物が入った方が素敵に感じる事もありますよね。

気分はパリとかを歩いているような、そんな気持ちに・・・・・・ちょっと無理か~(笑)

 

そして公園の中の紅葉です。

すべてが赤く染まるわけではないけれど、やはり秋の日差しを感じますね。

下の画像は、「ついでながらの秋散歩《野の花マニア》」にも載せたもののようですが、若干違います。少し移動させたと言うのもありますが、桜の樹の下の子供がいないのです。

 

きっとこの桜の樹も春には一番のスターになって、人々がこの広場に集まってくるのではないかと思いました。今は子供を連れた親子のグループがちらりほらりしか居ない公園でしたが、過去には大勢の人たちがそこに居てキラキラとして、そして笑っていました。。そして未来のその季節にもそこに居るー。

桜の季節にも、来てみても良いなあと思いました。

 

ところでこの公園、トーテムポールがたくさんあるんですよ。

30年ぐらい前に行われた、それらを作成するイベント。

この公園内で集い合って、作成し、そして建てたのです。

今はひっそりとしているこの場所で、そこに集い合ったその人たちは、みんなニコニコとそしてキラキラしていたに違いないと思えるのです。

今は少々朽ち始めているものもあり、夕刻には怖いオブジェになってしまっているものもあるんじゃないかと思います。でもやはりそれらを見ると、そのキラキラしていた人たちの想いを私は感じて、楽しい気持ちになれるのでした。

 

このトーテムポールの事は以前にも書いていて、その記事は→「たまには違う公園を歩く」

その頃住んでいた地域の自治会の人に教えてもらった、そのイベントの事。それをその人から聞いたり、その時のアルバムなどを見せてもらっていなかったら、私も「へえ」と言って通り過ぎてしまうと思います。

ほんの微かな縁でさえも、時には何かを豊かにしてくれるスパイスなのかも知れませんね。

 

※ 今日もみなさんも、楽しい一日を送れますように。

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「百鬼夜行抄29」

2021-11-08 00:34:08 | 漫画・マンガ・まんが

油断していると、いつの間にか新作が出ている ・・・・・・。

本当に油断ならぬ、一年に一回のお楽しみの「百鬼夜行抄」。

 

今回は、

「瓜子姫の鏡」「風路の便り」「忘却の雫」「長い雨の家」「女友達の家」の5作品と「あとがきマンガ」です。感想は、ネタバレしない程度に留めていますが、小さなあらすじに関係のなさそうな事は書いています。

「瓜子姫の鏡」

久しぶりに司ちゃんのお話。怪しと関わる飯嶋の一族は、危険と隣り合わせ。関わって人知れず闇に葬られていく若死にや不自然な死もあるが、表立ってしまう死もあるって事ですよね。親戚に殺人の罪を犯したかもしれない人が居たら、やはり気持ちはタダでは済まないように思います。

司ちゃんは大学の教授の秘書になっていました。彼女的にはギリギリでも、彼女にあった仕事に着けて良かったなと思いました。

司ちゃんがお仕えする大学教授は、なんとなく酒向芳さんに似た感じ。だけど実はモテモテの人だったと言うのが、一番のツボだったかもしれませんね。

「風路の便り」

アサギマダラのお話。捕獲した蝶に油性ペンでマークして移動範囲を調べると言うことから生まれたお話だと思うのだけれど、そう思うと、なかなか良く出来た面白いお話に感じました。

なにげに「瓜子姫の鏡」と物語がリンクしていたのも、面白かったです。

 

「忘却の雫」

これが一番私的には良いお話だったような気がしました。律がドナーになって、そして留年してしまうのも、このお話があったからなんですね。一族を思う人の温かい気持ちを感じました。確かにホラーっぽいけれど。

またシーンが二転三転とするので、分かり辛いかも知れませんが、映像に置き換えると、逆に見応えがあるような気がしました。

ところでこの中に出てくるおとぎ話の「忘れ薬」、思わず検索してしまいました。歌舞伎で初演と出てくるから、そんなお話があったのかもしれませんが、あとはどうしても分からず、話の続きが知りたい !!

要望・番外編 !!

 

「長い雨の家」「女友達の家」

この一族は、自ら動いていなくても、勝手に向こうからやって来て巻き込まれてしまうらしい。

完全にホラーな物語。

 

毎回絵は本当に美しいと思います。

でもな~。

登場人物が多過ぎて、いや1話の話の中ではワイワイとは多くないのですが、今までの人。つまり他の一族の方々はどうなっているのかと気になってしまうのですよね。

私は意外と一族がワイワイとする話は好きですし、おばあさんとお母さんと、偽物のお父さんと、幽霊のおじいさんと言う律の家だけの話も良いと思うのですよね。なんかいつもお話が広がり過ぎているような気もしてしまうのですが、いつか、この澪おばさんとの一族とのお話にも決着が着いて行くのでしょうね。

あっ、そう言えば、赤目とかどうしているのでしょうね。

 

 

 

 


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ついでながらの秋散歩《野の花マニア》

2021-11-07 02:06:58 | お散歩&写真日記

先月夫が発熱外来を二度目に訪れた病院は、外にあったためにお会計が後払いで、請求が後から来ました。

振込用紙が送られてくるのかと思ったら、振込先が書かれたお手紙でした。

銀行に出掛けなきゃいけないのでしたら、病院に払いに行ってしまった方が楽だなと思いました。

だけど電車賃を使って行くので、ちょっと何処かをぐるりと回って来たいなと思いました。

 

↓ここにしようかなと計画を立てましたが、ちょっと夕方のお仕事に支障をきたしそうなので、今回はそこから近場の運動公園散歩にしました。

 

運動公園はこの季節になると、電車の中から「綺麗だなぁ」と見ている所です。そしていつもその綺麗さに魅かれて、降り立ってみるに時は、紅葉に間に合わず山のように積もった枯れ葉の上を歩いてくることが多かったのでした。

果たして今回は・・・・

 

しかし公園に行き着く前に、既に街の中の秋を感じつつ歩くことが出来ました。

 

↓ この山ブドウの実が毒だと知ってからも、なんとなく好きだなと思えてしまいます。

ずっと昔、この実を摘んできて鍋で似てハンカチを染めようなんて考えていたことがあったのでしたが、何でもすぐにやらない実行力の無さで、この場合は助かりましたね。

 

そして私的、最強の一族様の花「ノゲシ」

だけどこうしてみるとなかなか綺麗なんですよね。

下のは、この道端ではないけれど、帰り道で撮った「アキノノゲシ」

なかなかの美しさじゃないですか ?

 

だけど私が「最強の」と冠を付けたくなるのは、この綿毛のような種の付け方からで、繁殖力高く、そして強いからなんですよね。除草シートが敷いてあっても、そこを破って出て来てますものね。

上の画像の種は崩れてしまっていますが、実は、この花たち、本当は種も美しいのですよ。

下の画像は、2017年の記事からセルフコピーしたものです。

この画像が載っている記事は「まあまあまあ」なのですが、そこには、この花が最強に感じるゆえに好きじゃないような事が書いてあります。

だけどその割には、この花が咲いていると、何でか写真を撮っている私。

人は嫌い嫌いと言いながら、逆に気になって近づいていくって事は、よくある事なのかもと思います。そしてこの花を撮っている私は、まさにそれですね。

 

じゃあ、むやみに嫌ってはいけないなと、撮ったのが

普段はくしゃみが出そうなので、近づきません。

テクテク

秋のなんでもない風景

だけど子供の頃は、こんなひっつき虫があったら宝に見えました。

「コセンダングサ」

 

そう言えば「ひっつき虫」と言ったらのオナモミ、最近見ないような・・・・・と思ったら、なんと「絶滅危惧種」、レッドリストに載っているのだそうですね。

テクテク

着きました。

 

またお散歩記事はつづきます。

だけど本や映画の感想の合間の気まぐれに・・・・・

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相棒20 第4話「贈る言葉」

2021-11-06 01:49:17 | ドラマ(相棒)

陣川君の恋バナ、あまり好きじゃないのですが、今回は違いましたね。

友情の物語。

最後に学生時代の想い出を、現在の彼らでやったところが、この話の最大の見せ場だったように思いました。

無理じゃね。

とか言いながら、意外と、普通に見えてしまったところが、なんて言うか・・・・・・・・怖いね。

 

でもお話は、やっぱり好みではありませんでした。

犯人は社長だと思ってた。犯人顔だったから←オイッ !!

でも彼が捕まって時計を見たら、まだ20分ぐらいあったじゃない。

じゃあ、あの人に裏があるのね・・・。

登場人物がそれしかいないからね ←だ~か~ら~ !

 

そして宮森由香は熱く語る。

鴨野大輔を作ったのは私よ。それなのに私を軽んじて、あれやこれやと。

すると右京は言いました。

いつもながらセリフは不正確にしか書けません。

でもこんな内容だったと思います。

つまりスピーチのプロにしては、お粗末だったと。

そこは本当に共鳴しました。感情むき出しで、日ごろの他の者にしていたアドバイスはどうしたと言うのでしょう。

だけど次に言った右京のセリフには、私は違和感バリバリです。

「あなたは本当に残念な人・・・・・」

 

「残念な人」、確かに生まれて来てから10年ぐらい経っていたら、新しい言葉とは言わないかも知れません。

だけど右京は何歳設定だったかしら ?

 

思うに、この失礼な「残念な人」などと言う言葉を、杉下右京は使う人ではないと思うのです。

 

あの場所に立っていたのは、皆中年の大人たちばっかり。そこにあの言葉。

本当に残念なシ・・・オ・・・。

 

うーんと思っていたら、夫が言いました。

この人を何の罪に問えるのだろうかと。

誰も手を下してないし、教唆もしていない。

確かに何の罪なのかしら。

怪しげなメールを送った事は事実でも、これを未必の故意として立件できるとは思えないなあ。

 

私的にはモヤッと終わったわけですが、予告編で「亀」が出て来て、思わず「ふふふ」となりました。

と言うわけで、次回も楽しみです。

遅れて書いているので、視聴率が出てましたね。

13.3だそうです。

 

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相棒20 第3話「復活~最終決戦」

2021-11-05 09:59:04 | ドラマ(相棒)

ぼんやりと、遅れて書けばいいやと思っていたら、遅れ過ぎて二つも滞ってしまいました。以前なら、こういう時は欠番。だけど、「相棒」はもうラストに向けて突っ走っているような気がしているので、この際、最後までお付き合いしたいような気持ちになっています。

と、言いましても、良い事ばかりはもう書けないお付き合いの長さですね。

昔は良い事ばかり書いてました。本当に良い所しか目につかなくて(笑)

 

で、この10月27日に放送された「最終決戦」ですが、申し訳ないけれど、本当に眠くなっちゃいました。

このタイトルの「復活」は、一体何を意味するのでしょうか。私的には、最初から柾庸子の復活しか思い当たらず、要は最初から、視聴者の皆さんもこの展開は一話目から分かっていたって事ですよね。

ただあからさまには書かなかったのは、こんな程度でもネタバレになってしまうと思っていたからだと思います。

それにタイトルからでなくても、映画クラスタの皆さんは「ニキータ」とかそれのリメイク版の「アサシン」なんかを見た人は、だいたいコレだなと思ったりすると思うのです。ところが、そっちの映画脳を参考にしてみていると、イヤイヤイヤ、これ、甘いな~って感じてしまったりしましたよ。

 

甘いなと感じたのは、庸子のあれこれ。

私はこの人は、鶴田の愛人で良かったような気がしました。じゃなかったら、カプセルを飲ませる状況になっていたと言うのに、少々の「情け」でも無かったら、あそこまでやって助ける意味はなかったような気がしてしまうのですよね。

抹殺の方が彼にとっては、後々安全じゃないですか。←何気に恐ろしい事を言ってます(^_^;)

もしくは、彼女の新たな使い道を考えていたと言うなら分かります。つまり、そこで「ニキータ」脳になると言うわけです。

最初、私なんか、凄く恐ろしい事を考えてしまいました。可哀想な都々子を殺したのは・・・・

少なくても彼女は真実を知って死んだとかなんとか・・・・。

でも子供もたくさん見ている「相棒」ですから、(さすが小学生は見てないか(笑))、そんな恐ろしい展開にはならなかったのは良かったです。

だけど自らの手を汚さない人は、なかなか汚さないものですよね。それを庸子は、プロの殺し屋に(しかもかなりのやり手)に果敢に挑戦したと言うわけです。これ、何らかの最終テストと思っても、映画脳だったら意外と当然ですよね。

 

そして庸子は、パリのセーヌ川のほとりに立たせて、そして闇に消えさせても良かったような気がします。(あくまでもドラマ的な話です。)

 

しかしこのお話は、権力お化けの鶴田との勝負ですものね。

シーズン19の終わりは「宣戦布告」。

「我々喧嘩をウリに来てますから。」と亘が言っていました。

その喧嘩、次のシーズンの3話で決着が着いたと言うわけですね。

 

二次元コードのからくりとか面白かったです。

 

しかしスキルは有ったものの、単なる覗き見青年だった青木年男、コネで警視庁に入って来て、今では官房長官に名前を覚えられるようになるとは、確かに「有名人」になったものですね。

そして見所の一つは、

「あなたが小野田公顕を語るなど 虫唾が走る。」と右京が言うじゃないですか。

 

彼の名誉を守ったようなものですね。

 

だからだったのか、最後に彼はその小野田とすれ違います。

「官房長・・・」

それを聞いて、亘が言うと、

「君の聞き間違いですよ。」と言い、

「僕の見間違いですか。」と言うー。

 

だけど遠くで振り返った男は、確かに小野田公顕。

「ありがとう。」と言いたかったのかしら。

 

 

 

(※ いい感じで、感想を書き終えたので、この先は不要なのは分かってるんだけれど、どうしても言いたい事ってあるじゃない。くだらない事なんだけれど、なんかあの小野田さん、メロンを持っているような気がしちゃったんですよ~(^_^;))

 

 

 

 


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それはたぶん失敗しないから。

2021-11-03 23:48:49 | 家族スナップ

横浜の「イングリッシュガーデン」の薔薇と共に、10月24日のスノウさんの家に訪れた時の日記などを書いてきましたが、いつまでも引きずってないで、終わらせようと思います。

今回は薔薇の花の画像は少なめです。

 

10月24日の日記。

「薔薇とスノウさん」

の続きで、その中の

>『またある時は、彼女は言います。家に行った時も言いました。

「もう生きていたくない。もう死にたいの。」』

の続きで、文は、花の画像の下からです。

 

 

 

 

昨年の最後にみんなで会って、やっと会えた24日の日までに、スノウさんにどんなことがあったのか、あまりにいろいろあり過ぎて、ずっと応援してきたのに、パッとは答えられません。

それでもいつでも強気で明るかったスノウさん。

だけど彼女は会った途端に泣きました。

「最近涙もろくって。もうみんなには感謝しかないんだけれど、それでも涙が出てくるの。」

私は思わず席を立ち、彼女の肩を抱いてハグをしました。

―ああ、私はずっとずっとこれをしたかったんだわ。

そう思いました。

あの夢の中でしたようにー。

 

そして彼女は言ったのです。

「もう生きていたくないの。死にたいっていつも思ってる。」と。

本当は、やっぱり抱き合って姉妹でオイオイと泣き、そんな事を言わないでとか言えばいいのではないかと思うのです。

でも私たち姉妹には、いや、私にはそれが出来ないのです。

 

私は顔色一つ変えずに言いました。

「大丈夫よ。死にたい死にたいって、そんなに念じていなくてもいつか死ぬから。」

「スノウさんも私も、蝶子さんもみんないつか死ぬ。いつか死ぬのに、そんなに念じたり考えたりなんかして、無駄じゃん。ただでさえ体がだるいってのに、そんな面倒くさいこと、今する事ないよ。」

「そうよ。」と蝶子さん。

「死ぬのに、今まで失敗した人は居ないっていうから、心配する必要もない事よ。」

そこでまた私。

「そうねぇ。失敗したって言ったら、『ポーの一族』の皆様ぐらいなんじゃないかしら。」

などと言って、笑い合いました。

 

それから辞世の句についてもお喋りしました。

「私さ、光源氏のモデルになったと言われている、在原業平が好きで、その人の辞世の句がまた凄くいいのよ。『ついにゆく・・』えーと、え~と、ちゃんと言えそうもないけどさ、つまり、『それ、知ってたけど、今か~』ってやつ。」

ちゃんと言うと

『つひにゆく道とは かねて聞きしかど 昨日今日とは思わざりしを』

「なんかね、その句を思うと、ちょっと怖くなくなるなって、知った時にそう思ったんだ。」

辞世の句を詠むのは、もしかしたら死の恐怖への緩和という目的があったのではないかと、私は思っているのです。

病気でヨロヨロのスノウさんとの会話が、こんな会話。

でもこれ、姉妹の笑いながらの楽しいお喋りの会話で、実はその辞世の句と同じような効果があったような気がしました。もちろん相手とその状況に依る事です。

 

その日のスノウさんは2時間も起きていたので、帰る時にベッドまで一緒に行きました。

そして帰る時に、私は本当に思っている事を、彼女のひんやりとしたほっぺやおでこをペタペタと触りながら言いました。

「あなたがいなくなったら、本当に寂しいよ。寂しくて寂しくて、毎日泣いちゃうよ。だからね、私たちの為に生きてね。お願いだから生きてね。」

 

スノウさんは、

「今日は久しぶりに凄く楽しかった。」と言ってくれました。

 

だけど帰りの電車の中で、私は不意に泣きそうになりました。

「電車の中なのに涙がこぼれそうになった。」とラインに書き込みました。

「会えて嬉しかった。」と書き添えて。

すると一番下の妹の名都さんから「吃驚したよ。何か悲惨だったのかと思っちゃったから。うれし泣きだったんだね。」とお返事がきました。

だけど家に帰るころ、名都さんにまたお返事しました。

「悲しかったから」と。

 

☆     ☆     ☆

本文中にある「あの夢」と言うのは、「なぜその夢を見たのか・・。」

と言う記事に書いた夢の事です。

最初は体調が悪いのに、膀胱炎だからと侮って病院に行こうとしなかったスノウさんに警告を送るために見た夢だと思っていました。

だけどその時の検査で、また新たな腫瘍が見つかって、その月に又も手術をする事になったのでした。

「なんだか正夢になってしまった。」と嘆く私に友人が、たまたまの偶然と言いましたが、この記事を書くのに、またその記事を読み直してみて、私は吃驚しました。

まったくの同じ。

胸が、胸が痛いです。

 

 

 

 

 

コメント (7)
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