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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

会津 若松城

2013-02-27 00:00:28 | 城郭・城下町

(鶴ヶ城 黒川城 福島県会津若松市 国指定史跡 日本100名城12番)
 この地には、元中元年/至徳元年(1384)蘆名直盛(あしななおもり)によって館城が築かれたのが始まりという。天正十七年(1589)伊達政宗が攻め、蘆名氏の城は落城した。然し、翌年には豊臣氏のものとなり、文禄元年(1592)には同氏臣 蒲生氏郷が九十二万石で入城し城郭が拡大され、地名も黒川から若松に改められた。慶長三年(1598)子の秀行のとき蒲生騒動が起き、十八万石で下野宇都宮へ転封となった。代わって越後春日山より上杉景勝が百二十万石で入城したが、関ヶ原で西軍に味方したため、三十万石で出羽米沢に転封されている。再び蒲生氏の居城となったが、寛永四年(1627)伊予松山に転封、同所より加藤嘉明が入城、子の明成のとき城を修築したが、会津騒動が起き改易となった。そして、出羽山形より徳川家光の庶弟である保科正之が二十三万石で入封。以後、会津松平家(三代目から改姓)で廃藩を迎えた。慶応四年(1868)には戊辰戦争が起き、薩摩、長州の新政府側と旧幕府側の会津勢との間で対立となり戦いが起きた。(会津戦争) 会津勢は若松城に一ヶ月にわたって立て籠り、持ちこたえたものの、若き白虎隊隊員の自害など、悲しい歴史も今に伝えられている。
 二の丸堀
  
 二の丸石垣

 内堀
   旧大手口廊下橋
 本丸帯郭石垣    武徳殿方面  磐梯山方面
  

 平成13年再現の走長屋と昭和40年再現の天守(平成23年赤屋根再現化)

     干飯櫓(平成13年再現)
 荒城の月碑
  お城ボくん 
 太鼓門武者走
    西出丸

(関連記事:蒲生氏郷墓所

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