(岐阜県大垣市 1982年5月26日の日記から) 古代は美濃国の中心地であったこの地域。今でも西濃地方の中心地として栄えている。街中には大河はないが、湧き水によって水量豊かとなった水路が、大垣城の堀として使われ、水運も発達した。 この日は中山道赤坂宿の町並みや昼飯大塚古墳、美濃国分寺跡にも訪れ、開館間近の美濃国分寺資料館が待ちどおしく感じた。(関連記事:美濃路大垣宿 水都大垣平成二十年 大垣城旧柳口門 昼飯大塚古墳 大塚2号墳)
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