flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

松江から米子へ

2011-06-16 00:00:28 | 漂い紀行

 島根県松江から三度山陰線に乗り、東に向かった。中海畔から安来を過ぎ、鳥取県米子に到着する。駅舎は松江より遥かに大きいが、駅前の雰囲気は、かつて栄えていたという印象を受けた。県都以外はどこも斜陽化傾向にある。然し、米子は山陰の大阪と呼ばれる交通の要衝であり、県都並みの知名度はあるだろう。かつて市庁舎であった山陰歴史館で米子の歴史を学び、先ず米子城に向かった。
     (山陰鉄道発祥地モニュメント) (部分解体された茶町のビル)

(関連記事:旧米子市役所庁舎 中江藤樹成長之地 内膳丸 孝霊山 湊山公園 児島高徳顕彰碑 旧加茂川界隈 境線

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赤坂見附 平成二十三年

2011-06-15 00:00:30 | 漂い紀行

(東京都港区)
 私が一時居を構えていたこの地も、二昔が過ぎると赤プリの閉館、サントリー美術館の六本木移転、鹿島建設の本社だるま落とし建て替え、一ツ木通りの変貌、赤坂サカスの完成と、まさに竜宮玉手箱状態であった。この日は久し振りに赤坂で一夜を過ごすことにした。
    

(関連記事:赤坂平成二十一年 東京ミッドタウン

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与謝蕪村居宅跡

2011-06-14 00:00:18 | いにしえの人びと

(京都市下京区仏光寺通烏丸西入ル)
 享保元年(1716)摂津国で生まれた俳人・画家である。二十歳のとき江戸に出て俳諧を学んだ。その後、松尾芭蕉に憧れ陸奥国を旅している。そして、四十二歳のとき京都に移り住み、天明三年(1784)六十八歳で生涯を終えている。

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旧竹原書院図書館

2011-06-13 00:00:21 | 学びのやかた

(広島県竹原市本町)
 竹原の町並みに、昭和5年(1930)に築造された、木造二階建ての洋館である。かつてこの場所には、医師であり学問所を開いていた塩谷道碩(しおたにどうせき)の屋敷があった。道碩の死後、頼春水(らいしゅんすい:頼山陽の父)が道碩の志を受け継ぎ、寛政五年(1793)竹原書院という郷塾を開いた。然し、文化十年(1813)火災で焼失した。明治43年になって、社団法人竹原書院として再興。現在残る洋館を建設する際に、町立竹原書院図書館となった。昭和47年(1972)図書館は市内中央に移転。昭和55年(1980)からは、歴史民俗資料館として利用されている。

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うつろな目

2011-06-12 12:00:21 | まちの違和感

岐阜市渋谷町の光景。

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芹澤介の家

2011-06-12 00:00:02 | 木のたてもの

(静岡市駿河区登呂)
(環境依存文字 芹澤(金偏に圭)介 一部のPC、携帯電話では、()内が文字化けします)
 染色工芸家で人間国宝であった芹澤介は、明治28年(1895)静岡市に生まれた。琉球の紅型(びんがた)の影響を受け、模様、植物、動物、人物、風景をモチーフとした着物、帯、暖簾、屏風、本の装丁、カレンダー、ガラス絵等を手掛けた。昭和59年(1984)に没し、正四位勲二等瑞宝章が贈られている。住宅兼工房は仙台の板蔵を東京鎌田に移築改造したもので、木造2階建、建築面積106㎡である。昭和62年(1982)出生地である静岡の芹沢介美術館内に移築された。

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宍道湖Ⅱ

2011-06-11 00:00:17 | 水のほとり

(島根県松江市)
 一畑電鉄松江しんじ湖温泉駅を降り、昨日の宍道湖に続いて、本日も訪れた。湖畔は今日も涼やかな風が流れていた。
(堀川取水口)              

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年始の富士

2011-06-10 00:00:20 | 漂い紀行

(静岡県富士市)

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年始の伊吹

2011-06-09 00:00:20 | 漂い紀行

(滋賀県米原市)

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頼惟清旧宅

2011-06-08 00:00:40 | 木のたてもの

(広島県竹原市本町 県指定史跡)
 文人、頼山陽の祖父、惟清(これすが)が紺屋(染色業)を営んだ町屋である。惟清は宝永四年(1707)頼兼屋弥右衛門善裕の長男として生まれた。竹原では和歌をよく詠じたが、天明三年(1783)七十七歳で没している。その子春水(山陽の父)は、広島藩の儒官となった。また、二男の春風は竹原の家を継ぎ、医業を開いている。
        

(関連記事:竹原 龍頭山照蓮寺

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「ながらほった」

2011-06-07 12:00:47 | まちの違和感

 岐阜バス「おぶさ」行きに乗る度に?と思うことがある。それは、バス車内の案内表示に「ながらほった Nagara Hotta」と出るからである。録音アナウンスや運転士は「ながらほりた」と言っている。正式な地名の読みは、岐阜市堀田町(ぎふしほりたまち)である。この読みの違いはバス会社側は把握しているようだが、そのまま放置されている。ちなみに、市内には加納堀田町(かのうほったちょう)がある。

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登呂遺跡

2011-06-07 00:00:33 | いにしえの人びと

(静岡市駿河区登呂 国指定特別史跡)
 静岡県を代表する弥生時代遺跡の一つである。昭和18年(1943)軍事施設建設の際発見されたもので、地下凡そ1mから、水田跡、住居跡、木器が見つかった。調査の結果、弥生時代後期の遺跡であることが分かった。辺りは安倍川の伏流水により自噴する水が見られ、稲作に適した地であることが分かる。
                       

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一畑電車

2011-06-06 00:00:23 | RODEN-哀愁のRailway-

(一畑(いちばた)電気鉄道)
 出雲大社前駅から「ばたでん」に乗り、松江に向かった。出雲大社前駅は、大社線出雲神門駅として昭和5年(1930)に開業し、現在は国指定登録文化財、近代化遺産に指定されている。平成21年までは、現在出雲神門駅に留置されている、昭和3年の電化時に導入されたデハニ50形電車も使用されていた。この車両は映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」で使用された。一畑電鉄は元々、山陰線出雲今市(出雲市)から一畑薬師最寄り駅である一畑を結ぶために敷設された。その後、出雲大社前~川跡(かわと)間の大社線、一畑~北松江(現松江しんじ湖温泉)間の北松江線が敷設された。
  (出雲大社前駅)
(3000系 元南海21000系)
    (デハニ50形)
    (川跡(かわと)駅)
(出雲大社前⇔川跡3000系・電鉄出雲市行2000系・松江しんじ湖温泉行3000系)

  (宍道湖)
 

(関連記事:出雲市駅 出雲大社 宍道湖 松江

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梅雨入り

2011-06-05 00:00:09 | kourei-ki-日記-

5月27日…例年より早い梅雨入り。
この地方では田植えから二週間ほどしてから梅雨入りするのだが、今年はほぼ同時であった。

 
我が家の紫陽花もまだ緑の蕾の段階だ。

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ミナミ 平成二十二年

2011-06-04 00:00:21 | 漂い紀行

                 (御堂筋)
(大阪市中央区)

(戎橋)(心斎橋筋から南を望む)

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