flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

益城

2012-02-14 00:00:59 | 漂い紀行

(熊本県上益城郡益城町)
 肥後大津の南には熊本空港がある。その空港の南側は、熊本市のベッドタウン、ましきまちである。
 

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品川

2012-02-13 00:00:12 | 漂い紀行

(東京都港区・品川区)
 この日は海老名から相鉄線で横浜に向かい、宿泊地である品川に辿り着いた。
   

(地域関連記事:北品川 武蔵小山 林試の森 中原街道 二葉 大井町 品川宿

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和邇下神社 古墳

2012-02-12 00:00:38 | いにしえびとの睡

(わにしたじんじゃ 奈良県天理市櫟本町宮山)
 櫟本の東側、山辺の道に程近いところに築造された全長約120mの前方後円墳と、その墳丘上に鎮座する神社である。
(5mの墳丘に建つ社殿)
(重文 本殿 桃山時代)
 第五代孝昭天皇第一皇子天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)を始祖とする和邇氏は、大和国添上郡和邇(現在地の東隣)を本拠としているため、この古墳と神社は関係が深いものと推定される。

(神社前の柿本寺跡に置かれた古墳天井石)

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闇の原爆ドーム

2012-02-11 00:00:03 | STRUCTURE-構造物残影-

(広島物産陳列館 広島市中区大手町 世界文化遺産 国指定史跡)
 昼間のドームとは違い、より感慨深い印象を受ける。
    

(関連記事:元安川 旧大正屋呉服店 広島平和記念公園

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黄昏のセントレア

2012-02-10 00:00:15 | 漂い紀行
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袋井へ

2012-02-09 00:00:26 | かみのやしろ

(静岡県袋井市 1982年6月30日の日記から)
 この日は初めて袋井の地に降り立った。15年前に廃止されている駿遠線の乗り場案内表示に違和感を覚えつつ、平たい駅舎の袋井駅を降りる。そして、列車の中から見えた大きい屋根の天理教山名大教会を訪れた。神殿(写真)は明治37年(1904)に建てられたものであるが、将来的には新たに建て替える計画があるということであった。次に資料を得るため市役所に向かった。市役所は大正12年(1923)に建てられた旧笠西村役場のもので、ミシミシと音を立てる床が印象的であった。ここでは資料を提供していただいたが、雨漏りのために紙がシワシワとなっていた。

 この後は東隣の掛川に向かった。

(地域関連記事:袋井宿 原野谷川 可睡斎 愛野 小笠山 法多山

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坂本律院

2012-02-08 00:00:30 | ほとけのいおり

(滋賀県大津市坂本)
 戦後初の千日回峰行者、叡南祖賢によって創建された天台宗の寺院である。


(関連記事:門前坂本

コメント (2)
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肥後大津

2012-02-07 00:00:15 | 街道・宿場町

(豊後街道 大津街道 熊本県菊池郡大津町)
 二重峠を越えると、阿蘇外輪の西側、熊本平野の付け根に位置する、大津(おおづ)に差し掛かる。
  (白川)

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座間

2012-02-06 00:00:50 | 街道・宿場町

(神奈川県座間市)
 かつては古東海道夷参(いさま)駅、そして鎌倉街道、藤沢街道、平塚から海老名を経て、八王子に至る八王子街道等、幾つもの街道筋に栄えたまちである。現在は東部の大和市寄りが発展し、西部は従来からの光景が広がる。相模川の河岸段丘である相模野台地縁端には、古墳時代終末期に築かれた横穴墓群があり、付近には古代から飲料水として利用された幾つかの湧水がある。
 
(丹沢方面を望む)
(相模野台地遠望)
(神井戸)
(梨ノ木坂横穴墓)
(相模野台地に上がる梨ノ木坂)
 

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櫟本

2012-02-05 00:00:57 | 街道・宿場町

(いちのもと 奈良県天理市櫟本町)
 櫟本は奈良と桜井を結ぶ上街道の宿場として栄え、往時の風情が残る町である。町並みの一つに融通念仏宗の放光山大興寺がある。ここは私の母方の親戚であり、住職の下の名は私と同じである。
     

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おにさん

2012-02-04 00:30:15 | まちの違和感


 大さん橋での光景

 

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横川

2012-02-04 00:00:43 | 街道・宿場町

(よこがわ 広島市西区横川町)
 岩国和木・大竹から山陽線で横川駅に降り立つ。かつて雲石街道(出雲石見街道・可部街道)で栄えたこの地は、広島の北の玄関口でもある。

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桜井家住宅

2012-02-03 00:00:14 | 木のたてもの

(岐阜県各務原市鵜沼三ツ池町 市指定重要有形民俗文化財)
 炉畑遺跡公園の一角には、近隣にあった養蚕農家から昭和51年(1976)に移築された建物がある。明治4年(1871)に建てられ、明治24年(1891)濃尾地震で倒壊するも、その材料を用い再建された、178㎡の建物である。

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名古屋城 昭和五十七年

2012-02-02 00:00:14 | 城郭・城下町

(名古屋市中区・北区 国指定特別史跡 1982年6月)
 この日は二回目の名古屋城を訪れた。名古屋城は、今川氏親が築いた柳ノ丸が、この地に城が築かれた始まりである。天文元年(1532)織田信秀が今川氏豊から奪い取り那古野城と改名されている。 信秀の子信長は、この城で生まれたとされている。弘治元年(1555)信長が清洲城に本拠を移したため、廃城となった。
 慶長十四年(1609)徳川家康は新たに名古屋城を築き、子の義直を居城させた。石垣は諸大名の分担によって築かれたため、石垣に様々な刻銘符号がみられる。
 築城から元和二年(1616)頃にかけて、「清洲越し」と呼ばれる清洲城下町の移転が行われ、町人も含む、社寺3社110か寺が名古屋城下に移った。廃藩後も残り続けた天守や本丸御殿は国宝に指定されたが、昭和20年(1945)空襲により焼失し、昭和34年(1959)RC造りで外観復元された。
(豊前小倉 細川忠興) (重文 東南隅櫓)

(関連記事:名古屋城外苑 名古屋城平成二十年 清洲櫓 建中寺
(地域関連記事:梅雨の名古屋 金山道標 名古屋街道 広小路 ロボットミュージアム 愛知県図書館 久屋広場 名古屋商業ビル 堀川納屋橋 栄の黄昏 新堀川記念橋 にっぽんど真ん中まつり 広小路夏まつり 新堀川千代田 旧オリエンタル中村百貨店屋上観覧車 大須大道町人祭 箪笥のばぁば 記念橋ビル 桑名町ビル

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流護因社

2012-02-01 00:00:49 | かみのやしろ

(滋賀県大津市坂本)
 日吉大社を後にすると、枝垂桜の横に小さな社殿があった。日吉大社の末社、流護因(りゅうごいん)社である。祭神は護因法師を祀る。かつては東本宮東門の前に護因社という末社があり、洪水で流されたのを機に、大社東側のこの場所に再建したことから、流護因社となったとされる。

 護因は、日吉社に奉仕した社僧の名で、『耀天記』に、「後三条天皇は二十四年間も春宮の地位にあって即位は難しいと 思っていた。ある時、皇位につけるようにという御願書を護持僧・金剛寿院座主覚尋に託して日吉社に行かせた。覚尋は西本宮楼門前で護因に出合い、護因は御願書を預かって神に取り次いだ。それから何年もしないうちに、東宮は即位することができた。感激した天皇はすぐさま日吉社に行幸した。護因は、もと西塔西谷の法師で後の樹下宮に奉仕する僧であったが、勘案するに、御願書の有無は誰も知らないはずなのに、御願書を預かり神に取り次いだ護因は、真実の験者あるいは化人であろう」と記されている。


(関連記事:門前坂本

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