flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

網走湖

2013-02-13 00:00:31 | 水のほとり

(北海道網走市・網走郡大空町 網走国定公園)
 周囲44km,最大水深17mの汽水湖(海跡湖)である。
  
 湖畔を走る石北線オホーツク号

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石堂川

2013-02-12 00:00:34 | 水のほとり

(二級河川御笠川  写真は福岡市博多区)
 太宰府市の宝満山(890m)より発し、博多湾に注ぐ全長24kmの川である。元亀・天正年間(1570-92)臼杵鎮続(うすきしげつぐ)により治水が行われ、那珂川に注いでいたこの川を直接、海に注ぐ流路に変えている。

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聖塚 河野通信墳墓

2013-02-11 00:00:50 | 孝霊天皇流族関係記事

(ひじりづか こうのみちのぶふんぼ 岩手県北上市稲瀬町水越 県指定史跡)
 北上川から幾つかの丘陵を越えると、やがて松林のなかに盛り土が見えてくる。これが河野四郎通信の墳墓である。
       
  
 河野通信は、保元元年(1156)伊予権介河野通清の子として伊予高縄山で生まれた。壇ノ浦の戦いでは源氏側につき、伊予水軍を率いる将として活躍した。また、北条政子の妹を室とし、鎌倉幕府の御家人となった。文治五年(1189)の奥州合戦や梶原景時の変にも参加し、陸奥国にも領地を得ている。然し、承久の乱で後鳥羽上皇についたため、朝廷側が敗北した折りに捕虜となってこの地に流罪となり、翌年の貞応元年(1222)同地門岡の国見山極楽寺で最期を迎えた。
 弘安三年(1280)孫の河野通秀(一遍智真)は通信の墳墓を訪れ、供養の様子を「一遍上人絵伝」が伝えている。
  二段築成の葺石
     周溝
 城郭造りのような背後の崖
    一遍供養の図
 

(関連記事:江刺門岡 東禅寺

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奈良 平成二十四年

2013-02-10 00:00:07 | 漂い紀行

 戒壇院
        
    

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RODEN TOYAMAKO

2013-02-09 00:00:47 | RODEN-哀愁のRailway-

 富山港線は大正13年(1924)富岩鉄道富山港線として、富山口-岩瀬浜間が開業したのが始まりである。開戦時に富山地方鉄道に譲渡され、間もなく国策により国有化された。
   
    廃線区間


 平成18年、第三セクターのLRT(軽量軌道交通)に転換され、奥田中学校前-富山間の旧線を廃止付け替えし、富山駅北までを併用軌道(路面電車)化した。今後、富山駅の高架化以後に富山市内軌道線と接続し、相互乗り入れする計画となっている。

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浪岡

2013-02-08 00:00:37 | 漂い紀行

 青森市から南西に向かうと、南朝北畠氏が一拠点を築いた浪岡に差し掛かる。
 

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土岐氏族島田氏墓所

2013-02-07 00:00:25 | いにしえびとの睡

(愛知県新城市豊島字竜谷 1983年)
 野田城龍淵の跡には、曹洞宗龍谷山法性寺がある。境内には、野田城の菅沼氏同様、土岐満貞を祖とする島田氏の墓所がある。寛永二年(1625)成重のとき設楽郡野田を領し、二千石の旗本となって陣屋を構えた。万治元年(1658)二代直次のとき、法性寺を創建。初代成重から十一代直行までの墓所(同氏領地、武蔵坂戸永源寺にも同様の墓所がある。)があり、同寺山門は野田城から移築したものという。

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旧網走監獄

2013-02-06 00:00:05 | 木のたてもの

(北海道網走市 国登録有形文化財)
 明治23年(1890)に開設された釧路集治監網走分監として開設されたのが始まりである。明治36年(1903)網走監獄と改称、大正11年(1922)網走刑務所となった。然し、明治42年(1909)山火事の延焼でほぼ全焼し、三年後に再建(現存の建物)されている。昭和59年(1984)施設が改築され、旧建物は現在地に移築された。
  (独立型独居房)
    
 他の囚人との意志疎通を断つために斜めに配置された格子

   修行僧の食事より豪華な囚人食
(高見張り)
       
 五翼放射状平屋官房中央物見台

     (漬物庫)
(休泊所)
          (裏門と哨舎)
 ニポポ人形
 (教誨堂)
 
(鏡橋)

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浜玉

2013-02-05 00:00:16 | 海道・みなと

(佐賀県唐津市)
 福岡県糸島市との境、唐津湾沿いの光景。浜玉とは、昭和31年(1956)浜崎町と玉島村が合併した際に、双方の頭文字をとった地名である。

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江刺 門岡

2013-02-04 00:00:20 | 孝霊天皇流族関係記事

(岩手県北上市稲瀬町・奥州市江刺区稲瀬)
 北上川の東には、河野氏一族にとってゆかりの地がある。
 鎌倉幕府の御家人となった河野通信が、承久の乱後に後鳥羽上皇側についたため、流罪となってこの地で没した。孫で僧となった一遍智真は、その通信の墳墓を訪れている。
 通信墳墓「聖塚」を管理する真言宗上台山安楽寺
               北上市街を望む

(関連記事:国見山極楽寺

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山背古道 平成二十四年

2013-02-03 00:00:46 | 街道・宿場町

 山城京都から大和奈良へ向かう途中の、やましろ古道の光景である。


(関連記事:大和街道多賀

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越中 岩瀬

2013-02-02 00:00:39 | 海道・みなと

(富山市岩瀬)
 北国街道の宿場と北前船の寄合港として栄えた岩瀬を訪れた。街道筋には廻船問屋の旧家が残されている。
 岩瀬運河
 国重文 森家

 富山港(旧東岩瀬港)
 富山港展望台

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青森へ

2013-02-01 00:00:39 | 漂い紀行

 初めての小牧空港から初めてのFDA機で初めての青森へ。訪れたときは遅い春を迎えた時節であった。
      

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