(北海道夕張市)
夕鉄バス本社バスターミナルから周辺を歩き、平和地区から日吉地区へと上がる。日吉の地名の由来は、地区の高所に鎮座する祠、滋賀県大津市坂本に本社のある日吉神社に由来する。 旧夕張製作所と北炭化成工業所コークス炉煙突
日吉地区炭住跡(幸福の黄色いハンカチひろば)
日吉から常盤を望む
夕張鉄道跡
ジェノヴァからインターシティでリグーリア海に沿って西に向かう。トレニタリア・ジェノヴァ・ヴェンティミリア線は、ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンチペ駅を出ると、単線、複線を繰り返しながら、海岸に沿って走る。殆どの列車は国境のヴェンティミリア止まりであるが、一部にフランスのニース直通の列車がある。
FS E.656電気機関車 1975年製
ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンチペ駅
サンレーモ付近
トレニタリア終点ヴェンティミリア駅
ヴェンティミリアとリグーリア海へ
Twilight Express乗車後一ヶ月のこの日、上野の美術館等を観覧の後、上野駅から13両編成の北斗星号に乗車する。上野駅13番ホームに発着するこの列車は、津軽海峡線開通の昭和63年に誕生し、最盛期には日に3往復をした寝台列車であったが、2015年をもって「ブルートレイン」と共に姿を消す見込みとなっている。 走行距離は上野から札幌までの1,214.7kmであり、その後の東北新幹線延伸により、並行在来線となった東北線の一部がIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道に移管され、北斗星もその第三セクター線を走る。私の席は最も連結部に近い9号車3番個室。奇数室は着席時、進行方向後ろ向きになると聞いていたが、車両変更により進行方向向きであった19:03上野駅を発車する。荒川を渡り、大宮を出ると快調に走り出す。車端部に近いため、延々震度2~3前後の揺れが16時間続くことになった。また、カードキー式の個室であったが、キャッシュカードやポイントカードをすぐに駄目にする特異体質の私であるため、磁気式のカードはすぐに不能となり、車掌に相談する羽目になった。
今は使用されない上野駅荷物ホーム
EF510-513 2010年製とオハネフ25-13 1974年製
グランシャリオ弁当
食堂車「グランシャリオ」
DD51機関車交換 函館駅
大沼
内浦湾
札幌駅到着
DD51-1102(1975年製)と1083(1974年製)の重連
(中山道三十九番 長野県木曽郡大桑村須原)
須原駅を降り、すぐ側を通る夕暮れの中山道を歩く。かつては木曽川岸に沿った宿場であったが、正徳五年(1715)木曽川の氾濫により宿場が流失し、享保二年(1717)現在の高所に移転している。
明治村に移築された清水医院
嘉慶年間木曽氏創建の臨済宗浄戒山定勝寺
重文 本堂 慶長三年
(稲生城 愛知県蒲郡市形原町東古城 市指定史跡 1990年5月16日)
三河湾稲生浜を見下ろす高台に、久安五年(1150)方原師光によって最初に城が築かれたという。長享年間(1487-89)松平与副(まつだいらともすけ:形原松平家祖)が旧形原城の跡地に改めて城を築いている。その後、四代松平家広のとき、桶狭間の戦いによって今川義元が討死して松平氏が今川氏から離反したことを理由に、義元の子氏真によって家広の妻子が城前の稲生浜で殺害されたという。また、天正九年(1581)五代家忠の子又七郎(後の六代家信)が北条氏直臣明鳥佐馬之助によって暗殺されようとした際、乳母のお妙が身代わりになったという言い伝えがある。その家信も天正十八年(1590)家康の関東移封によって上総五井に移り、形原城は廃城となった。
(東京都千代田区丸の内 国指定重要文化財)
大正3年(1914)に竣工した、鉄筋煉瓦造3階建の駅舎である。設計は建築家辰野金吾及び葛西萬司。元々は明治5年(1872)に開業した新橋駅と、明治12年(1879)に開業した上野駅を結ぶ新線に、明治29年(1896)皇居の正面にあたる地点に「中央停車場」を計画したことに始まる。大正3年(1914)東京駅開業時、新橋から延長された東海道線の起点となり、大正14年(1925)からは、上野から延伸された東北線の起点にもなっている。日本を代表する駅ながら、歴史は比較的新しい。昭和20年(1945)空襲により外壁、躯体を残し焼失。戦後、省略された形で修復されたが、開業100年を前に復原工事がなされ、平成24年に完成した。
(「辰野式」関連記事:開港記念横浜会館 旧日本生命保険九州支店 旧第一銀行京都支店跡 旧日本銀行京都出張所 旧唐津銀行 奈良ホテル 旧日本銀行小樽支店)
(北海道恵庭市南島松)
恵み野ニュータウンの北東に、平成2年に開館した、RC造一部2階建、延床面積1,047m2の歴史資料館である。昭和50年(1973)恵庭南高校の跡に開設された郷土資料室を起源とし、国指定重要文化財のカリンバ遺跡等の考古資料や開拓、生活用具に関する資料が展示されている。
この場所で火を起こすのは危険ではないだろうか
マッセイファーガソン(英)製35馬力トラクター(1964年-1997年 南島松生産組合)
本を見る、借りるのは、図書館だけではないという考えのようである。あらゆるところに、その場所に則した本があればよい。
(Genova イタリア共和国リグーリア州ジェノヴァ県ジェノヴァ市 レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度:世界文化遺産)
私が当初抱いていたこの街の印象は、母をたずねて三千里のマルコ少年の生まれた、のんびりとした港町かと思っていた。然し実際は、州都及び県都かつイタリア最大の港町で、古代はローマからのアエミリア・スカルーナ街道終点として、更に当時はローマ帝国の属国であったガリア・ナルボネンシス(現南仏ラングドック・プロヴァンス)に至るユリア・アウグスタ街道や、イタリア北東端アクイレイアに至るポストゥミア街道の始点としても栄えた。中世にはジェノヴァ共和国として繁栄し、クリストファー・コロンブスが生まれた地とされ、最盛期には人口70万人を有した北イタリア有数の都市であった。また、過去の経緯もあり様々な人種がみられ、懐の深いまちであることが感じられた。ポルタ・プリンチペ駅から海岸を通り、この日の宿に向かう。ジェノヴァでの宿は、今回の旅で私が唯一メンバーシップを持たないメリアというアメリカ系のホテルで、新市街を見下ろす高台の住宅地にある五つ星デザイナーズホテルであった。一泊120ユーロと他の五つ星ホテルに比べ格段に安いが、デザイナーズ&モダンを主体にしているためサービス性かつ実用性に欠け、私には不便に感じることが多数あった。部屋のテレビを見るとジェノヴァ洪水のニュースが。泥水に押し流された車や物、死者も出ているようであった。ミラノからジェノヴァに向かう列車から見えた増水した川は、このことを表しているのだと気づいた。次の日街並みを歩いていると、時折泥だらけの人たちを見かけた。手にはスコップを持つ人もおり、被害に遭った場所へのボランティアであった。この洪水の影響なのか、地下鉄も運休しており、街は静まり返っていた。
ジェノヴァ港
桟橋近くのサン・マルコ・アル・モーロ教会 1173年創建
サンタ・マリア・アッスンタ聖堂 ガレアッツォ・アレッシ設計 1552年創建
新市街地方面
セッテンブレ通り
サント・ステーファノ聖堂 13世紀(左)
アールヌーヴォー様式のバラッツォ・デッラ・ボルサ・ヴァローリ(旧証券取引所) 1912年
旧証券取引所とイタリア信用銀行
パラッツォ・デル・クレディト・イタリアーノ(旧イタリア信用銀行)1914年と ジェズ・エ・デイ・サンティ・アンブロージョ・エ・アンドレア教会
ジェズ・エ・デイ・サンティ・アンブロージョ・エ・アンドレア教会とドゥカーレ宮
フェッラーリ広場 1877年と噴水 1936年
ドゥカーレ宮 1783年再建及びパラッツォ・デッラ・ラジョーネ・リグーリア(旧リグーリア州裁判所) 1925年
ガリバルディ騎馬像とカルロフェリーチェ劇場
世界遺産パラッツォ・パラヴィチーニ・カンビャーゾ ベルナルディノ・カントーネ設計 1558年
ガリバルディ通り
世界遺産 旧パラッツォ・トゥルスィ宮(現ジェノヴァ市役所)1565年
マッダレーナ
バルビ通りとサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会
ヌンツィアータ広場
パラッツォ・バルビ・セナレガ ビアンコ・バルトロメオ設計 17世紀
パラッツォ・バルビ・ドゥラッツォ・レアーレ(旧バルビ家・ドゥラッツォ家王宮)
バルビ通りから下る坂