



(愛知県豊橋市石巻町南山 2007年5月22日)
石巻山の山頂近くに凹凸のある石灰岩がある。ダイダラボッチの足跡と呼ばれるもので、対岸の本宮山を跨ぎ、小便をしたら豊川(とよがわ)になったという昔話である。一方、本宮山には対岸の吉祥山を跨いで豊川で顔を洗ったヤマンバの昔話がある。
(愛知県豊橋市石巻町南山 2007年5月22日)
石灰岩の水蝕によって形成された岩穴である。昔、雨乞いのため村人が石巻山に登った際、蛇穴から白蛇が現れ社を建てるように告げた。村人が社を建てると岩の割れ目から水が流れ出したという。
(愛知県豊橋市石巻町南山 式内社 旧郷社 2007年5月22日)
標高358mの石巻山山上と麓に鎮座する石巻神社は、社伝によると孝安天皇年間(B.C.392-B.C.291)或いは推古天皇年間(593-628)に創建されたという。大己貴命(おおなむちのみこと)を祀り、平安時代の延喜式神名帳にも記載される。また、元禄十六年(1703)吉田藩主久世重之が社殿を造営している。
(愛知県豊橋市石巻町南山 2007年5月22日)
石巻山の中腹、標高230mの地点にある昭和42年(1967)開館の施設である。静岡県に跨がる弓張山地の地質や動植物を紹介している。平成4年(1992)からは豊橋市自然史博物館の附属施設となっている。
(関連記事:豊橋市自然史博物館)
(愛知県蒲郡市竹谷町今御堂 2007年4月30日)
社伝によると、久寿二年(1155)三河守に遷任された藤原俊成が竹谷(たけのや)の地を開拓し、翌年、加賀国白山比咩神社より海岸である雀ヶ森(字油井)に勧請したのが始まりという。明応八年(1499)大津波により社殿が流潰し、現在地に再建された。永禄四年(1561)竹谷松平氏祖信光と、慶長元年(1596)竹谷松平六代家清か社殿を造営している。