京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 鬼瓦

2010年06月28日 | 日々の暮らしの中で
                 

今日は朝から晴れ。各地の激しい雨の様子が伝えられているが、気温も高く昨夜来の雨上がりとあって蒸し暑さには閉口する。じとじとのせいかな…、私の心もいまひとつ晴れてくれない。

雨にぬれて銀ねずみ色に輝きを出す瓦葺の屋根は、鬱陶しい梅雨時に興を添える光景の一つに感じている。大きな本堂の甍の美しさを誇りたくなる気分にもなる。
昨年本堂の瓦の葺き替えを済ませ、今は大門の葺き替え工事に入っているが、土台の工事がまだ途中、この季節だ、連日ブルーシートで覆った状態が続いている。
             

屋根を飾った鬼瓦などが境内西隅に下ろしてある。下から見上げるものを上から見下ろす。
何をすることもなく、なぜか今日はこの鬼瓦と対面。鬼のこの相貌、全く人間と無関係な存在ではなく、人間的な顔かたちを持っていて、人間に対して大きな力を持ってきている。
今、お面や装飾品としても存在している鬼。その魔性や霊力は、人間の情念の塊と無縁ではないと言われることからして、どこか愛すべき存在なのかも知れない。
じっと見ていると、この形相の奥からにじみあがってくる優しい表情…、あの人この人の面影に重なるような??

粘土など自然の素材から作られる瓦、ずっしりと見事な重量感がある。今、なかなか同質のものを作り直すだけの手がないとも聞く。いっぽうで、阪神大震災で損害を受けた奈良の中宮寺表御殿を京の宮大工が屋根瓦を10分の1の重さにして耐震性を強化したと聞いている。
技術的な進歩を讃えるべきなのだろう。

                     

「重さ」が負となり、下ろされたままのこれらの飾り物が命を吹き返すことはない。
今よりずっと軽いものが屋根を飾ることになる。彼らには展示品としての定めが待っている。

実のところ、本堂も然り。
私たちは「ちゃちになった…」と感じている
コメント (10)
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