京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「私は鏡だ」

2010年06月06日 | 日々の暮らしの中で
ある講義の折、自身の学問的解釈を示されるでもなく、華やかな交友録を披露したいのか、肩書きを添えて〇〇さんの説は― と、次々に繰り返していく「センセイ」がいらした。しかもパソコンで、次々と画面をクリックしていくだけだ。肝心の自説は伺えない。まことに気分が悪い。けばけばしい虚栄心で着飾った女助教授さんだった…。
日常の生活なら他人事、近づかなければいい?し、勝手にしやがれ、だけど。

他人には見せたくないものを心のうちに抱え込んで生きている。一方では、そうしたものをストレートにあらわにぶつけられる場合もある。

いずれも人の姿を通して自分を見つめなおすことになる。そして、自分に潜む虚栄心、弱さ、嫉妬心、邪心をほじくり返されて至らなさを思い知るわけだ。そこからが修養なのか。
人こそ鏡。人は鏡だ。
気持ちさえあれば自分を豊かにしていく機会には恵まれていると言うことになる。

「私は鏡だ」「おまえが邪心を抱けば、 ………… 。」
  と、北大路欣也演じる、島の王が息子に言った。(『五右衛門ロック』で)
王は、「……」なんて言ったのだろう。聞き落としてしまったのだ。

母を殺した父の命をねらう息子(森山未来)に、「義ではない、情がなければ人の道は歩めない」、そうも言っていたと記憶している。

今日は「芒種」。   
   芒種とふこころに播かん種子もがな      野村登四郎

おのれの心に撒く種がほしいものだといっている。
私、何を播こうか。

     (写真:緑に覆われた建物は文化財。中味は…よく知らない)
コメント (10)
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