京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 うそやかに・・・??

2010年06月02日 | 日々の暮らしの中で
 俳句をやるには自分の俳号を作れ。
 俳号を名乗ることによって、別人格の目で物事にふれることができる。

と、いうようなことが高名な俳人の文章に書かれていた ―
こう記す筆者が属している句会での俳号は「徳三郎」。落語に出てくる二枚目の若旦那だそうだ。永六輔さんが「六丁目」、小沢昭一さんは「変哲」だと。

真実にちょっと手を加えるほうが面白いというわが師匠の勧めもある。言葉の力の応用として、うまく嘘をつく能力を学べというわけだ。

かつて“ペンネーム”なるものを用いようとしたことがあった。
 文香  みたまま~、ストレートすぎて第一候補だったが、ボツ。
 妙香 「妙」・不思議なまでに優れていること。上手な様。・・・
 弥香 「弥」・いよいよ。ますます。行き渡る。終わる。つくろう。・・・
      「弥陀」・阿弥陀仏の略。 「弥生」・植物がいっそう生い茂る

どれもいいなと思いつつ、「弥香」。「弥」は母の名前の一文字でもあったし…。
そこに、「弥陀」の語はいいんじゃないの?
要するに、なぜかいつも浮かんでくるのが戒名ばかり、とは笑える話だ。
そして似非っぽく、「宇曽弥香に…」で、宇曽弥香が出来上がったわけ。
「…やか」と接尾語をつけて、いかにもウソっぽく、はなやかに?デビュー。

ただ新聞投稿などは特にそうだが、本名でないと認められない場合は多い。
お披露目の機会は減ってくるのだが。
何にも書くことがなさそうでも、鉛筆を持てばおのずと書ける…
うそやかに…、 ウソかホンマかわからんような。これまたウソかもしれないが。

別人格で遊ぶ、こりゃあ、楽しく便利な“大人のどーらく”になる、でしょ。
大いなる背伸びも許してもらえそう。
もう少しましなネーミングを真剣に考えようかな。
コメント (6)
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