
「牟礼慶子」という名前が目にとまった。あの?という思いでみたのは訃報の記事だ。たった一つだけ知っている詩がある。「見えない季節」と題された、茨木のり子さんの著書の中で出会ったものだった。
「できるなら / 日々のくらさを 土の中のくらさに / 似せてはいけないでしょうか」、と始まる。
「地上は今 / ひどく形而上学的な季節 / 花も紅葉もぬぎすてた / 風景の枯淡をよしとする思想もありますが / 」 と。さらに続く。
「ともあれ くらい土の中では / やがて来る華麗な祝祭のために / 数かぎりないものたちが生きているのです / その人間の知恵は / 触れればくずれるチューリップの青い芽を / まだ見えないうちにさえ / 春だとも未来だともよぶことができるのです」(詩集『魂の領分』収)
【長い模索とあちらにぶつかりこちらにぶつかりしながら自分をつかみとってゆくのが普通の青春期だ。冬の間には、土の中でどんなドラマが進行していたのか。作者は地下の世界でひしめいている暗さ、豊かさの予兆のほうに信頼をおいている。
中学校教師を長く務めた作者が、生徒たちが抱える「くらさ」を感じ取り、暗さがはらむ未来にそっと手を添えているようなところに惹かれる】と読まれる茨木のり子さんだった。
そして、「自分をつかみ直そうとする勇気ある人は、大人になってからも何度でも、こういう暗さに耐えることを辞しません」と。
今年度限りで大学を退学することを決めた若者がいる。おばあちゃんが亡くなったので親が学費を払えなくなった、と話す。急な出来事で、当然就職先が決まっているわけではない。学生生活もようやく一年が経とうとする矢先のこと、厳しい実社会に否応なく押し出されていく。
この若者が、どうか「自分をつかみ直そうとする勇気ある人」であってほしいと思うばかりだ。
首をすくめるようにして、冬タンポポが道路沿いの斜面に咲いていた。