京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「御山に入る」

2012年02月19日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
稲葉根王子から清姫の墓に至る第10回目のコースを終えたのは昨年7月2日だった。11回目を目前にした9月、台風12号の“やまない雨”が紀伊半島に大災害をもたらした。田辺から先、熊野本宮大社への国道311号線にも土砂災害が起き、数か所で通行止めになった。あれから5か月を経たが、その時の爪痕はいまだに残されたままだった。

2月18日は雪の朝だった。
参加者は21名。京都駅八条口を7時50分出発、予定通りほぼ3時間で清姫の墓に到着した。

そばを流れる富田川は、水垢離をして現世の不浄を清める神聖な川とされていた。大きな石が流域に転がり、荒れた様子が感じられる。氾濫したという。そして、ここ清姫の墓から滝尻王子まで約2.3kmは、バスでの通過に変更された。途中、道路わきに大崩落の跡が残っているからだった。高さもある斜面には巨岩がごろごろ姿を見せており、今にも落ちてきそうな恐ろしさだった。


まずは昼食。その後滝尻王子を出発した。熊野の聖域の入り口「中辺路(なかへち)」、「へち」とは縁-へり(辺)・端 といった意味で、山のへちを通っていく道といった意味になる。
 
 
熊野九十九王子の中で別格とされた格式ある五体王子の一つだった滝尻王子。社殿は難を逃れたが、ここにも傍を流れる富田川の水は押し寄せた。社殿の裏手からいよいよスタート…。



1km以上続く石段や木の根の道を杖をつき、息を喘ぎあえぎ登っていく。語り部さんの「六根清浄」に続き「懺悔(さんげ)さんげ~」を唱えながら進む。ときどき竹で作った手製の“ホラ貝”の音が山に響く。これは、獣たちに人間が近づいていることを教えてもいるのだそうな。

とにかく登った。乳岩・不寝(ねず)王子を超え、剣ノ山、飯盛(めしもり)山の展望台へ。
最後にもう一度、厳しい上り道が…。
高原(たかはら)の集落を遠望し、朝6時頃から降り出したという雪が社殿の屋根に残るゴールの高原熊野神社を目指す。時折白いものが舞うのは、この地にしては珍しいと言える一日だったようだ。


「文化は山の上から来た」と。都人が行き来する熊野古道も、土地の人々にとっては最短で一番便利な生活道路でもあったという。山の上にあった雅な文化の香りは、地元の生活にも運び込まれていたのだろう。
今後今日以上のきつい上りはない、そう言い切る語り部さんだった。でも次回は距離が長いから…。
コメント (8)
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