私は何事も控えめだ。人の中では決して出しゃばらない。これはなかなかの美徳だ(?)。と、そう自惚れている。そんなことを自ら言うこと自体が怪しいわけだ。ほら見たことか。私は、そうであっても埋もれぬようにと様子を窺える程よい位置で漂ってもいる。やはり、なかなか計算高い。謙遜で終わっておけばよいものを、だろうが、ときどき「自惚れの快感の持つ誘惑」に負けてしまう。
文章を書くことは、まさしく「Show and Tell」だ。世に送り出せば一人歩きをし出す。その前には当然、文章の体裁も整える。恥ずかしいものだからと謙遜の美徳でしまいこめば別だが、書く以上は第三者に読んでもらいたいと思う。ここに相応の自惚れがある。
仲間内で、「出版祝賀会」などという言葉が聞こえてきた。誰が言い出したのやら、たいそうな言い方だが、気持ちを代弁している意味では心地よい響きに酔いたいものだ。はたと冷静になれば、自惚れなど吹き飛ばされてしまう。が、こうしたささやかな自惚れにすがって新たな欲を見出し、励みにするのではないか。まあ、仲間内の事だ…。
かさ高く積まれた本の山、幼いころの図書も、最近の小説、新聞でも、読んで得た知識や知恵は「あなたの知層になる」と言っている。
多読もいい。だが、座右に「繰り返し読む百冊の本を持っていることに満足している」と語るオダサクこと織田作之助の言葉も気になる。
読みかけ中の本があるというのに、先に積み上げてしまった。地層を削ってでも書いていきたいと思う。かけらほどの自惚れでもあるうちは…。