京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

台所は畑に相談して

2022年11月15日 | 映画・観劇

浄土真宗の「妙好人」の関連で水上勉の全集を読んだとき、収められていた『土を喰(くら)う日々』をついでにという程度で目を通したことがあった。
ずいぶん前のことで、残るメモ書きもわずか。映画の原案となって、このカバーがかかった文庫本が出ているのを知っていたので、映画を見たあと書店に立ち寄った。写真も多く、文字も大きく明るくスッキリ、別物みたいで親しく読める。


九つから禅寺寺院の庫裡で暮らして、精進料理を覚えた水上勉さん。
京の相国寺の瑞春院で、五月がくると和尚さんと筍掘りをした。和尚は「喰いごろ」を教え、「肥やしになるでな」を口癖に、皮はその場でむくように言った。そんなシーンの回想もあった。

料理といっても材料が豊富にあるわけではない。何もない台所から絞り出すには、畑と相談してからだった。「精進料理とは、土を喰うものだと思った」のは、そのせいだと書いている。
「旬を喰うことはつまり土を喰うことだろう。土にいま出ている菜だということで精進は生々してくる。台所が、典座職(禅寺での賄役の呼称)なる人によって土と結びついていなければならぬ」。こういうことが老師の教えだったとも綴られる。

千年のベストセラ―、道元禅師の『典座(てんぞ)教典』は折に触れ引かれる。

 

読んでいると映画のシーンが思い出される。
大きな窓から眺める四季の移り変わり。ランプの灯りでの読み書き。食事の支度に畑に向かう。洗って調理して…。ツトムさんの一つ一つの所作に漂う品の良さ。妻亡きあと、親しくなった女性編集者との別れも心に沁みる。エンディングに流れた沢田研二が歌う歌の歌詞とともに…。
豊かな時間の流れ、丁寧に生きる日々、「調理の時間は、心をつくしてつくる時間」など、改めて考えた。

七輪に餅焼き網を置いて、くわいを焼く。皮などむかず、じっくり黒色化してくる頃あいを見てころがす。おせちには含め煮にしているくわいだが、氏のレパートリーの一つをぜひ試してみよう。

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