残る葉も残らず散れや梅もどき 凡兆
ウメモドキ(梅擬き)
モドキ-「擬き(もどき)」には「真似、模倣」という意味がある。 他の語のうしろに付けば、「。。。まがい」と意味を添える。
だが、動詞で「擬く(もどく)」と使えば、「抗う、批評する、非難する」といった意味も持ち合わせる。
本居宣長は本歌取りで多くの歌を作った。オリジナリティを捨ててひたすら真似ることで、やがて精神は記紀に近づき、最終的に発見したのが「もののあはれ」だった。
—と昨年、山折哲夫氏の講演で聞いたことを思い出した。禅僧・仙崖和尚の「もどき」の手法に発展していく中でのお話だった。
「もどき」の手法は、決して批判されるだけのものではない。
真似から入る。それは「型」を知るにも通じるか。
「型」を知らない限り、独自の面白いものはなかなか生み出しにくいと思う、と三浦しをんさんが語られていた。
古典をしっかり身に付けた上で、新たな創作歌舞伎も生まれていく。先日の勘九郎さんのお話にもあった。
真似て真似て、真似て、一代真似し通したら自分のものになる、とはどなたかがお話だったな…。
似て非なるもの、これがなんとも難しい。
秋から冬に、真っ赤に色づくウメモドキの赤い実が目に留まる。ふと、「がんもどき」を思い出したことで、こんな流れになってしまった…。
真似ることは、むしろ進んでするべきことですね。
まずは真似からはいる。ということは
大事なことかもしれません。
俳句などはたくさんの真似がありますし、歌の世界
でも往年のフォークシンガーなどの曲は、ほとんど
ビートルズやその他もろもろに刺激を受けて
いますね。
お付き合いいただいてしまいましたね。
好きな作家さんの文章をすっかり書き写してみるといい、と聞くこともあります。
俳句はそうですね、語句を入れ替えていいと。
学ぶことの始めになるんでしょうか。