山路来て出会った桜。道路わきから降りる道があり、降りた先の前には川が流れる。遠く見上げる位置だが歩いていないと目に入らない場所だから、おそらく多くの人目には触れないで咲いている。長閑さ、自然の限りないやさしさのようなものを感じながら飽くことなく眺めて過ごした。背側にも小さいが満開の木があった。
近くにはトラクターだかが置いてある。古くからヤマザクラが咲くと農作業を始めると言われてきたし、開花は今でもそんな合図になるのだろうか。
観光名所とは異なる趣がなんともいい。小さなことに心動かして日々を暮らすことを忘れたくないものだと思う。
あれを見よ深山の桜咲きにけり まごころ尽くせ人知らずとも
箱根の関所にあった歌碑だと松原泰道師に教えられた。
手元にあるものだから思いついて永井荷風の日記『断腸亭日乗』を開いてみた。大正7年3月26日が亡き父の誕生日にあたり、この時季、東と西と住む場所は異なるが興味本位で探ってみると、
大正7年3月28日。「水仙瑞香連翹尽く花ひらく。春蘭の花香ばしく桃花灼然たり。芍薬の芽地を抜くこと二、三寸なり」と美しい描写もあれば、
大正8年3月25日。「市中処処の桜花既に開くといふ」
こんな記述もある。
大正10年4月9日。「昨日当たりより花満開となれり。近隣の児童群れ集りて、あるいは石を投げ、あるいは竹竿にて枝を折り取らむとす。日本の子供は犬を見れば撲ち、花を見れば折らざれば已まず。獰悪山猿の如し」
春先、荷風はよく風邪を引き、「臥病」とか「病床」にあることが知れる。
賀茂川べりにソメイヨシノがつくるトンネルに花見に訪れる頃は、あっちでもこっちでも饗宴の春爛漫かな。