白川橋 → 砥山発電所
およそ1年ぶりの雪道トレッキングはスノーシューではなく、冬靴を履いてのトレッキングとなった。しかし、久しぶりのトレッキングに興奮し私は勇躍白川橋からスタートした。天候にも恵まれ私は心地よい雪道トレッキングを楽しんだ。
白川橋から豊平川沿いからは一度離れるが、「簾舞中央線」という道路が豊平川に付かず離れず走っている。私はそこを歩くことにした。
白川橋からいくらも行かないところにオレンジ色をした建屋が見え、その下に豊平川を咳き止めるような形の構造物が目に入った。後からいくら調べてもその名、その働きを見つけることができなかった。そこから下流の豊平川が複雑に折れ曲がっているために、水流を調節するためのダムなのだろうか?
※ 白川橋から直ぐ上流のところに写真のようなダムが見えたが、その名、その役目は分からなかった。
そこからしばらく行くと、「簾舞中央線」から分かれるように「石山線」が分岐している。その分岐するところに「御料橋」といういかにも由緒ありそうな橋が架かっている。この橋から下流を見ると川幅はかなり細くなってきたこともあってか、かなりの部分が雪に覆われていた。
※ 石山線に分岐するために豊平川に架かっている「御料橋」です。
※ 御料橋から下流を見たところです。
一方、上流を見ると直ぐ近くにコンクリート製の造営物が目に入ったが、「藻岩ダム」である。「藻岩ダム」はここから10キロも市内に近づいた藻岩発電所に水を供給しているそうである。
※ こちらは御料橋から上流を見ると見えてくる「藻岩ダム」です。
心地良く晴れ上がった空のもと、雪道トレッキングを楽しんでいたら子どもたちの賑やかな声が聞こえてきた。道路の直ぐ脇に簾舞小学校が建っていた。私にとっては懐かしい子どもたちの歓声である。
※ 林の向こうに見える建物は札幌市立簾舞小学校です。
道路名がいつの間にか「砥山 簾舞川沿西線」に変わっていたが、道路は豊平川を跨ぐ「砥山橋」に至る。
※ またまた豊平川をまたぐ「砥山橋」です。
「砥山橋」から豊平川を見ると、もうすっかり雪に覆われていた。ところが遠くを見ると雪に覆われていないとこがあり、脇から勢いよく水が注ぎこまれていた。
どうやらすぐ近くにある北電の「砥山発電所」で使用された水が川に注ぎ込まれているようだった。
※ 砥山橋から下流を見たところです。手前は雪を被っているのに、写真の向こうが泡立っています。
橋の上から山側を見ると、山の斜面を利用して発電所の水路が見えた。
ここまでスノーシューを履くこともなかったけれど、豊平川をそれなりに観察できたのでそれで良しとしよう。
※ 道路際の斜面に建つ「砥山発電所」の施設です。
《トレッキング実施日 ‘12/02/16》
再開編 プロローグ
昨年からの積み残しで宿願だった「豊平川河畔を遡る」シリーズをこのほどようやく再開した。昨年悪戦苦闘しながら完遂できなかった私の個人的なプロジェクトであるが、ようやく重い腰を上げた。
道なきところに踏み出せるスノーシューで何かをしてみたい。さりとて私にとって不案内な山野は危険が伴う。そう考えたときに、「そうだ河原を歩こう!」というアイデアが閃いた。冬だからこそ近づける河原を辿りながら、川を遡ろう!私の小さな冒険は豊平川の上流を目ざした。どこまで行けるのか、事前踏査をまったくしていないのだから皆目見当が付かない。何日かに分けて無理なく行けるところまではと思っているのだが…。
こんな書き出して昨年無謀にも挑んだプロジェクトだったが、「せめて定山渓までは…」との思いは、その困難さと時期的な問題もあり、昨年は藤野の白川橋のところでストップしてしまっていた。
「なんとかこのプロジェクトを完成させなくては…」という思いは強いものの、なかなか踏み出せないでいた。それは昨年の苦闘を思い起こすとき、私の中で知らず知らずに“老い”を意識していたのかもしれない。
そのうち冬も半ばを過ぎ、春の足音が遠くに聞こえる季節となった。私の中で焦りのようなものも芽生え始めていた。
※ 昨年の写真を3枚ほど載せます。これは石狩川との合流地点、つまり豊平川の河口地点ということになります。
昨2月16日、特に予定はなかったのだが朝から風混じりの雪が降っている。「これではだめだなぁ…」と思っていたのだが、9時過ぎになって晴れ間が見えてきた。時間が遅れたのは必至だが「やろう!」と重い腰を上げることにした。
それから準備に時間がかかり、家を出たときは10時過ぎ、現地の白川橋の再開スタート地点に立ったときには11時を回っていた。
※ 昨年の前半はこうした雪原をスノーシューで歩くコースだったのですが…。
ところで昨年は豊平川河口から藤野の白川橋まで、そのコースのほとんどをスノーシューを履いてできるかぎり河畔を歩いた。(スノーシューを脱いだのはごく一部の区間のみである)しかし、すでに豊平川上流の河畔の形状はスノーシューを用いて河畔を歩くような状態ではなくなっていた。川面まで崖が迫っていたり、灌木が密生したり、堤防もすでに消えていた。
そこで白川橋から上流は基本的には豊平川に沿った道路を歩きながら、時おり可能なところで豊平川河畔に近づきながら定山渓を目ざすことにした。
※ 昨年の後半は写真のように川面が迫る中、こうした岩場を恐る恐る前進するものとなりました。
私は昨年のゴール地点の白川橋の袂に立ち、写真を一枚撮り本日のゴール地点に想定した小金湯温泉を目ざしてスタートした。
※ そして今年、昨年のゴール地点の白川橋から再出発したのでした。
具体的なレポートは明日以降として、本日のレポートの最後は昨年の様子を知っていただくため、昨年レポートした9回のレポートにアクセスしていただく方法を提示することにします。
№1 №2 №3 №4 №5 №6 №7 №8 №9
それぞれの回をクリックしていただくと昨年のレポートに到達することができます。
石山橋 → 白川橋
恐怖の岩場渡りを終えホッとしたものの、気温が上がった午後の雪はますます湿り気を帯び、一歩一歩歩きにくいことこの上うえありません。その上、本日の最終盤にまたまたピンチが訪れました。
わずか10分間の昼食休憩をとっただけで再びスタートしました。(冬のアウトドアでの食事はゆっくりと楽しむという気持ちにはなれません。)
「石山橋」を出て直ぐに「オカバルシ川」の流入口があるはずと思い写真に撮ったところは、どうやらそうではなく豊平川がふた手に分かれていたのが合流したところの写真のようです。
※ 川の中に大きな中州があって、写真上方からの流れも、
右側からの流れも豊平川の流れです。
雪はグサグサの上、潅木が行く手を遮ります。
やむをえず堤防上に避難しました。しかし、そこも雪の状態は同じです。苦労しながら前進しました。
※ 川の近くはこれまでと変わらずご欄のような潅木地帯
で前へ進むのが困難でした。
※ 堤防上は立木などはありませんが、腐れた雪が重かったです。
途中、何度か川面の様子を確認するために川岸まで近づくのですが、潅木に邪魔されなかなか近づけません。
そんなことを繰り返していると、以前に夏に渡ったことのある人道橋が見えてきました。マップにも載っていないその橋の名は「しらいかわはし」と橋名板が貼り付けられていました。
※ 近くの住民が重宝しているらしい釣り橋の「しらいかわはし」です。
その「しらいかわはし」を通過すると、もう堤防そのものがありません。
この辺りは川岸ぎりぎりまでリサイクル業者(産廃業者?)の土地となっていて足を踏み入れることができず、しかたなくリサイクル業者が立ち並ぶ通りを歩くはめになってしまいました。
※ 川の側は通れず、産廃業者の団地(?)前を通り過ぎました。
そこを過ぎて道路から川原に入ろうとしたのですが、この辺りは自然の河岸段丘が2段になって大きく発達しています。崖が大きく急なためとても川面まで降りて行く気にはなれず、無理して1段だけ降りて2段目の河岸段丘の上をトレッキングすることにしました。
途中名もなき川が行く手を遮断しています。なんとか渡れるところを探して進みます。そうしているうちに河岸段丘をもう1段降りてしまったようです。川面に近づいてみますが川幅には大きな変化はないようです。
※ ご覧のように名もなき沢から小さな流れが流入しています。
そうこうしてかなり目的地の「白川橋」に近づいてきたと思われたところで、またまた崖が川面まで迫っているところに出くわしました。逃げ場はありません。
開き直った私は再びスノーシューを脱ぎ、前回同様に崖の淵を辿り、崖の淵がないところは川の中に入ってでも前へ進みました。
※ またまた川と崖に挟まれたところに出ました。今度は距離的には短かったです。
ようやく崖の地帯をやりすごし、川原に出たのですが今度はまた名もなき川が川原を横切っています。辺りにその川を渡れそうなところもありません。すると川を跨ぐように倒れている1本の木を見つけました。そこを渡るしかありません。ストックを支えにしながらなんとかそこを乗り越えました。
しかし、それが限界でした。「白川橋」には川原からは近づけません。
※ これまたピンチでした。 この細い木の上をなんとか渡りました。
私は再び崖をよじ登り、道路へ出ることにしました。
ようやくの思いで2段の崖をよじ登り、道路へ出ることができました。
※ 一段目の崖をよじ登ったところ札幌市の白川浄水場が見えました。
道路を迂回し、「白川橋」の上に立ったのは14時40分でした。
結局、この橋も下から写真を撮ることにはならず横からの写真となりました。
「白川橋」を第3日目のゴールとすることにしました。
※ 「白川橋」を渡り終えたところで本日の最後の一枚を撮りました。
《トレッキング実施日 ‘11/02/17》
私はこの「冬の豊平川を遡る」を構想したとき、事前調査も十分しないまま「できれば定山渓あたりまで遡りたいなぁ」と考えていました。
その定山渓はまだまだはるか遠方です。それなのに川岸(河畔)の状況はもう私の前進を許してくれるような状況ではありません。これまでと同じ方法で遡ることは到底無理だと判断しました。さて、どうするか?
このまま中途半端な形でこのシリーズを閉じることは何としても避けたい思いがあります。
そこで私の出した結論は、「白川橋より上流は、川に沿った道路を遡り、道路と川が近づいたところでスノーシューに切り替えて、川の様子をところどころで観察しながら定山渓を目ざそう!」と遡る方法を切り替えることにしました。
私自身のスケジュールを睨みながら、なんとか今月中に完成したいと思っています。
(このシリーズ、それまでしばし中断します。)
石山大橋 → 石山橋
私はこの間(石山大橋→石山橋)のルート選定を間違えたことによって大ピンチに陥ってしまいました。この後私は恐怖(少しオーバーかな?)の1時間弱を体験することになってしまいました。
私は「石山大橋」で小休止を取った後、再スタートをして今までと同じように左岸を遡り始めました。
スタートして直ぐに硬石山から採取した岩石を砕く採石場がありましたが冬期間のためが操業はしていないようでした。
対岸には「穴の川」の流入口が見えます。(石山大橋の前にも穴の川の流入口がありましたが、どちらも穴の川が豊平川に注いでいる流入口です)
※ 硬石山の裾野には岩石の砕石場が何社か工場を並べていました。
採石場の敷地を過ぎると広い川原が広がります。その雪原を悠々と歩いている北キツネを見つけました。比較的距離が離れていたためスノーシューが雪を噛む音も聞こえないようです。私は近づいてから写真を撮ろうと思い、かなり近づいたのですがやはり気付かれて逃げられてしまいました。それでも逃げる瞬間を何とかカメラに収めることができました。
※ 少しピンボケ気味ですが、激安デジカメでは上出来でしょう。
ここまで来て、私はルート選定を誤ったことに初めて気付きました!!
というのは、私がルートを取った左岸はこの先が川面まで崖が迫っていることをこの時点で初めて思い出したのです。思い出したというのは、夏に対岸を歩いたとき、向こう岸は崖がぎりぎりまで迫っていて「とても近寄れないなぁ」と見ていたのです。
私は引き返そうかどうか迷いました。しかし「石山大橋」からすでにかなり進んでいます。一歩一歩がぬかるむ雪の上を引き返すことにも躊躇してしまいました。
私のいるところから「水道橋」が見えます。「もしかしてその橋を渡れるかもしれないのでそこまで行こう」と歩みを進めました。
※ この辺りで左岸にルートを取ったことの誤りに気付きました。
「水道橋」に到達してみると、どうやら一般人は渡ることができないように柵で橋には入れないようになっています。
「さあ、どうしょう?」と思案したのですが、名案は浮かびません。
そこで私の出した結論は?
「現在は渇水期だから、もしかしたら崖の下の方に人が通れるくらいのところがあるかもしれない。行けるところまで行ってみよう!そしてダメならそこから引き返そう」と決心しました。
しかし、この決心はけっして褒められる決心ではありません。安全第一を考えるなら、絶対にその時点で引き返すのが正解でしよう。私は冒険家でもなんでもなく、単に趣味でスノーシューを楽しんでいるだけなのだから…。
※ ご覧のとおり「水道橋」は人が渡るようにはなっておりません。
私はスノーシューを脱ぎ、スノーシューをザックに括り付け、岩場の崩れたところを辿りながら慎重に歩を進めました。その姿を誰かが見ていたら、きっと崖にへばりつくように恐る恐る歩を進めているように見えたでしょう。
中には足場がなく、川底が浅いのを確認して川の中に入りながら歩を進めたところもありました。
次から次へと襲ってくる難しい岩場の中から比較的安全なところを見つけ慎重に、慎重に歩を進めました。
その岩場の様子を写真でご覧いただければ、私がいかに無謀なことをやってしまったかお分かりいただけるかもしれません。
※ 以下のような崖の縁を恐る恐る進むこと1時間弱。
今振り返っても冷汗ものです。
冷汗をかきながらもなんとか目標の「石山橋」が見えてきました。
しかし、「石山橋」を目前にして、橋の下へ進むにはもうどこにも手がかりがありません。右手はかなりの崖だったのですが、なんとか崖の上に這い登りました。
結局、「石山橋」を下から眺めることはできず、遠くからの写真となってしまいました。
※ 「石山橋」の橋脚にはまったく近づけず、こんな遠くから
の一枚になってしまいました。
この時、12時20分。
なんとか難所を切り抜け、ホッとして昼食にしました。
別に左岸を遡ることにこだわったわけではないのですが、事前にもっと慎重に川岸の様子を読むべきだったと反省しています。 (続きは№8で)
《トレッキング実施日 ‘11/02/17》
五輪大橋 → 石山大橋
この日は気温が高く、雪はいわゆる腐れ雪状態で重く、スノーシューで踏み込むと3~40Cmも埋まってしまうほどスノーシュートレッキングには難しい条件だったが、私は勇躍スタートした。
2月17日(木)「冬の豊平川を遡る」シリーズ第3日目を実施しました。
朝7時30分に家を出て、地下鉄、定山渓バスを乗り継いで、第2日目のゴール地点の「五輪大橋」に着いたのは8時30分でした。空は曇り空、しかし気温はかなり高い。
※ 朝の「五輪大橋」です。通勤のためのバスが次々と通ります。
スタートして直ぐ雪の堆積場があったが、避けて通ることができ川原を順調に進むことができました。豊平川の川幅はそれほど変わってはいない様子です。
しばらく進むと対岸にスキーのジャンプ台のようなものが見えてきました。対岸は真駒内公園です。どうやら毎年真駒内スタジアムで開催されているスノーボートの大会のためのジャンプ台を造成しているようでした。(大会名「トヨタビッグエアー」は2月26日開催予定だそうです)
※ 右側が雪堆積場ですが、左側に通れるスペースがありました。
※ 「五輪大橋」スタート直後の豊平川の流れです。
※ 対岸の真駒内公園にはジャンプ台が設営されていました。
川原の潅木地帯をトレッキングしていると、潅木の枝に何やら容器が5個ほどぶら下がっていました。昆虫か何かをトラップする装置のようです。中には特に何も入っていないようでした。
ここでもねこやなぎの芽がやがてやってくる春を待って発芽の準備をしているようでした。
※ おそらく虫を捕まえるための装置でしょう。
※ ご覧のようにネコヤナギの芽が…。その他の木の芽もたくさん見ることができました。
腐れて重い雪に悩まされながらも潅木地帯を縫ってトレッキングしていたのですが、「藻南橋」を前についに行く先を遮られてしまいました。
しかたなく回り道をして藻南公園の中を歩くことになってしまいました。しかし、結果としては簡単に渡ることのできない小川が流入したりしていて回り道をしたことは正解でした。
※ この状態ではもう先へは進めません。
※ 「藻南公園」の中を進むことになってしまいました。
藻南橋に至る前に有名な「おいらん淵」があります。この「おいらん淵」については以前から少し疑問のところがありました。ちょっと本題から離れるのですがこだわってみようと思います。「おいらん淵」とは、その昔薄野遊郭の花魁がその身を儚んで崖の上から身を投じたとされるところです。
しかし、以前訪れたときに「おいらん淵」と称されるところが意外に高さがないので「これで命を捨てることができたのだろうか?」と疑問を感じました。場所が違うのかと近くの住民に聞いたところ「確かにここが『おいらん淵』です」断言されました。
私から見ると、対岸の崖の方がはるかに何倍も高さがあるのでそちらではないか、と今も思うところがあるのですが、あるいは長い年月の間に川そのものや、周りの地形が変わってしまったのかもしれません。そのあたりは“謎”としておくのがいいのでしょう。
※ こちらが「おいらん淵」の対岸にそびえる高い崖です。
※ そしてこちらが伝えられる「おいらん淵」だというのですが…。
スタートから1時間半、「藻南橋」に着きました。気温が高く背中は汗にまみれています。私の服装はというと、下着とスキー用のアンダーウェア、それにトレッキング用のアウターの3枚のみですが、それでも汗をかいてしまいます。
※ 苦労しながら辿り着いた「藻南橋」です。
小休止をして出発すると直ぐに対岸に「穴の川」の流入口が見えました。
「藻南橋」からも川岸を伝ってトレッキングしていたのですが、あまりにも雪に埋まるために悲鳴を上げ、堤防上に避難しました。堤防上にはクロカンスキーの跡があり、その上を歩くかぎりかなり楽にトレッキングすることができました。
※ 写真では分かりづらいですが、雪上には2本のスキーの
跡がずっと付いています。
それでも思い直して、時々川原に近づくと川の中に小島のようなものがたくさんできています。これは川の中に残った比較的大きな石に雪が積もっている状態のようです。川底がかなり浅くなっていることを表しているようです。
※ これより上流では写真のような大きな石に雪が積もった
光景をたくさん目にしました。
再び川原から堤防に上がろうとしたとき、雪堆積場で働いていた若い方が私のスノーシューを見て「何それ?スキーと違うんだ」と言った後、さらに「健康の良さそう」と声をかけられたので、「ええ、まあ…」などと曖昧な返事をしてしまいました。
そうこうするうちに10時55分、本日の第二の橋「石山大橋」に到達しました。
「五輪大橋」→「藻南大橋」間 約90分
「藻南大橋」→「石山大橋」間 約50分
どちらも距離的には大きな違いがないのに、これほどの差が出た原因は前半がほとんど川原の雪の中を行ったのに対して、後半は堤防上のスキーの跡を行ったことがその原因と考えられます。
※ 結局、下から仰ぎ見るような橋の写真はこの「石山大橋」
が最後になりました。
少し長い№7のレポートなりましたが、私はこの後大きな失敗を犯してしまいます。
それは明日のレポートで…。
《トレッキング実施日 ‘11/02/17》
南大橋 → 五輪大橋
コースは都心からやや離れ、橋が出現する密度もやや間隔が空いてきました。途中からは一時猛烈な雪が降り、前が見えないほどでしたがこの日の目標の「五輪橋」が近づいてきました。ところがそこで想定外の状況が…。
寒い中、「南大橋」のところでの昼食を10分程度で終わらせ、スノーシュートレッキングを再開しました。
遠くに特徴のあるアーチ橋の「幌平橋」が見えてきます。「幌平橋」までも約20分で到達しました。この橋のアーチ部分は人が上れる構造になっているそうですが、私はまだ上ったことがありません。
※ 特徴のあるアーチ橋の「幌平橋」です。
この辺りでは豊平川もずいぶん狭くなっていましたが、さらに遡ったときにそれが一時的なものだと気付きました。
「幌平橋」から20分で「南十九条大橋」です。
この橋を通過した後に「雪捨て場」がありましたが、東区で出会ったような大規模のものではありません。
※ 「南十九条大橋」です。
※ 割り合い小規模の雪捨て場でした。
豊平川の中に奇妙な構造物を見に入りました。川の流れを遮るようにコンクリートの塊が整然と並んでいます。上流から木の枝やゴミが流れてきたとき堰き止められ、川の流れが悪くなるのではと思ったのですが、反対に下流にゴミなどを流さないための装置なのでしょうか?
※ このコンクリートの構造物のねらいが良く分かりませんでした。
「南十九条大橋」から約15分で「南二十二条大橋」に到達です。
この「南二十二条大橋」を過ぎると、橋の出現の間隔がやや開いてきます。
「ミュンヘン大橋」に向かう途中、川が整然と流れているのに気付きました。おそらく川岸や川底を改修し、流れを良くする工事がなされたものと思います。
※ 市街地の橋としては最後かな?「南二十二条大橋」です。
※ 川岸や川底の改修工事がなされたような流れでした。
「ミュンヘン大橋」に至る手前で左岸側に「山鼻川」の流入口がありました。ずっと左岸を歩いてきたのですが、初めて本格的な流入口が左岸側にありました。しかし、そこには立派な橋が架けられていて難なく通過することができました。
※ 右側の流れが「山鼻川」の流入口です。
この辺りから突然に猛烈な降雪となり、前も良く見えないほどです。
そのような中で、橋に架かるケーブルが美しい「ミュンヘン大橋」に到達しました。「南二十二条大橋」からは約35分かかりました。
雪のために「ミュンヘン大橋」はかなり近づいてから撮影し、ようやくその外観を捉えることができました。
※ 雪に煙る「ミュンヘン大橋」です。
「ミュンヘン大橋」を過ぎると、「精進川」の流入口が対岸に見えました。
およそ25分で「藻岩橋」に到達です。時計の針は午後2時を回っていました。第1日目の時は午後2時頃にはもう疲労困憊でいっぱいいっぱいでしたが、今回はまだまだ余裕綽々といった感じです。ペース配分が上手くいったようです。
豊平川の流れはかなりに狭くなってきました。東区辺りで見た悠々とした流れとはとても同じ川とは思えないほどです。
※ 「精進川」の流入口です。
※ このあたりでは流れはだいぶん狭くなりました。
「藻岩橋」からほどなく行くと、私のマップには載っていない細い橋がありました。どうも人専用の橋のようです。帰宅して調べてみると「藻岩上の橋」とありました。
長い豊平川の中で、なぜここにだけ人専用の橋があるのでしょうか?おそらく何らかの歴史的な経緯があるものと想像されます。
※ 人が通れるだけの狭い橋なのがお分かりいただけると思います。
川の流れは広くなったり、狭くなったり、中州の形状で川の幅もいろいろと変わってきます。
「藻岩上の橋」からしばらく行ったところで、やはり対岸に「真駒内川」の流入口がありました。灌木が繁っていて、なかなか撮影ポイントが見つかりませんでしたが、川面のぎりぎりまで寄ってようやく一枚をものにしました。
※ 苦労して撮った「真駒内川」の流入口です。
今回の目標だった「五輪大橋」が遠く視界に入ってきました。ここで私は思わぬ困難な状況に遭遇してしまいました。
というのは、「五輪大橋」が目の前に迫った時点で、左岸側から川が流入しているのに遭遇したのです。調査不足というか、私が使用したマップに表れていなかった「北の沢川」が流入しているのでした。
※ 手前から豊平川に流れ込む「北の沢川」です。
辺りを見渡しても「北の沢川」を渡る橋などは見当たりません。また川の向こうには雪捨て場があり、その雪山が川面ぎりぎりまで迫っています。
私は一瞬あきらめて国道に上ってしまおうか、と考えました。
しかし、その日のゴールはしっかり決めたいとの思いが勝りました。
私は「北の沢川」が細くなっているところを飛び越えようと思いました。しかし、雪で川岸などの状態がよく分からないために危険を感じ、意を決して川に入りジャブジャブと渡ることにしました。長靴が効力を発揮した場面でした。
※ この小川を川中の飛び石を使って飛び越えようと思いま
したが、川に入ってジャブジャブと渡りました。
その後も雪捨て場の雪山と川面の僅かな隙間を抜け、なんとか「五輪大橋」の橋脚に辿り着きました。その時、午後2時50分。今回のゴールとしました。
※ 川を渡ってまた一難。ご覧の雪の壁の裾を伝い向こうの
「五輪大橋」を目ざしました。
※ 苦労して辿り着いた「五輪大橋」です。
コースは札幌都心を抜け、これからは山間コースに入っていきます。どのような状況なのかまったく想像がつきませんが、無理せず、できるところまで遡ってみたいと思っています。(第三日目の様子はまた日を置いてレポートすることにします。)
《トレッキング実施日 ‘11/02/13》
環状北大橋 → 南大橋
大都会札幌の東西を繋ぐ橋が次から次へと現れます。私は豊平川ウォッチングも忘れて、次々と現れる橋を橋脚部分から見上げるばかりでした。(今回は橋の写真のオンパレードとなりました。)
「環状北大橋」から15分後の10時05分、橋の上部にアーチを施したつり橋(?)の「北十三条大橋」に到達しました。
続いてやはり15分後に「上白石橋」に、それと並行するように「JRの鉄道橋」が現れました。
「上白石橋」の写真でも分かりますが、川幅がかなり狭まってきました。ここで対岸に私のようにスノーシューを付けて河畔を歩いている人を発見!しました。
※ 「北十三条大橋」です。一見すると水道橋のようですが、
車も渡っていたと記憶しています。
※ JRの鉄橋と並行するように架かっている「上白石橋」です。
※ JR函館本線が渡る鉄橋です。電車を撮るためしばらく待ちました。
※ 対岸に同好の士が!!ちょっと嬉しくなりました。
ちょっと橋から離れて、河畔ウォッチングを…。
河畔の灌木の中に著しい鳥たちの足跡を見つけました。きっと集団で営巣しているようです。近くには木の枝に営巣したと思われる痕跡のようなものを見ることができました。
※ 写真では分かりづらいのですが、無数の鳥たちの足跡がありました。
※ 河岸の潅木には鳥たちの巣(?)の跡が…
「鉄道橋」から20分後、「平和大橋」の登場です。ここから次の「東橋」にかけては河岸工事の真っ最中で河原は除雪され重機が入っています。私はスノーシューを脱ぎ、脇に抱えてのトレッキング(ウォーキング?)となりました。
「平和大橋」から「東橋」までは10分。もうほんとうに次から次といった感じです。
ここからは再びスノーシューを付けてのトレッキングとなりました。
※ 「平和大橋」です。ここから河岸工事が行われていました。
※ ご覧のとおり土がむき出しです。これではスノーシューは付けれません。
※ 「東橋」は工事用の重機と共に
そこから10分後には「水穂大橋」が、そして15分後に「一条大橋」、さらに20分後には「豊平橋」といった具合です。
その間、「一条大橋」と「豊平橋」の間にはNTTのケーブル回線を渡す「でんでん大橋」と、水道管を渡す「水道橋」も豊平川を跨いでいました。
※ 「瑞穂大橋」もきれいなアーチ橋でした。
※ 「東橋」はつい先年建て替えられた橋だったと思います。
※ 電話ケーブルがいっぱい詰まった(?)「でんでん大橋」です。
※ こちらは上水道?あるいは下水道?ともかく水道橋です。
「豊平橋」は写真でもお分かりのように橋を潜る人のため(?)に橋名が明記されています。これだけ橋が多いと、どれがどれだか混乱してくるのでこうして表記してくれることはありがたいことです。(全てがそうなってくれているといいんですがね)
そして「豊平橋」は千歳や苫小牧に通ずる交通量の多い国道36号線の橋ですから、下から見た橋の姿も堂々としていました。
この辺りになると、河原は整備されていて夏には多くの市民で賑わうところです。冬の期間も犬の散歩のために踏み固められた散歩道がついています。そしてその傍には野生生物ならぬ犬たちのマーキングが黄色く点々と残っていました。
※ この辺りでは野生生物ではなく、飼い犬たちのマーキングがあちこちに…。
「豊平橋」から10分後に「南七条大橋」、さらに10分後に「南大橋」に到達しました。
ここで時刻はちょうど12時を指していたため、橋脚の下で昼食ということにしました。
この頃になると空は曇り、冷たい風が吹き始めました。持参した温かいコーヒーが体を暖めてくれました。
※ 交通量の一段と多い「豊平橋」です。
※ 「南七条大橋」です。
※ この「南大橋」の橋脚のところで昼食としました。
ふ~う。こんなに一度の投稿で写真をたくさん掲載したのは初めてです。見ていただいた方も橋の写真ばかりでいささか食傷気味かと思いますが、ご容赦ください。
《トレッキング実施日 ’11/02/13》
(№6へ続く)
道なきところに踏み出せるスノーシューで何かをしてみたい。さりとて不案内な山野は危険が伴う。そう考えたときに、「そうだ河原を歩こう!」というアイデアが閃いた。冬だからこそ近づける河原を辿りながら、川を遡ろう!私の小さな冒険は豊平川の上流を目ざした。どこまで行けるのか、事前踏査をまったくしていないのだから皆目見当が付かない。何日かに分けて無理なく行けるところまではと思っているが…。
豊水大橋 → 環状北大橋
「豊水大橋」からスノーシュートレッキングを再開した。豊水大橋から上流では川の中も、河畔の様子もこれまでとは徐々にその様相が変わり出したことに気付いた。
第1日目から1週間が経った2月12日(日)、体に負ったダメージもほぼ回復した私は「冬の豊平川河畔を遡る」第2日目を行うことにしました。
ということでシリーズ第2弾を書き綴ることにします。
朝7時半すぎ、自宅を出て地下鉄、バス、徒歩を使い、「豊水大橋」の袂に着きました。
スノーシューを装着し、スタート準備を完了して時計を見たところちょうど午前9時でした。天候は予報と違い晴れ上がっています。
※ 第2日目のスタート地点となった「豊水大橋」です。
スタートして間もなく、マップでは気付かなかった川の流入口が見えます。帰宅してから調べたところ「逆川」という川が流入していました。
河畔の雪上は野生生物が駆け回った跡だけが残っています。そこに私のスノーシューの跡を並行して付けてみました。
※ 左が野生生物(うさぎ?)の足跡、右が私のスノーシューの跡です。
※ 写真上部が「逆川」の流入口です。
しばらく行くと(豊水大橋から1Km程度)川の中に中州が見えてきました。この後、中州が頻繁に顔を出してきました。
どうやら豊平川はこの辺りまで土砂を運んできたものの、流れが緩やかになったために土砂を置いていかねばならなかったようです。
※ 下流から遡ってきて初めて現れた豊平川の中洲です。
さらに進むと、それまで河原に繁っていた灌木が突然なくなり視界が広がりました。「河原もいろいろな表情を見せるなぁ」と思っていたところ、さらに進むとそれは人的に刈り取られた跡だということが分かりました。
刈り取った灌木がうず高く積まれ、傍には「石狩川改修工事 域内伐開工事」という工事標識が立てられてありました。
河畔で憩う市民のためにはこうした工事も必要なのだと思いますが、河原の灌木の中で営巣していた野鳥たちにとってはまた一つ住処が失われたことになる…。
※ 突然一面に木が一本もない川原が出現しました。
※ しばらく行くと、刈り取られた潅木が積み上げられていました。
※ 傍に立てられていた小路標識を見て納得しました。
※ こちらはこれから伐採される(?)潅木の林です。
私の地図上の目測で「豊水大橋」からおよそ1.7Kmで「環状北大橋」に到達しました。到達時間は9時50分。写真を撮ったり、寄り道をしたりと直線的に歩きっぱなしで歩き続けるということではありませんが、やはり雪道では時速2Km程度が精一杯ということかもしれません。
※ スタートしてから約50分で「環状北大橋」に到達しました。
「環状北大橋」は私が札幌に住む前に北見から札幌へ入る時、そして今は江別の友人のところへ行く時に、いつも利用する橋ですがこうして下から見上げるのはなんだか不思議な気分です。
この日のコースは大都会札幌を南北に貫く豊平川が都心を縦断するコースで、次から次と橋が現れ、まるで橋を紹介するレポートになってしまいそうです。何せ15~20分に一度くらい橋が現れるのですから、写真を撮ったり、時間をメモしたりと、変化に富んだスノーシュートレッキングとなりました。
《トレッキング実施日 ’11/02/13》
(続きは№5で)
雁来雪堆積場 → 豊水大橋
豊平川が石狩川に流入している地点からスタートしておよそ6km地点にある「雁来大橋」が私の最初の目的地だった。しかし、そこまでが遠かった…。
スノーシューを脱ぎ歩いて雪捨て場を通過し、作業員の休憩所でその先の川原のことを尋ねながら、「雁来大橋は近いですか?」と聞くと「まだもう少し先だ」との答えだった。
その時、一緒にいた女性が「頑張ってください!」と励ましてくれたが、あるいは「物好きな人もいるんだなぁ」と思われたかもしれない。
※ こちらの雪捨て場の雪はずいぶん黒ずんだ色をしていた。
その後も雪捨て場が次々と現れ、雁来大橋まで計3ヶ所もの雪捨て場に遭遇した。
雪捨て場を避けるため、私は川面と雪捨て場の間の潅木の中を通ることになった。
潅木の中で人間が通れるところを探しながらのトレッキングはルート探しに気を取られて疲れを忘れることができた。しかし、左右に蛇行して進むために歩く距離は相当に増したようである。
潅木の中には来るべき春を待って小さな芽を付けている木々がたくさんあった。
※ こうした潅木の間をぬいながらスノーシュートレッキングは続いた。
「雁来大橋に着いてから昼食を」と考えていたが、時計の針は13時を指している。
疲れと空腹からたまらず潅木の中で腰掛けられそうな木を探して昼食を摂ることにした。
昼食といってもおにぎりは食べる気になれず、バナナ1本とミニドーナツ2個だけで済ませた。腰を下ろしたとき、あらためて自分が相当に疲れていることを感じた。
※ 植物の名に疎く何の芽か分からないが、春の訪れをじ
っと待っているようだった。
一休み後、重い腰を上げスノートレッキングを再開した。
気付くと豊平川は少しずつ川幅を狭めてきているようだ。それでもまだおよそ60mくらいはありそうだ。
川面に横たわるようにして立つ木が目立っている。左岸側が淵になっていて、川底が削られてしまいその結果、木が倒れたのではと考えられる。
またまた対岸に流入する川が見えた。どうやら「旧豊平川」らしい。
※「雁来大橋」の側に立つ清掃工場が視界に入ってきた!
※ 写真のように川面に近い潅木は横倒しになっているのが多かった。
※ 写真正面奥に見えるのが旧豊平川の流入口です。
遠くに「雁来大橋」の側に立つ「白石清掃工場」の高い煙突が見えてきた。
車や自転車で近づくのとは違い、目標物が見えてからもそこに到達するまでにはかなりの時間を要する。疲れた体にはそれが辛い。
「雁来大橋」に到達したのは13時40分だった。直線距離にしておよそ6Km。その間に3時間を要したことになる。1時間に2Kmしか進んでいない。雪の中を歩くのだからしかたのないことか?
「雁来大橋」の橋脚の下で一休みした後、2Km先の「豊水大橋」を目ざして出発した。
※ 最初の目的地「雁来大橋」にようやく到達しました。
しかし、ここからの2Kmが私にとっては大変な2Kmだった。
すでに体力のピークは過ぎていて、10数歩歩いては一息、頑張って20数歩粘っては一息と、まるでかなりきつい山の頂を目前にしたような歩みが続いた。
河原に人口の造営物が見え始めた。ベンチにバスケットゴールやサッカーゴールが雪に埋まりながら顔を出している。周辺住民を対象とした運動公園のようである。
※ サッカーゴールの頭の部分だけが雪の上に顔を出しています。
遠くに目標としていた第二の橋「豊水大橋」が見えてきた。
見えてきてからが遠かった…。すっかりスピードの落ちた足には行けども行けども橋が近づかない感じだった。
そして何とか札樽道に架かる大きな橋「豊水大橋」に到達したのは14時50分だった。
スタート時の目標はもっと札幌市内に近づいたところだったけど、体力的にも時間的にも第一日目のゴールは「ここにしょう」と決心し、スノーシューを脱いだのだった。
※ 目標の手前でしたが、 今回のゴールにした「豊水大橋」です。
体のダメージを回復して、近いうちに二日目のスノーシュートレッキングをを第一日目のゴール「豊水大橋」から始めることにしよう。
《トレッキング実施日 ’11/02/06》
(今日現在第二日目は実施しておりません。したがって№4からのレポートは日を改めて投稿することにします)
豊平川河口 → 雁来雪堆積場
本格的なスノーシュートレッキングが始まった。白い雪原を、潅木の林の中を私は黙々と歩を進めた。単調な景色の中、私の体力は徐々に奪われていった…。
さあ、いよいよ豊平川を遡る冬のスノーシュートレッキングの開始である。
川幅は石狩川から比べるとずいぶん細く感じられるが、それでも目測で7~80mくらいはあり、川幅一杯に水か豊かに流れている。
石狩川との合流点近くの左岸は淵のところが多く、私は雪原に追いやられた。
雪原に私のスノーシューの跡が続いている。
雪原に生えている小さな木の下のところどころに黄色い染みのようなものが見える。おそらくキタキツネやその他の小動物がマーキングしたものだろう。
単調の景色の中に工場のようなものが見えてきた。
手元にマップがないので確認しようがなかったが、帰宅して確認するとそれはリサイクル団地の工場のようだった。
またしばらく行くと、橋が見えてきた。そんなに早く橋は現れないはずと思っていたが、それはどうやら本格的な橋ではなく、水道橋のようだった。近くに寄ってみると、「水利用標識 工業用水道」と記されていた。どうやら川の水を工業用水に利用する施設のようだ。
豊平川河口から2kmくらい進んだところで対岸に川が流入しているのが見えた。 「厚別川」との合流地点である。厚別川からも豊かな水が流入していた。
この辺りまでは川の堤防と水面の間が広く広がっている。そこへ爆音を響かせた3台のスノーモービルが疾走してきたが、カメラを向ける間もなく走り去ってしまった。
河口をスタートして4Kmくらい行ったところだろうか。前方に大きな雪山が見えてきた。山の上にトラックやブルドーザーが見える。札幌市の雪捨て場である。
私は行き捨て場と豊平川の間にできた狭い隙間を進もうとした。
かなり進んだところで、雪山で作業をしていたブルドーザーの運転手が運転席から腕で×印を作っている。側へ寄ったところ「周辺は立ち入り禁止区域になっているので立ち入らないように」と注意を受けた。
私が「川原を辿って上流を目ざしているんです」と言ったところ、「それならスノーシューを脱いで、雪捨て場の上部を歩いて行ってください」と親切に言ってくれた。
言われたとおりにスノーシューを脱いで、雪山に上がりテクテクと歩いて雪捨て場を通過することにした。
スノーシューを脱いで歩き始めたとき、「なんて軽くて、歩きやすいんだ!」と思った。
それは私がスノーシュートレッキングにかなり疲労してきた証拠だったのかもしれない…。
その時すでに「あいの里公園駅」から歩き始めて3時間30分が経過していた。
《トレッキング実施日 ’11/02/06》 (以後は№3に続く)