炭鉱遺産をめぐり、空知川に憩う赤平ルート
炭鉱遺産を巡るウォークは後半も続いた。住友炭鉱のズリ山に造られた777段の階段はきつかったがズリ山の頂上から見る景色は絶景だった。また、赤平といえば私にとっては「植松電機」である。市街地からやや離れた植松電機の本社工場にも寄ってみた。
「こもれび通り」を歩いていたとき、路傍に鮮やかな紫色の野草が繁茂している光景に出会った。帰宅してからその種を検索してみたのだが、はっきり特定することができなかった。キク科の花のようなのだが、紫色の同じ花弁のものは見当たらなかった。あるいは、園芸種のヒメジョオンが野草化したとも考えられるが??

※ 路傍に咲いていたこの花の種は何でしょう?お分かりの方、教えてください。

道路のやや奥まったところに工場の廃墟のような建物が目に入った。「赤間の旧選炭場」とのことだった。この施設も炭鉱遺産として保存されているそうだ。

その横に、「赤間ズリ山(777段)」の入口があった。フットパスルートとしてはズリ山に登ることは想定していないが、マップには「体力に自信がある人は挑戦してみては」とあった。体力にも、膝にも、自信はなかったが、そこに山があるとどうしても登ってみたくなるのが私の性癖(?)である。迷うことなく登ってみることにした。


※ ズリ山階段の登り口です。階段には募金をした方々(?)の名前が記されていました。
実は本当の登山の時、私が一番嫌うのが階段であることは何度か述べている。有無を言わさず歩幅が決められ、体力を急激に奪われるのが嫌いなのだ。
思っていたとおり200段もいかぬうちに息が上がってしまった。何度か休みながら山頂を目ざした。その時気付いたことがあった。というは、この日のコースをスタートした直後に見えた山腹に見えた黄色の造営物が目の前に見えたのだ。私はそんな高いところを登っていることを改めて教えられた思いだった。


※ 階段の横に見えるオレンジ色のものは「あしべつ火まつり」の「火」の字を描くしるしだという。
つまり私が街から眺めたところを私は登ったのだった…。

※ 最後の階段777段目は、「斉藤敏隆、幸江」さんご夫妻(?)だった。
疲れを覚えながらもなんとか山頂に立った。山頂からの眺めは、赤平市はもとより、遠く芦別市の「北の京 芦別」の大観音まで望める絶景だった。

「赤間ズリ山」を下り、「こもれび通り」に戻り、続く炭鉱遺産の「美園入気坑」を目ざした。しかし、近くを探したのだがどうしても見つけることができず残念だったが断念した。
JR根室本線を潜るアンダーパスを通り、空知川に近い道路沿いにあった「赤平神社」に立ち寄り、空知川を渡り(赤平橋)対岸に導かれた。

空知川沿いを往くと、昭和15年に開校したという「赤間小学校(旧赤間尋常小学校)」に至った。校舎はもちろん当時のものではなく、近代的な校舎であった。

再び空知川を渡り(虹かけ橋)市街地へ戻るのだが、橋のたもとに「赤間炭鉱碑」が立っていた。赤平市には、「住友赤平炭鉱」、「北炭赤間炭鉱」、「茂尻炭鉱」と三つの炭鉱があったという。その一つの赤間炭鉱の記念碑ということだ。

その後、「虹かけ橋」を渡って、ゴールの赤平駅に至った。
ゴール後、黒く輝く石炭の塊を模してつくった赤平の銘菓「塊炭飴」を駅前にある石川商店で買い求めた。

※ 「虹かけ橋」上から安平駅方向を望む風景です。

※ まるで石炭の塊に見える「塊炭飴」です。
ゴールした後、赤平でのもう一つの目的だった「植松電機」の工場を目ざした。場所をタクシードライバーに聞くと「遠いよ~」ということだったが、市街地からは車で15分ほど走った市街地からは遠く離れた工業団地の一角にあった。
なぜ植松電機かというと、小企業ながら産業用のマグネット(電磁石)の生産では国内トップメーカーでありながら、専務の植松努氏が先導して宇宙ロケットの開発に挑んでいることで有名な企業である。さらには「思い描く事ができれば、それは現実にできる」と全国の子どもたちに夢を描くことの大切さを説いて回っていることでも有名である。私も彼の話を2度ほど聴き、感動を覚えたお話だった。
工場には微小重力の実験ができる実験棟が高々と聳え、さらには高性能の望遠鏡を備えた天体観測用のドームまで備えていた。

※ 植松電機の工場内に聳える「微小重力実験塔」です。

※ 植松電機の工場内の様子ですが、屋根の上には天体観測ドームが見えます。
赤平市は炭鉱遺産を観光に活かそうとする姿勢がうかがえるとともに、駅舎や集合住宅、工業団地などの様子から、街の再活性化を図ろうとしているように私には映った。
《フットパスウォーク実施日 ‘14/09/28 距離 約8Km》
かくして、足掛け3年にわたって空知管内24市町のフットパスコースを巡る私の旅は終焉を迎えたのであった。私にとって楽しく意味のあるフットパスウォークであった…。
〈余話〉
赤平からの帰路、以前に上砂川町のコースを歩いた際に知己になった石炭画家の早川季良氏とも無事に再会することができた。
炭鉱遺産を巡るウォークは後半も続いた。住友炭鉱のズリ山に造られた777段の階段はきつかったがズリ山の頂上から見る景色は絶景だった。また、赤平といえば私にとっては「植松電機」である。市街地からやや離れた植松電機の本社工場にも寄ってみた。
「こもれび通り」を歩いていたとき、路傍に鮮やかな紫色の野草が繁茂している光景に出会った。帰宅してからその種を検索してみたのだが、はっきり特定することができなかった。キク科の花のようなのだが、紫色の同じ花弁のものは見当たらなかった。あるいは、園芸種のヒメジョオンが野草化したとも考えられるが??

※ 路傍に咲いていたこの花の種は何でしょう?お分かりの方、教えてください。

道路のやや奥まったところに工場の廃墟のような建物が目に入った。「赤間の旧選炭場」とのことだった。この施設も炭鉱遺産として保存されているそうだ。

その横に、「赤間ズリ山(777段)」の入口があった。フットパスルートとしてはズリ山に登ることは想定していないが、マップには「体力に自信がある人は挑戦してみては」とあった。体力にも、膝にも、自信はなかったが、そこに山があるとどうしても登ってみたくなるのが私の性癖(?)である。迷うことなく登ってみることにした。


※ ズリ山階段の登り口です。階段には募金をした方々(?)の名前が記されていました。
実は本当の登山の時、私が一番嫌うのが階段であることは何度か述べている。有無を言わさず歩幅が決められ、体力を急激に奪われるのが嫌いなのだ。
思っていたとおり200段もいかぬうちに息が上がってしまった。何度か休みながら山頂を目ざした。その時気付いたことがあった。というは、この日のコースをスタートした直後に見えた山腹に見えた黄色の造営物が目の前に見えたのだ。私はそんな高いところを登っていることを改めて教えられた思いだった。


※ 階段の横に見えるオレンジ色のものは「あしべつ火まつり」の「火」の字を描くしるしだという。
つまり私が街から眺めたところを私は登ったのだった…。

※ 最後の階段777段目は、「斉藤敏隆、幸江」さんご夫妻(?)だった。
疲れを覚えながらもなんとか山頂に立った。山頂からの眺めは、赤平市はもとより、遠く芦別市の「北の京 芦別」の大観音まで望める絶景だった。

「赤間ズリ山」を下り、「こもれび通り」に戻り、続く炭鉱遺産の「美園入気坑」を目ざした。しかし、近くを探したのだがどうしても見つけることができず残念だったが断念した。
JR根室本線を潜るアンダーパスを通り、空知川に近い道路沿いにあった「赤平神社」に立ち寄り、空知川を渡り(赤平橋)対岸に導かれた。

空知川沿いを往くと、昭和15年に開校したという「赤間小学校(旧赤間尋常小学校)」に至った。校舎はもちろん当時のものではなく、近代的な校舎であった。

再び空知川を渡り(虹かけ橋)市街地へ戻るのだが、橋のたもとに「赤間炭鉱碑」が立っていた。赤平市には、「住友赤平炭鉱」、「北炭赤間炭鉱」、「茂尻炭鉱」と三つの炭鉱があったという。その一つの赤間炭鉱の記念碑ということだ。

その後、「虹かけ橋」を渡って、ゴールの赤平駅に至った。
ゴール後、黒く輝く石炭の塊を模してつくった赤平の銘菓「塊炭飴」を駅前にある石川商店で買い求めた。

※ 「虹かけ橋」上から安平駅方向を望む風景です。

※ まるで石炭の塊に見える「塊炭飴」です。
ゴールした後、赤平でのもう一つの目的だった「植松電機」の工場を目ざした。場所をタクシードライバーに聞くと「遠いよ~」ということだったが、市街地からは車で15分ほど走った市街地からは遠く離れた工業団地の一角にあった。
なぜ植松電機かというと、小企業ながら産業用のマグネット(電磁石)の生産では国内トップメーカーでありながら、専務の植松努氏が先導して宇宙ロケットの開発に挑んでいることで有名な企業である。さらには「思い描く事ができれば、それは現実にできる」と全国の子どもたちに夢を描くことの大切さを説いて回っていることでも有名である。私も彼の話を2度ほど聴き、感動を覚えたお話だった。
工場には微小重力の実験ができる実験棟が高々と聳え、さらには高性能の望遠鏡を備えた天体観測用のドームまで備えていた。

※ 植松電機の工場内に聳える「微小重力実験塔」です。

※ 植松電機の工場内の様子ですが、屋根の上には天体観測ドームが見えます。
赤平市は炭鉱遺産を観光に活かそうとする姿勢がうかがえるとともに、駅舎や集合住宅、工業団地などの様子から、街の再活性化を図ろうとしているように私には映った。
《フットパスウォーク実施日 ‘14/09/28 距離 約8Km》
かくして、足掛け3年にわたって空知管内24市町のフットパスコースを巡る私の旅は終焉を迎えたのであった。私にとって楽しく意味のあるフットパスウォークであった…。
〈余話〉
赤平からの帰路、以前に上砂川町のコースを歩いた際に知己になった石炭画家の早川季良氏とも無事に再会することができた。