けっして大きくはない増毛町になぜこれほど歴史的な建造物が数多く現存しているのかと不思議に思いながら見て回った私だった。
この日(7月2日)私が札幌を発ったのが午前6時過ぎだったこともあり、増毛町に着いたのは午前8時を過ぎたばかりで、街はまだ動き出す前だった。したがって、歴史的建造物の内部を見学することは叶わなかったが、外部から見るだけでも十分に価値あるものだった。(もっとも内部見学が可能なのは、「旧商家丸一本間家」だけだったようだが)
私は旧増毛駅前の駐車場に車を停めて見学したが、建造物群のほとんどは徒歩圏内にあった。それでは写真を提示しながら、感想を綴っていくこととします。
◇旧多田商店(風待食堂)
旧多田商店は高倉健主演の映画「駅 ステーション」で「風待食堂」として重要な役割を果たした場所である。食堂のおかみさん役の倍賞千恵子との場面は私も忘れることができません。
現在は観光案内所になっているとともに、映画当時のセットがそのまま残っているという。ところが開館が午前9時30分とあって断念せざるを得なかった。
※ この観光案内所(旧多田商店)で観光情報を得ようと考えていたのだが、朝早くて叶わなかった。
◇旧冨田屋旅館
旧多田商店の隣に立っているのが木造3階建ての「旧冨田屋旅館」である。当時の繁盛ぶりがうかがわれる大きな建物だ。旅館廃業後も内部を公開していたらしいが、老朽化が激しく現在は閉鎖されていた。そこで増毛町が建物の管理保存をすることになったということで、現在は修復工事が行われていた。
※ 旧冨田屋旅館は修復工事が行われていました。
◇旧増毛駅
旧多田商店と旧冨田屋旅館の向いにあったが、あまり古さを感じさせない外観だったために、当初はその存在に気付かなかったほどだった。こちらも内部の見学は叶わなかったが、窓から中を覗くと廃線となった増毛線などの資料が展示されているようだった。
◇増毛館
旧商家丸一本間家の隣にレトロな建物が建っていたが、それが「増毛館」だった。「増毛館」は現役で、現在は「ぼちぼちいこか増毛館」という名前で民宿形態で営業しているそうだ。
◇旧商家丸一本間家
こちら旧商家丸一本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商に始まり、ニシン漁の網元、海運業、酒造業など時代としもに多岐にわたり事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していったという。今ある建物はその当時の勢いを誇るような重厚な様相を呈して建っていた。
内部が公開されているようだったが、ここも時間が早いために内部の見学は叶わなかった。入り口前に本間家の建物が「卯建壁(うだつかべ)で造られていることに対する説明書きが立てられていた。そこに書かれていた一部を再現してみた。
「卯建の語源は社寺建築の梲(うだつ)であり、中世からの町家建築で隣家に接する外壁の防火と装飾を兼ね富豪の象徴とされた。 この卯建壁も同様の目的で旧雑貨屋店舗の東西の石造外壁に設けられたものである。昭和6年10月、弁天町1丁目の大火(26戸30棟消失)で火は東の隣家まで及んだが、卯建壁によって類焼は防止され大事に至らなかった。(後略)」
※ 本間家の片側の壁は一部が引きはがされたように見えますが、はたして真実は?
◇千石蔵
千石蔵は昭和12(1973)年建築の石造りの倉庫である。かつてはニシン粕の保管庫として使われていたようだが、現在は(株)国稀酒造が維持管理しているという。私が訪れた時にちょうど国稀酒造の社員が蔵のカギを開放したところだったので、内部も見せていただくことができた。内部には当時のニシン漁に使われたニシン舟の現物が陳列されていた。かなり大きな舟を人力で操船し、漁をしていたというから、当時ヤン衆たちの苦労がしのばれる思いだった。内部はかなりに大きさがあり、ニシン舟を展示してもなお余りある空間では、地域のさまざまなイベントが開催されているということだった。
※ 千石蔵はかなり大きな建物に見えました。
※ 蔵の中の片側には写真のようにニシン漁に使われたニシン舟が展示されていました。
※ そのニシン舟を上から見た図です。櫂の大きさ、太さが分かります。
※ ニシン漁の様子をミニチュア化して展示していました。二艘のニシン舟で囲い込むように漁をしたようです。
※ 千石蔵の片方のスペースです。ここで地域の各種イベントが催されるとお聞きました。
◇国稀酒造
国稀酒造は、今や増毛町だけの酒蔵ではなく北海道の酒蔵という感じで、札幌なども商圏に入れて手広く事業を展開している。その本社はやはり歴史を感じさせる趣きで、そのところは酒造された日本酒の即売所となっていた。日本酒はからきしダメな私であるが、記念にと小ボトルを3本ほど購入させてもらった。
※ 国稀酒造本店の入口です。(下の写真も)
◇旧増毛小学校
最後は市街からやや離れた高台に建っていた「旧増毛小学校」である。旧増毛小学校は昭和11(1936)年建築された北海道で最大最古の大型木造校舎として有名だった。平成24(2012)年に旧増毛高校校舎に移転したために、現在は無人校舎となっている。果たしていつまで現在の姿を保っているのか?おそらく早晩取り壊しの運命になるのではないかと思うが、はたして?
※ 旧増毛小学校の前庭(or グランド?)です。維持管理も大変なことと思います。
※ どうも私は平衡感覚が可笑しいのでしょうか?時々子のようなかしがった写真がお目見えします。
※ こちらはトイレと何か特別教室でしようか?
※ 懐かしいです。私が学んだ校舎の体育館もこのような補強のためと思われる支えがありました。
以上、増毛町における主な歴史的建造物群を眺めてきたが、歴史が浅いといわれる北海道においてはいずれも貴重な建築群であり「北海道遺産」に登録されたのも当然のことと思えた。
さて、リード文の私の疑問に対する私の考えだが、最盛期の昭和30(1955)年頃は人口が16,700人余もいたという。それが現在では3,900人と往時の約23%である。北海道、中でも留萌・増毛地方のニシン漁の最盛期は大正、昭和前期である。ニシン漁で沸いた増毛町は右肩上がりで人口が増えていったと思われる。ニシン漁が衰退したとしてもその熱はすぐには冷めやらず人口増加が続いたのだろう。
そうした背景の中、商家や旅館などが豪奢な建物を次々と建てていったと考えられる。ところが、その後人口急減期に入って、その変化に対応できないまま現在に至ったのではないか?と私は考えたのだが…。いずれにしても今となっては貴重な歴史的建造物である。町が旧富田屋旅館を管理保存することになったそうだが、ぜひ他の歴史的建造物についてもその保存に努めることが増毛町の存在価値を高めることに繋がるように思えるので、その方途を探ってほしいと念願しながら増毛町を後にした。