田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

シベリア抑留者たちの過酷な運命を追う

2024-07-25 19:44:45 | 講演・講義・フォーラム等
 スターリンが日本人五十万人の強制連行を極秘指令した「シベリア抑留の日」から七十八年を経て、元読売新聞記者が抑留者たちの過酷な運命を地道に追い続けて、まとめた大書『命の嘆願書』の著者が語る抑留者たちの真実を聴いた。

 昨日午後、札幌エルプラザにおいて北海道民放クラブが主催する講演会が開催され参加した。
 今回の講演会のテーマは「妻と子のシベリア抑留 自著『命の嘆願書』より」と題して元読売新聞記者である井出裕彦氏が語った。

       
     ※ 講師を務められた著者の井出裕彦氏です。(北海道在住だそうです)

 まず驚かされたのが、井出氏の自著『命の嘆願書 モンゴル・シベリア抑留日本人の知られざる物語を追って』は規格外の大書だった。井出氏が提示したそれはまるで「広辞苑」と見紛うばかりの分厚い著書だった。それもそのはず、その字数はなんと135万字、1,300頁にのぼる大書である。定規などを持参していなかったので正確な厚さは分からないが、その厚さ10cm近くあったのではないだろうか?そしてその価格は税込みで9,680円だそうだ。

    
    ※ 著書の厚さを確認ください。まるで広辞苑です。

 その著書の内容であるが、第二次大戦によって敗戦国となった日本は、ソ連によって大量の日本兵らがシベリアに抑留されたが、そのうち約1万4千人がモンゴルに抑留され、うち約1,700人が亡くなった事実はあまり知られていなかったという。新聞記者時代にその事実を知った井出氏は、独自にモンゴルの公文書館において機密記録を入手し、その記録を克明に調べることによって、抑留者たちの悲惨な事実を明らかにしたのがこの著「命の嘆願書」なのだという。
 「命の嘆願書」という書名としたのは、文中で触れられているが、抑留民団々長だった久保昇さん、ウランバートル収容所の部隊指揮官の小林多美男さん、抑留者病院の軍医だった本木孝夫さんの三人が、民間人の抑留は国際法違反だとして早期帰国を要求したり、凍傷に備える防寒具の整備を求めたりと、抑留者たちの代表として我が身を顧みずに要求した尊い行為を井出氏は称揚したかったからだろう。

※ 著書の扉にあった「嘆願書」の写しです。代表名が久保昇氏となっています。

 実際に三人はその後悲惨な運命を辿ることになってしまったという。
 今回の講演では、そうして井出氏が調べあげた個々人の抑留者たち一人ひとりの具体的な事例を取り上げて、いかに抑留者たちが悲惨な、そして困難の日々を送ったかについて詳細に紹介された。その事例は、◇祭祀を喪ってしまった抑留者、◇夫の満州赴任に当たり、内地に残った妻、任地に赴いた妻、◇抑留された夫の帰りを待ち続けた妻、◇残された妻には再婚の話もきた、◇残された子の人生は、◇夫の期間や遺品の返還に動いた妻、等々、一つひとつ具体的にその事例を紹介していただいた。
 改めて私が言及するまでもない。戦争というものがいかに非人道的なものであるかを、井出氏はこれでもか、というほど提示してくれた。
   
    
    ※ 会場は関心の高さを示すように満席状態(50名前後?)でした。

 人類は戦争という行為によって、こうした非人道的行為を幾度も繰り返してきたが、そのことを反省するどころか、何時になってもそうしたことをくり返している愚かな存在である。これほど文明が発展してきたというのに、人類はこのことを乗り越えられないでいる哀しい存在である。
今現在も、ウクライナやパレスチナにおいて非人道的な争いが続いている。なんと愚かな人類なのだろうか???
そうしたことを改めて考えさせられた今回の講演会だった…。