高齢(化)社会を迎え、「認知症」が他人事ではなくなってきた。そうした中、「認知症本人大使」なる人たちがこのほど北海道から任命された。初耳だったこの方々はどんな人?との思いから「認知症フォーラム」に参加してみた。
本日午後、かでるアスビックホールにおいて北海道が主催する「認知症フォーラム」に参加した。プログラムは、
第1部が「ほっかいどう希望大使(認知症本人大使)」の任命式と「とうきょう認知症希望大使」の方の講演。
第2部が映画「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」の上映の2本立てとなっていた。私は同映画を以前にすでに観ていたので第1部のみ参加した。
ほっかいどう希望大使(認知症本人大使)は、今回北海道が初めて任命するということだったが、赤平市在住の松本健太郎さん(50歳)、江別市在住の横山弥生さん(54歳)、札幌市在住の竹内瑠璃子さん(77歳)の3名が任命された。(3名の方は氏名・顔写真などを公表されている)うち、松本さん、竹内さんは年齢からお分かりのとおり若年性アルツハイマー認知症と診断された方だそうだ。
さて、「ほっかいどう希望大使(認知症本人大使)」だが、北海道によると「認知症になっても希望を持って暮らしていけることを発信する、認知症ご本人の方々のこと」だという。その役割は「認知症当事者の方々や家族などに希望をもたらし、認知症の方への理解を深める役割」を担うとのことだ。その具体的な内容は、◆認知症の普及啓発活動への参加・協力◆道の認知症施策への意見提案、などを担う方だそうだ。(任期は2年間)
3人の方は任命後、それぞれ抱負を語られたが、特に若年性アルツハイマーの方は一見普通の方と変らず、お話の仕方もしっかりしていて、その任務をしっかり果たされるのではと思われた。竹内さんはさすがに高齢とあって介護が必要だったが、そのキャリアが素晴らしい方(海外登山などをこなされた)で、その思い出などを語るときには記憶が鮮明に甦る方なのではと思われた。
続いて、「とうきょう認知症希望大使」(北海道と呼称が若干違っていた)として、全国的に活動されているさとうみきさん(48歳)が「ひと足先に認知症になったわたしからのメッセージ」と題して行った講演をお聴きした。
さとうさんが認知症と診断されたのは43歳の時(現在48歳)と典型的な若年性アルツハイマー型認知症である。診断された直後は、落ち込み、ふさぎ込み、他人や地域からも遠ざかったそうだ。しかし、家族や周りの方々の助けもあり、今や認知症の方にはもちろんのこと、その家族に対しても前向きなメッセージを発しながら全国を巡っているという。
そのさとうさんは講演の中でたくさんのメッセージを私たち聴衆に向けて発せられた。その全てをメモできたわけではないが、印象的なメッセージを羅列すると…、
〇認知症になっても見える景色に変わりはない。
〇ありのまま生きる。
〇今までと変わらず、楽しいと思えることを続けること。
〇人は頼られる存在であることに喜びを感ずる。(例え認知症でも)
〇パートナーは、認知症という名の伴奏者になってほしい。
〇その「人」らしさは、「生」き続けている。
〇認知症になったからって、人生は終わったわけではない。
〇私は「認知症のさとうさん」ではありません。「目の前のひとりの人」と
して見てください。
〇誰もが「ひとりの人として」ありのままに暮らせる社会を実現してほし
い。
〇認知症になっても私の人生は続いている。私は今を生きているのです。
さとうさんは、こうした様々なメッセージを私たちに投げかけられた。
さとうさんのお話から、私は次のように「認知症」を受け止めることができたと考えている。認知症はだれもが罹り得る、ある意味で抗しがたい病ともいえる。もしそうした診断をされたときに、嘆き悲しんだりせずに、その現実を受け止めることが必要ではないか。その上で、もちろん専門医にかかり病状を遅らせる措置を取ることは必要だが、同時に罹患前と変わらずに生きることを楽しむべきではないのか、ということをさとうさんから学んだ思いである。
同時に、もしパートナーや家族に異変を感じたときにも慌てずに、病状を認めつつ、過剰に反応はせずに必要なサポートをしながら、それまでと同様に相対していくことが肝要なのかな?と思ったのだが…。
これからも機会あるごとに同様の講座や講演を聴くように心がけたい。
映画「ボケますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」さんは、前作「「ボケますから、よろしくお願いします」の続編である。私は両方とも観覧済みだったので今回はパスしたが、凡その内容は次のとおりである。
映画監督・信友直子の父母は広島県呉市に住んでいる。90歳を超えた両親なのだが、前編から母親の方が認知症の傾向が出始めていた。それを父親が冷静に受け止めながら母親を介護していた。後編に入り病状はさらに悪化し、ついには入院する事態となった。父親も腰が曲がり母親の介護が大変な状況となってきた。それでも父親は現実を受け止め、嘆きもせずに母親の介護に務める姿がとても印象的な映画だった。
私が父親の立場だったら、と思いながら観た映画であるが、信友直子の父親からは学ぶことが数多くあった…。
ただ私は、そうした際にあまりこだわらないようにしてやり過ごすことにしていますが…。
うん、認知症の方々は、そうした思いを感じながら生きているんでしょうかねぇ…。
ちょっと方向性が違うかもしれませんが、先日、高校時代の友人と会って話をしていて、それぞれの記憶の欠落に驚きました。
確かにあった(と思われる)行事でも、覚えている人と覚えていない人がいるんですね。
そして自分が思い出せないことに対して、苦しいほどの焦燥感を抱くこともあります。
認知症でいろいろなことを忘れていく人の苦しみとか悲しみとは、こういう焦燥感にも似ているのだろうか。
もちろん、もっともっと大きな不安感などだとは思いますが……。
そして思い出せない「想い出」とどう付き合うべきなのか?
考えずにはいられないテーマです。