幕末に国際貿易港となった「箱館」の歴史を色濃くとどめる西部地区は坂のマチであり、丘の上には歴史ある洋風建築や教会が建ち、独特の異国情緒を漂わせている。観光客にも人気のエリアを訪ね歩いた。
函館山の砲台跡を見た後、その函館山の下に広がる北海道遺産「函館西部地区の街並み」を訪ね歩いた。頼りにしたのは「函館まちあるきマップ」の№1の「これぞ王道!函館の魅力凝縮コース ~はるばる来ました函館へ~」と№2の「てくてく坂道 大三坂・八幡坂編 ~坂が織りなす異文化のタペストリー~」の二つのマップだった。
※ 両方のマップの赤い点線のところをほぼ正確に歩きました。
◇国際貿易港として開港
函館はアメリカ海軍マシュー・ペリー提督の来航を気に、日米和親条約が結ばれ、嘉永7(1854)年に「下田」と「箱館」が開港したことに始まる。
そのことにちなみ、「ペリー提督来航記念碑」、「北海道第一歩の地碑」、物流の拠点となった「赤レンガ倉庫群」などを訪ねた。
〔ペリー提督来航記念碑〕
※ ペリー提督来航記念碑の前のベンチの脚部にまで装飾が施されていました。
〔北海道第一歩の地碑〕
〔赤レンガ倉庫群〕
なお、「北海道第一歩の地碑」とは、明治初期に青函航路が開通したが連絡船が接岸できるような桟橋がまだなく、連絡船は沖合に停泊し、艀船で北海道上陸を果たしたという。その地が碑が立てられたところだという。
※ サービスショット
函館圏でのみチェーン展開するハンバーガーショップ「ラッキーピエロ」とやきとり弁当の「ハセガワストア」が軒を並べていました。今回私はどちらも食することができました。
◇異国情緒を代表する教会群 & 旧イギリス領事館
函館観光というと、西部地区に集中する教会群である。古くから外国との交流があったこの街らしく「カトリック元町教会」、「函館ハリストス教会」、「函館聖ヨハネ教会」が隣り合って建っておりそれらの瀟洒な建築群が異国情緒を醸し出している。
〔カトリック元町教会〕
※ ハリスト正教会は現在修復中のため門も閉じられていて、写真を撮ることができませんでした。
また、基坂の中腹に建つ「旧イギリス領事官」も大きな建物ではないが、庭園に囲まれた瀟洒な建物だった。
※ イギリス領事の執務室です。
◇坂、坂、坂の西部地区
とにかく函館西部地区は坂が多い。函館山の麓から函館港に向かって坂道が並行して造られている。その坂道は函館大火があったことから道幅が広いのも特徴だそうだ。それではカメラに収めることができた坂道を羅列します。
〔二十間坂〕
〔大三坂〕
※ 唯一下方向から撮った「大三坂」です。
〔八幡坂〕
〔基坂〕
◇そのほかの歴史的建造物
〔旧函館区公会堂〕明治40(1907)年に函館大火で焼失した町会所を再建するため、豪商・相馬哲平をはじめ市民の寄附を得て明治43(1910)年に再建されたもの。豪華な洋風建築であるが、外見の色遣いの華々しさは眩いばかりである。昭和49(1974)年に国の重要文化財に指定されたそうだ。
※ 旧公会堂のバルコニーから函館湾を望んだところです。
※ 大食堂だそうです。
※ 音楽会や舞踏会などに使用する二階のホールです。
〔東本願寺函館別院〕大正9(1915)年に日本で最初に建設された鉄筋コンクリートの寺院だそうだ。平成19(2007)年国の重要文化財に指定されたという。また、別院の敷地と接するように函館が生んだ文芸評論家「亀井勝一郎生誕の地」碑が立っていた。
※ 別院正面の山門です。
※ 別院裏面の屋根が見事でした、
〔亀井勝一郎生誕の地碑〕
〔カール・レイモン本店〕戦前にドイツから函館に渡り、戦時中には迫害に耐えながらもハム、ソーセージを作り続け、函館市民にハム、ソーセージの食習慣を根付かせ「胃袋の宣教師」と異名をとったレイモンが開いた販売店である。ガイドブックでは本店の横にある居宅跡が紹介されていたが、私はそれに気づくことができなかった。