旧石器時代から狩りや生産あるいは生活道具として重宝されてきた黒曜石。その一大産地として有名な白滝遺跡群が昨年 “国宝” に指定されたが、そこに至る経緯について黒曜石の発掘責任者からお話を聴いた。
昨日(6月27日)午後、北海道立道民活動センター(愛称:かでる2・7)において「ほっかいどう学かでる講座」が開講され受講した。
今回の講座は「日本最古の国宝~北海道遠軽白滝遺跡群出土品~」と題して、北海道埋蔵文化財センターの理事長である長沼孝氏が講義された。
※ 講義をされた北海道埋蔵文化財センター理事長の長沼孝氏です。
長沼氏は北海道教育庁の文化財課に長く籍をおき、白滝遺跡群の発掘調査の陣頭指揮を執り、かつ調査報告書の作成においても責任者を務めた方である。長沼氏は40歳から遺跡調査に携わり、調査報告書を完成したのが氏の60歳のときだということで20年間この仕事にかかりきりだったそうだ。(60歳の時に北海道教育庁を退職後、現職に就かれたという)
白滝は黒曜石の原産地として早くから有名で、産出された黒曜石は北海道内だけでなく国内的にも広く流布されていた。私は福岡県太宰府市にある北九州国立博物館を訪れた時に白滝産の黒曜石が展示されているのを見て驚いた体験がある。
また網走管内(現在はオホーツク管内と称している)出身の私は小さい頃から黒曜石を “十勝石” と呼んで、身近なものとして特別珍しいとも思っていなかったということもある。
※ 私は2年前、この看板があるところまでは辿り着けたのですが、黒曜石が産出するという「赤石山」には辿り着くことができませんでした。
その黒曜石が国宝となった契機は、白滝地区を通る高速道路建設計画が契機だったという。建設計画が持ち上がったことにより遺跡確認の試掘調査をしたところ大量の黒曜石の破片が発掘されたそうだ。そのため高速道路計画のルートを一部変更し、本格的な遺跡発掘調査か始まったそうだ。発掘には16年間も要し、出土した石器は実に669万点、重さ13.6tに及んだという、その量は世界最大規模だそうだ。
発掘された669万点の黒曜石の一部は狩りや生活道具の形をしたものも発掘されたが、多くは破片のようなものがほとんどだったそうだ。その1点1点の発掘地点を記録し、形状を模写する「注記作業」も気の遠くなるような作業だが、白滝遺跡の場合は発掘した破片を接合して当時の形を再現するという「接合作業」を行ったそうだ。
石器の破片の形を注視し、破片同士が合わさるかどうかを見極め、繋ぎ合わせるということは素人の私には神技としか思えない作業である。この「注記作業」、「接合作業」に当たった人は延77,207人だったという。長沼氏は「白滝遺跡群が国宝に指定された最も大きな要因は、こうした形作られた『接合資料』がキーポイントだった」と語った。
※ 石器の破片を接合した「接合資料」の一部です。真ん中あたりにある内部が白い部分は、石器を削った際に、矢じりなどとして使用できる部分(白い部分)を取り除いた後の「接合資料」です。(この写真はウェブ上より拝借しました)
こうして制作された報告書は「白滝遺跡群Ⅰ~ⅩⅣ」(14冊、厚さ89.6cm、14,746頁)
という膨大なものになったそうだ。5万年から1万年前まで遡る後期旧石器時代というと遺物として発掘されるものは石器だけに限られるという。それだけ白滝遺跡群は貴重な存在なのだろう。
長沼氏をはじめとした関係者の皆さまの根気ある研究・作業が「日本最古の国宝」に結びついたことに敬意を表するとともに、機会があれば「白滝遺跡群」そして「遠軽埋蔵文化財センター」を再訪してみたいと強く思った。