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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

薬師寺執事長から「心」について学ぶ

2024-09-15 19:55:12 | 講演・講義・フォーラム等
 人は「心」の使い方ひとつで、自分の目前に広がる世界を、幸せにも不幸にもできると執事長の大谷徹奘師は云う。それはどういうことなのか?大谷徹奘師のお話に耳を傾けた。

 9月11日(火)午後、札幌プリンスホテル国際館パミールにおいて、秋山記念生命科学財団主催の特別講演会を拝聴する機会を得た。
 講演は法相宗大本山薬師寺の執事長である大谷徹奘(おおたに てつじょう)「心とは~心のしくみと幸せの法則」と題してお話された。

    
    ※ 講演をする薬師寺の執事長の大谷徹奘師です。

 宗教に関しては全く疎い私だが、「執事長」について調べると「寺院の運営に関する業務を執行するうえでの最高責任者」ということなのだが、薬師寺の僧職の最高位は別であって「管主(かんす)」という役職のようなのだが、現在は加藤朝胤(かとう ちょういん)という方が務められている。しかし、執事長も相当に高い僧位であることには違いない。
 大谷氏は当年61歳ということだが、非常に壮健な方で声も大きく、私たち聴く者の度肝を抜いた。そしてまず「薬師寺はお墓を持たず、お葬儀をしないお寺です」と述べた。じゃ何をするお寺かというと、“心” を訓練するところが薬師寺なのだという。そして私たちに問いかけた。「あなたの心はどこに在りますか?」と…。私たちはそれぞれ、頭や心臓の部分、あるいはお腹を押さえた。しかし、そこは頭であり、心臓であり、腹なのであって、 “心” ではないという。そして下図のように「心のしくみ」と題する図を示した。その図はご覧のように空欄だらけのものであった。そこに大谷師がお話を交えながら一つ一つ埋めていった。

     
 そのお話は、人間はたくさんの体験や経験を積むことで、そのことに対して「好き」とか「嫌い」とか、「意味がある」とか「意味がない」とか、その人なりの価値観がそこに生まれてくる。自ら感じた価値観に基づき、人それぞれの生き方や考え方が形成されるという。それが “心” だと大谷師は説かれた。
 さて、そうした “心” を持った「自分」=「我(われ)」は、世界の中でただ一人だという事実だという。さてその「我」ですが、「われ」とも読むが「が」とも読める。この「我(が)」が強くなる、つまり「独善」に陥り、「傲慢」となり「人の話を聞かない」状況となりやがて「孤立」に陥るという。
 反対に「我(が)」を抑え、他との「共栄」を図り、「謙虚」に人と接することで、そこに「調和」が生まれるという。そして「調和」は「聴話(ちょうわ)」に通ずるとも大谷師は説いた。その「心のしくみ」の図に大谷師が話された言葉を入れた図が下図である。

    

 大谷師は、具体例をたくさん交えながら図に入れる文字を示してくれた。その具体例をここで紹介することは私の記憶力では不可能なので割愛する。
 大谷師のお話を私なりにごくごく簡略化してまとめてみると、人が生きていくうえで「幸せ」な日々を送りたいと思ったならば、できるだけ「我(が)」を抑え、他との「共栄」を図り、「謙虚」に接すべし、ということを話されたと理解した。
 私は大谷師のお話を聴きながら「言うは易いが、行うは難し」という言葉を思い浮かべていた。しかし、私にとってこれからそう長くない人生かもしれないが、この教えを心に刻みながら生きていきたいものだと思っている。


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